暗殺一家によろしく
- ナノ -
ハロー、レイディ




朝六時、ちりりりんと控え目な音を鳴らすベルにむくっと起き上がって、目を擦りながらマリさんが用意してくれた服に着替える。長く伸びた髪はリボンできゅっと結んで、ぱたぱたと裾を払う。それなりに可愛いデザインのワンピースはどことなく元の世界の髣髴とさせる。ノンノに載ってた新作がこんな感じだったような気がする。あーあ、あれ今月買おうと思ってたのになぁ。なんて、詮無いことなのに考えてしまう。

おっと、挨拶が遅れてしまった。グッドモーニング、ユキノです。先日コナン君もびっくりな猟奇殺人現場に居合わせてしまってまさに危機一髪のところ、奇跡的に生き延びました。神は言っている…ここで死ぬ運命ではないと…って感じですね。そう思ってないと死亡フラグが満載のこの世界では生き残っていけない。特にヴィジュアル系のコートを着た彼とピエロには絶対に会いたくない。絶対にだ!!

まああれだ、ハンターハンターはハンター試験受けてハンターにならない限りハンターを目指しているゴン達には会わないからまだマシかな。ハンター言い過ぎてゲシュタルト崩壊起こりそうだわ。ともかく、普通に生活している分には問題ないはず。ヨークシンとか死んでもいかない。実際に二次元の世界に飛んだら、原作を間近で見たいなんて考えつくはずもない。せめてチート能力でもあれば別なんだけど、スタンドが宿った様子もないし。私は断然保身に走るね。

「マリさん、おはようございます」
「おや、おはよう。もっと寝ていてもいいんだよ?」
「いえ、そんなわけには」

いきません、ええ、いきませんとも。母屋に入って恩人であるマリさんに挨拶をすると、てきぱきと朝食の準備を進めて行く。お世話になっているのだから私は馬車馬の如く働きますよ。炊事洗濯買い出し掃除になんでもござれです。一家に一台いかがですか?全部人並み程度にしか出来ないけれど、せめて恩返しが出来るように役立たないと。

悪いわねェとテーブルに座ってこちらを見つめているマリさんは白くなった髪を綺麗に撫で付けた優雅な老婦人だ。ご主人に先立たれて数年、子どもはいなかったため遺産を受け継いで気ままに一人暮らしをしているらしい。私は家事が終わると、旦那さんが残された古書店の方も手伝いに行く。本にハタキをかけたり、綺麗に整頓したり、滅多に来ないけれどお客さんの相手をしたり。うーん、中々安定した生活な気がする。古書、ってとこが盗賊を引き寄せそうで怖いけど、早々そんなこともあるまい。……やめよう、フラグな気がする。

こちらに来て既に二週間。段々慣れてきた本の整理という仕事に暫く没頭する。油断すると被っていた埃が舞ってしまうので気を付けなければいけない。そろそろ天日干しの時期なのかな、と店の中でも暗い場所に置いてある本を眺める。すると入り口に置いてあるベルがちりりんと音を立てた。お客さんらしい。

「いらっしゃいま…」
「お邪魔しますね」

…………お帰り下さい。たっぷり十秒ほど固まって、私は心の中でそう呟いた。お客さんに向かってなんて失礼なと思ったことだろう。でもみんなもきっと、そのお客さんを見れば私の気持ちを分かってくれるはずだ。分かってくれないと困る。ていうか分かれ。

おう、ジーザス。こんなのってあり?

きょるんとした大きな瞳に、ぴこぴことしたツインテール。フリフリのドレスに華奢な体躯。キルアにしてババアと言わしめた、けれどハサミを使う男にして鍛練の結晶と言わしめた女性…ビスケット=クルーガーがそこに立っていた。お帰り下さい。切実に、お帰り下さい。300円あげるから。

「いらっしゃいませ。何か、お探しですか?」
「ええっと、お遣いなんですけど…この本ってありますか?」
「はい。すみません、少々お時間を頂きますね」

ぞわわっと背筋に寒気が走った。確かにビスケはものすごい美少女だし、意図して出しているのだろう高い声は甘くて、おねだりするようで可愛い。私が男だったらでれっと相好を崩していただろう。けれどいかんせん、私はビスケの本性を知っている。仲の良い男の子を壊してやりたいと考えるちょっと危ない嗜好、宝石のような資質を持った者を鍛えたがる鍛練マニア、そして……筋肉ゴリラ。

あ、念のため言っておくが、ビスケのことが嫌いなわけではない。達人らしい考え方や時に非情なまでの現実主義、徹底した姿勢は好ましい。むしろ好きなキャラだ。私は可愛いものが好きだから、彼女の外見もそうだし、是非クッキーちゃんにもお世話になりたい。ただ、原作の登場人物は私にとって鬼門なのだ。主に安全を脅かす存在として。あと、猫かぶりが白々しくてちょっと背中が痒いの。だわさ口調の方がマシだ。

初めて会った原作キャラがビスケかぁ…うーん、まだ過激な人達じゃなかっただけマシよね。うん。ほんとは道端の野草みたいにひっそり暮らしたいんだけどなぁ。とほほ、と溜め息を吐きたい気持ちを抑えて渡されたメモに書かれた本を探す。……えっと、かんのんたい、ぜん…?『観音大全』かな?変わった本を探すんだなぁ。どこにあるのかとうろうろと探し回っていると、いつの間にかビスケが隣に来ていた。な、なんかじっと見られてる気が。

「あのう、違ってたらすみません、もしかして、文字が読めないんですか?」
「え?ええ、ごめんなさい。手間取ってしまって…」
「あ、責めてるわけじゃないんです。ただ、気になって」

その通りである。恐らく私がゆっくりとタイトルの文字を読み取っていたからだろう。ハンター世界は概ねハンター言語が罷り通っているから、文盲は珍しいのだろう。むしろ古書店で働いているくせに、字が読めないのかと呆れられても仕方ないことだ。

そう、私はハンター文字を読むことが出来ない。そりゃそうだろう。いくらハンターハンターを知っていても、その文字まで読めるようになるほどマニアではない。言葉は幸いに伝わるが、残念ながら字は読むことが出来なかった。52文字、幸いにしてそれ程多い数ではない。今は目下勉強中だ。考えたくないけど、このままこの世界に永住するなら必須の知識だし、損はない。日本語は読めるんだけどね。

「出身は?」
「ジャポンです、一応」
「へェ!じゃあ、ジャポン語が読めるんだわさ?」
「ええ」

あれェ?ビスケ、いや、ビスケさーん?素が、素が出ちゃってませんか?私の勘違いかな?だわさとか聞こえた気がしたんだけど。

「その本をあたしに頼んだ相手が、ジャポン好きなのよ。でもジャポン語って割と複雑だから、確か読めはしなかったと思うのよね。へー、そう。ジャポン出身なの」
「はい。……あ、これですね。お確かめ下さい」
「ああ、ありがと。うん、間違いないわさ」

勘違いじゃなかったわ。ビスケさん、完全に元の性格が駄々洩れです。猫被ってる方が違和感あるけど、こんなにあっさり素を晒されても複雑である。でもスルーです。余計なこと突っ込んで変な風に思われたくないし。スルーです。私のスルー技術舐めんな。そのままレジへと向かい、お会計を済ませる。何はともあれ、これで帰ってくれるのだから良しとしよう。ちゃりんとお釣を渡す。

「あたし、ビスケット=クルーガー。あんたの名前は?」
「……ユキノです」

しかしビスケは、何故かがたりとレジの横にあった椅子に腰を下ろした。……何故に。

「ふうん、ユキノね。うん、ジャポンっぽい名前」
「ええと、ビスケットさんは…」
「あ、あたしのことはビスケでいいわ。年が多少違うのは気にしないってことで」
『はあ』

敬語遣わないでいいってこと?楽だけど…でも、何で椅子に座るの?何で隣で雑談を始めるムードなの?お、お帰り下さい。って言いたいけど、流石に命は惜しいので黙っていることにする。なんか逃げられないパターンっぽい。釈然としないものを感じながら、仕方がないのでお茶とお菓子を用意する。ビスケは「ありがと」と言って、お茶を飲みつつ世間話を続ける。

「それでネテロがね、あたしにばっかり用事を押しつけてくんの。あたしだって忙しいのに」
「きっと信頼しているんですよ。ビスケさんは、普段どんなことを?」
「んー、道場に入ったり、宝石を集めたりしてるわさ。ユキノは宝石好き?」
「人並みには」

そりゃ私も花の女子高生、綺麗なものや可愛いものは好きだ。宝石とか、ぬいぐるみとかね。ビスケは思いのほか楽しい話をしてくれて、私はふんふんと聞き入っていた。この世界の常識にはとんと疎いからなぁ。あと、もしかしてと思ってたけどやっぱりビスケをパシリにした相手がネテロ会長で絶望。間接的に関わりが出来てしまった。ジーザス。

その会話の中で一番疑問を抱かせたのは、出て来た人物の名前だった。思いっきり違和感。

「今はいいんだけど、ネテロはあたしに弟子を取れっていうから。そのうち忙しくなるんでしょうね」
「お弟子さん、ですか?」
「そう。まだちっちゃいけど、見所ある子もいたの。ウイングっていう、寝癖坊やなんだけどね」

………んん?ウイング???って彼かな?天空闘技場にいた時、ゴンとキルアの師匠になってた人?だよね?あれ?でもちっちゃい?全然ちっちゃくなかったよ。少なくとも二十歳は確実に越えているはずだ。意味が分からない、という顔をしてみせたユキノだったが、その疑問が伝わるはずもない。

なんかおかしくないだろうか。そもそもビスケって、こんな感じだっただろうか。なんていうか、言動や行動にあんまり老獪さがないっていうか、なんて言えば分からないのだが、57歳に見えない?外見の話じゃなくて、どうにも違和感を感じるのだ。んんん???どーゆーこと?

「あの、つかぬことをお伺いしますが…」
「ん?何?」
「今年って、何年ですか?」
「?変なこと聞くのね?えーっと、確か1973年だと思うけど?」

1973年…73?!いやいや、流石に私でもちょっとした年表くらい覚えているつもりだ。ゴン達が試験を受けたのは確か2000年だ。なのに今年が1973年ってことは…今は大体、原作のおよそ25年前ってこと?!どんな時代にトリップしてんだ私は!普通原作に近い時間にくるもんなんじゃないの?んでもって約25年前ってことは……

「ビスケさん……って」
「ん?」
「……いえ、何でもないです」


57歳じゃないんですね。……とは、命が惜しくて言えなかった。





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