暗殺一家によろしく
- ナノ -
ボンジュール、マドモアゼル




何であたしがそんなことしなきゃいけないのよ。

師であるネテロに頼み事をされた時、ビスケは躊躇いも見せずそう言ってみせた。当然だろう、自他共に認める宝石好きであるストーンハンター、ビスケット=クルーガーは幻想的な輝きを見せると言われた宝玉に後少しで手が届くところまで来ていたのだ。噂に聞いたアメジストで出来た洞窟を見つけることが出来れば、これはシングルハンターの称号すら受けられる偉業となるのだ。

それを人の悪い爺…もといネテロは丁度いいところ、という場面で連絡を寄越してきたのだ。わざわざ切り上げてきてやれば、内容はとある本を買って来い、なんて意味の分からない理由。ビスケが額に青筋を浮かべるのも無理からぬこと。この爺とは十年来の付き合いではあるが、いつも狙っているのかと言いたくなるタイミングで呼び出すのは本当に勘弁してほしい。

「ま、ま。そう怒るなビスケ。ちょちょいっとこれを買って来てくれるだけで良い」
「だから、そんなパシリまがいなことそこらの木っ端ハンターにやらせなさいよ。あたしは忙しいのよ」
「……そういえば、最近道場の方に活気がなくてのお。新しい師範代でも引っ張ってきたいところなんじゃが」

うぐっ。ぽそりと呟かれた言葉に、ビスケは怯んだ。一応心源流拳法の師範代ともなっている身である。磨けば光る原石を見れば鍛えたくなる性分の為弟子を取るのは構わないのだが、めぼしい人材もいない上、今は宝石の収集に集中したい時期だ。歴史的にも、自身の欲求のためにも大いな成果を望めそうな今、道場を任せられては堪らない。ぐぬぬ、と柳眉を釣り上げて目の前の爺を睨み付ける。当人は何処吹く風だ。

「…分かったわよ。やればいいんでしょ、やれば」
「うむ。物分かりがええの」
「よく言うわ。で?何を買って来ればいいの?」
「これじゃ」

渡されたメモに書かれた言葉「観音大全」。ふうんと興味なさげな顔をして、それで?と続きを促す。本当にただパシリをさせようと言うのならば、わざわざビスケを呼び出したりはしないだろう。別の目的があると踏んで、ネテロを見やった。

思った通り、ネテロはその本はとある店で購入してほしいと言った。挙げられたのはMistletoe、という古い古書店の名前。ビスケにとっても、聞き覚えのありすぎる名前だった。ハンターの間では中々有名な店だ。もっとも、あまり宜しくない方の意味で、だが。だがそれだけでビスケが状況を理解するには十分だった。つまり、漸く準備が整い始めたというところだろう。こくりと頷くと、ネテロは満足気に笑った。



黴臭いところね、というのが店に一歩足を踏み入れて抱いた感想だった。紙の臭いと混じって、埃と黴の臭いがしている。あまり日当たりの良くない店の立地のせいもあるのだろう。それでもお得意の猫を被って可愛らしい声を出してみる。それに応えたのは、店の奥からひょいと顔を出した一人の若い女性だった。おや、と目を瞬く。

「(へェ。流石ってとこかね。綺麗な子じゃないのさ)」

自らの肉体を変化させているビスケは、見た目的には少女と言ったところ。現れたその女性はすっと自然な仕草で膝を折って、ビスケに視線を合わせた。黒髪と黒目、どこか不思議な雰囲気を纏った彼女は、顔の造形云々の前に、見る者を魅了する何かを持っていた。少女と女という曖昧な時の中にいる、未成熟な美を感じさせるのだ。美人がどうかは個人の主観によるのだろうが、同性であるビスケですら、綺麗だな、と思ってしまう深い瞳を持っていた。

そのまま預かったメモを渡すと、暫くじっと考え込むようにそれを見つめて、立ち上がる。本を探してくれるらしい。何となく暇で、その様子を観察してみる。彼女は少したどたどしい仕草で棚を物色している。違和感を覚えて、好奇心のままにビスケは問いを投げてみることにした。

「あのう、違ってたらすみません、もしかして、文字が読めないんですか?」
「え?ええ、ごめんなさい。手間取ってしまって…」
「あ、責めてるわけじゃないんです。ただ、気になって」

ビンゴだ。やはり、字が読めないらしい。珍しいものだ。この年でハンター文字が読めないのは、中々特殊な環境だったと吹聴しているようなもの。勿論スラムの子どもや流星街ではよくあることだが、この娘にはそんな荒んだ経歴があるようには見えなかった。教養が垣間見えるし、動作も粗雑ではない。中流、いや、結構裕福な家庭に育ったようだ。それなのに、文字が読めない。

「出身は?」
「ジャポンです、一応」
「へェ!じゃあ、ジャポン語が読めるんだわさ?」
「ええ」

つまりこの子も、訳アリだ。何の疑いも持っていないのがその証拠。そう見えなくても、彼女も"そう″なのだ。ジャポン語が読めるのならば、重宝されるだろう。この扱いにも頷ける。情報収集も兼ねて、ビスケは会計を済ませてもその場に居座った。少しユキノと名乗った彼女自身にも興味が出て来た。

ビスケは元来良く喋る方だし、嘘つきで気紛れで、お世辞にも良い性格をしているとは言えない。しかしユキノはビスケの話に嫌な顔一つせず付き合った。お茶を出し、他愛無い話にも丁寧に相槌を返す。聞き上手のためビスケは完全に素に戻っていたのだが、それでも眉を顰めることもなかった。表情が薄いのは玉に傷だが、とても優しい子なのだろう。

ビスケは、こんな外見だ。好きでしているのだから全く文句はないが、侮られたり、見下されることは常である。そんな時はほくそ笑んでそいつの本性を暴いてやるのだが、ユキノにそんな裏があるようには見えない。何しろ、明らかに年下に見えるビスケにもさん付けをして、一切丁寧な姿勢を崩そうとしない。年が違うのは気にしないってことで、という子どもが調子に乗っているとしか思えない失礼な言葉にも鷹揚なのだ。嘘つきを長いことやっているビスケには、それが嘘なのか建前なのかきちんと理解することが出来る。

「(……この子がねェ。ああやだやだ、年取ったらこういうのに弱くなるんだから)」

ユキノにどんな事情があるのかは分からない。寧ろ何かを聞き出そうと思ったのに、反対に愚痴を聞いてもらっている始末だ。明らかにいけ好かない相手だったら助ける義理もないしどうなってもいいのだが、思いのほか相手が良い子だったのが不幸なのか幸いなのか。念能力者でもない。打算も野心も見えない、本当に一般人と変わらない普通の少女。胸糞悪い話、と思ったのは同時だった。

別にビスケだって聖人君子ではないが、腹が立ったり、許せないことはある。少しでも気に入ってしまった子が、と思えば尚更で。今年が何年か聞いてから何故か唸っているユキノを見て、ちょっとだけ溜め息を吐いた。懐に入れたわけでもないのに庇護してやりたくなったり、面倒を見てやろうかと考えてしまう辺り、自分はやっぱりそういう役目に向いているのかもしれない。

「(……弟子を取る話、真剣に考えてみようかしら)」

もちろん、今の仕事が終わってからだけれど。


それから五年と経たずに、ビスケは彼女が言うところの寝癖坊やを徹底的に鍛え上げること腐心することとなる。




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ハンターの女キャラではビスケが一番好きです。
主人公の荒みっぷりが木の葉よりすごい。相変わらずの内弁慶。
しかし、ウイングさんっていくつなんだ……?


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