暗殺一家によろしく
- ナノ -
もう、鬼にはならない




再会の時は思いがけず、そして唐突に訪れた。

ノヴのハンターとしての活動は多岐に渡る。盗賊の討伐部隊に参加することもあれば、遺跡の発掘に携わることもある。一番多い側面としては、学術的に価値のある歴史的遺物など、そういったものに関わる仕事だろう。ノヴの能力自体、大量輸送や移動に適してることもあり、会長を通して依頼が来ることもある。この一年、時たま念の修行をつけられることを除けば、ほとんど放任されている。弟子の修行はともかく、ハンターとしての活動に口を出す気はないのだ、あの老人は。

ノヴは今回、バルカ王朝由来の文献を求めてとある街を目指していた。その文献を手に入れるには森の奥地に住む少数民族と交渉をする必要があり、別のハンターがその民族と渡りを付けたところで、落ち合う手筈になっている。

辿り着いたのは、風光明媚な海の景色と、海産物を使った料理が有名な港街だ。富豪達が老後にこの街に住むことも多いという。見ると、周りは大抵旅行客のようだった。手慰みに携帯電話を弄んで、思考する。今回組んだ相手は優秀な先輩ハンターであるが、少なくとも三日はこの街で暇を潰す必要があるだろう。が、観光名所を回ってみるような気分にもなれなかった。

そこで、そういえばこの街には小さいけれど賭場があるはずだ、と思い至る。人が多く集まる場所の常であるが、運否天賦に身を任せ、賭け事に興じるのを好む輩が集まる場所が一つはあるものだ。ノヴも人並み程度にはギャンブルを嗜むし、相手の表情や癖を読み取るという心理戦も性に合っている。たまには羽目を外してみるのも悪くない。財に物を言わせて享楽に耽っている俗物共から金を絞り取ることも出来るわけであるし。

と、どこか暗い思考になりながら、街を行く。道すがら、ノヴの視界の端に道端に座り込んでいる女性が映った。普段ならば、さして気にも留めない。こういっては身も蓋もないが、具合の悪いフリをして男を引っかけるタイプの美人局或いはスリというのも珍しくない。巧みに男に擦り寄って、その色香に惑っている間に財布や携帯をスリ盗るのだ。だが、声を掛けようという気になったのは、記憶の中に残る女性と同じ、艶やかな黒髪であったからだろう。

女性の下へと近付き、大丈夫ですか、と無造作に声を投げる。これで上げられた視線が僅かでも媚を含んでいれば、すぐさま踵を返すつもりで。しかし、ノヴの予想は大きく裏切られることになる。顔を向けた彼女の顔は間違いなく青褪めていて病人のそれであったし、正に思い浮かべた黒髪の女性そのものだったからだ。なんてことはない、同一人物なのだから既視感も覚えるというものだ。

「……あなたは…」

あの時の。ノヴの中に、鮮明に記憶が蘇る。あの雷雨の日、こちらに向かって微笑んだ顔。毅然として生きろと叫んだ姿。まざまざと思い浮かぶ。彼女もこちらに気付いたのだろう、その目元が僅かに細められる。しかしすぐにまたう、と呻いて口許を押さえてしまう。

ぼうっとしている場合ではない。はっと我に返ると、少しだけ躊躇したが、彼女の背に手を伸ばし、なるべく優しく摩ってやった。女性に気安く触れるのはマナー違反であろうが、緊急時だ。

「具合が悪いんですか?」
『ええ、少し…。休めば、すぐ収まります』

問い掛けると、彼女…ユキノは、震えた声でそう答えた。とてもそうは思えない。何か重篤な病でも患っているのではないだろうか。確かに彼女は透き通るように白い肌を持ってはいたが、頬は魚の腹のように白く、生気がない。フルフルと震えており、額には汗が滲んでいた。病院に行った方がいい、と促すと原因は分かっている、と拒否の意を示される。原因が分かっている?病ではないということか、と思ったところで、天啓のように閃いた。

「もしかして―――…妊娠、しているのですか」

ノヴの指摘が図星だったのだろう。ユキノは少し目を見開いてこちらを見た。やはりそうか。であれば、これは悪阻というものなのだろう。彼女が病ではないというのも頷ける。だが、身籠っているならなおのこと、きちんと病院での診察を受けた方がいい。ノヴは、遠慮する彼女を半ば無理やり病院へと連れて行った。そのまま診察室に入って行く小さな背中を見送って、待合室の椅子に腰かける。

「(―――あの男の……子どもなのだろうな)」

シルバ=ゾルディック。伝説の暗殺一家。冴え渡る刃のような鋭い殺気を纏った、銀髪の男。一目見た瞬間、今の己とは隔絶した実力を持った者だと感じた。あの男が、ユキノを連れて行ったのだ。腹の子どもの父親で、十中八九間違いない。それを思うと、ノヴは何だか胸の内側がもやもやするような奇妙な気持ちになった。

もしかしたら、という思いがあった。会長はシルバ=ゾルディックが彼女に懸想しているということしか言っていなかった。あの様子を見ても、その通りなのだろう。だが、彼女は、どうなのだろう。あの男に言い寄られて、半ば無理やり気絶させられて連れて行かれたことを憂いているのではないか。ノヴが確かめたかったのは、彼女の気持ちでもあったのだ。

子どもはいるという事実は、その思いに拍車を掛けた。それすら無理やりではなかったなんて、どうして言える?

煩悶とした思考のまま、どれくらい経っただろう。気付けば、ユキノが目の前に立っていた。幾分か顔色は良くなっている。持ったままの彼女の荷物を掲げて、送って行く、と言う。遠慮されるが、ここまで来て放っておくわけにはいかない。聞きたいこともあることだし、とノヴが頑なな態度を取ると、彼女の方が折れた。並んで、先導を受けて街を歩く。聞けば、彼女は一月ほど前にこの街にやってきたらしい。

「一人で?」
『はい』

あっさりと答えられて、ノヴの方が戸惑ってしまう。妊娠しているというのに、一人で来たというのはどういうことだろう。あの男は、何をしているのか。

「………相手は、あの男なんでしょうね」

小さく呟いたノヴに、ユキノは困ったように笑った。そうだろうと思っていたが、そこで確信に変わった。そしてその反応で、望まぬ行為の果ての結果ではないということを悟った。あの男が想うように、彼女もきっと、あの男を想っている。

「後悔、していないんですか。あの男は…裏社会を生きる男ですよ」
『してません。自分でも、不思議なくらいです』
「ですが、貴方はあの男に会ったせいで、今ここに一人でいるのではないですか」

こんなことを、聞いてどうする。ノヴは一言一言を発する度、己が酷く矮小で惨めな人間のような気がしてならなくなった。激しい自己嫌悪に襲われる。

だが、だが。あの男は、シルバ=ゾルディックは、裏社会の、穢れた世界の人間だ。目の前の穢れなく、綺麗な女性とは根本から生きる世界が違う。家業だとしても、血臭が染みていないとしても、数え切れない程の人間を殺している稀代の殺人者だ。ブラックリストにも堂々と名が刻まれる、凶悪な一族。この人が関わるべきではなかった人種。そして、あの男は、表の世界に生きる彼女に手を出すべきではなかったというのに。

あまつさえ、彼女はここに一人でいる。どのような事情があったかは知らないし、ノヴが関与する余地もないとは分かっているけれど、憤らずにはいられない。手を出すのであれば、傍に置こうと思うのならば、想っていたのならば。どうして、手を離したりする。どうして容易く捨てることが出来るのだ。

なら初めから何もしなければいい。余計なことを考えずに、中途半端に彼女を傷付けるような真似をするなど、浅慮に過ぎるではないか。ギリ、と手を強く握り締める。爪が掌に食い込むほど、強く、強く。

『一人ではありませんでしたよ』

それは、子どもがいるという意味だろうか。捨てられても、放っておかれても、子どもがいるから孤独ではないと?

「……あなたがそこまで庇う価値が、あの男にあるとは思えません。…もし、あの男とは違う、別の人に出会っていたら、あなたは幸せになれたはずだ」

まただ。こんなことを言うなど、自分らしくない。益々惨めになるだけではないか。聞きたかったのは、本当が違うことだ。

―――もしあの男ではなく、自分と先に出会っていれば、あなたは自分を選んでくれただろうか、だなんて。

聞いたとしても、無意味な問いだ。そしてその口に出せなかった思いすら、彼女は簡単に打ち砕く。

『―――もしなんてありませんよ』

想定すら、しない。他の男と結ばれる可能性など、一片もないのだと。言い切る瞳の強さに、眉を顰める。

「そんなに……あの男が、好きですか」
『いいえ。―――愛してます』

今度こそ、ノヴは言葉を失った。たった一人になってしまったのに、彼女には微塵も悲壮感はなく、淡く微笑む様がどこまでも幸せそうで。その顔に束の間見惚れてしまう。同時に、湧き上がって来たシルバ=ゾルディックに対する激しい怒りに身を震わせる。

あの男もマリ=ランクルと一緒だ。これ以上ない程にユキノの想いを受けておきながら、それを簡単に放り出す。ノヴが焦がれてやまないものを、何でもないもののように捨ててしまう。

だが…、だからこそなのかもしれない。彼女は与えてほしいと思う者に与えているのではなく、ただ自分の心に赴くままに行動しているだけなのだ。愛してほしいと、強請ってばかりのノヴに、同じものが与えられるわけもない。―――出会うのが、遅すぎた。彼女の言う通りだ。

―――もしなんてない。

もし、ノヴが鬼となり、ククルーマウンテンの天辺まで辿り着いたとしても。彼女をそこから、連れ出したとしても。

ユキノがノヴの手を取る"もし"も、ノヴを愛するという"もし"も、存在などしないのだ。

ノヴは掠れた声で、そうですか、と呟いた。自分の言葉がどれだけノヴを打ちのめしたか気付いてもいない顔で、彼女はこちらを見ている。その様も、今はまだ愛しくて。保護しようだとか、援助しようだとか、そんなことを思わなかったわけではないが、それすらもみっともない拘泥の産物だ。この上無様は晒せない。もはや出来ることは、彼女とその子どもの道行きが、少しでも平坦なものであるようにと願うことだけ。

荷物を手渡して、踵を返す。背中に掛けられる御礼の言葉にも、もう振り返らなかった。

―――焦がれても手に入らないのならば。見つけても、手に入らないのならば。……ノヴはもう、鬼にはならない。

賭場へ行く気にもなれず、虚しい足取りで、街へと歩き出した。


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ノヴさんがアスマ先生ポジだった。
イルミ、爆誕!!


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