- ナノ -
爪痕と傷跡

第三次忍界大戦終結―――。
木の葉と砂が新たに同盟を結ぶことで、漸く第二次忍界大戦から続く、長きに渡る戦争に終止符が打たれた。やっと訪れた平和に、人々は安堵を零すが、同時にそれは大きな絶望へと繋がった。木の葉を襲った未曽有の戦力不足は、里の忍という忍を戦線に駆り立てた。彼らはそこで、憎しみと怒りが蔓延る地獄を見た。まだ幼い、子どもの域を出ない少年少女達ですら、最前線に立たされることがままあった。

安らぎの時を迎えて得たのは、決して幸福ではなく、新しい絶望の始まり。忙しない戦乱に身を置いていた時分には気付かなかった、感じる暇もなかった親しい戦友を失った痛み…悲しみ。もう二度と戦うことのできない体になってしまったものもいる。里の慰霊碑には戦死した英雄の名が刻まれ、茫然とそこに立ち尽くす銀髪の少年もまた、戦争の犠牲者の一人であったのだろう。誰に復讐しても満たされることのない業の連鎖…戦争が終わった、それではいそうですか、と平和を享受するなんて出来るはずがない。でなければ何の為に…彼らは死んだというのか。罪悪感と悲しみの狭間で揺れるのは、忍だけではない。

戦争が終わってから、ひと月。

帰らぬ人を待つ残された者も、希望と絶望を抱いて生きている。

戦争の中で一番扱いに困るのは、MIA…所謂、戦闘中行方不明者と呼ばれる存在だ。彼らは絶命した瞬間を仲間に確認されたわけでも、死亡を確定づけるものを残したわけでもない。生きているかもしれない、けれど死んでいるかもしれない、相反する思いを抱いたまま、帰りを待ち続ける者もいる。いっそ死亡だと断定された方が楽かもしれない。希望だけ抱いて生きていることがどれだけ辛いことか。

ぴんぽーん、と玄関のチャイムが鳴る。ドアが開けられるまでの数十秒が、クシナには何時間にも感じられた。お願いだから出てほしい。祈るような気持ちで待ち続けていると、がちゃりとドアが開く。そこには以前よりも少し痩せたように見える、親友の姿があった。ああ、と安堵すると同時に、泣きたくなるような気持ちになった。

「雪乃…ごめんってばね、急に訪ねてきたりして」
『クシナさん…?どうかしたんですか?』

目の前の女性が持つ雰囲気は、より一層儚げになってしまった気がする。クシナは「た、大した用事じゃないってばね」と慌てて手を振った。この上気を遣っているなんて、そんな風に思わせたくない。きっと重荷に感じられてしまうに違いないのだから。

雪乃がシカクと結婚することを決めたと聞いた半年前は、こんなことになるなんて思ってもいなかったのに。

頬を染め、照れくさそうに微笑みながら、そう報告してくれたのを聞いた時は、思わず感極まって抱きしめてしまった。その時点で、クシナはミナトと結婚して、三か月が経っていた。先を越されるとばかり思っていた友人が、自分達より夫婦になるのが遅かったので、シカクの足並みには歯噛みしていたのだが、漸くである。まるで自分のことのように嬉しくて、結婚式では盛大にお祝いをしてあげようと、ミコトとこっそり計画まで立てていた。

情勢が悪化したのは、その頃だ。二人の式は無期限に延期となり、里の忍は総動員で戦場へと赴いた。人妻になったとてまだ現役で忍だったクシナも、最前線とはいかずとも、戦いの舞台に立った。もうほとんどが消耗戦で、そこにあったのは大儀など存在しない、血で血を洗う狂気の狭間だった。計り知れない犠牲を伴った。最愛の夫であるミナトの教え子の一人も、戦の最中で命を喪った。そしてやっとすべてが終わったというのに…待っていたのは、新しい絶望だ。帰還者と死亡者、そのどちらにも、親友の婚約者である奈良シカクの名前はなかった。雪乃は、帰ってこない愛する人に何を思ったのだろう。

「これ…うちで作った煮物だってばね。よかったら、って思って…」
『ああ、ありがとうございます。…上がって行きますか?』
「い、いいってばね!これから行くところがあって、つ、ついでに寄っただけだから…」
『…そうですか』

嘘だ。用事があるなんて。上がりたくないのは、後ろめたさがあるから。

里は復興が始まり、かつての在り様を少しずつ取り戻しつつある。その理由の一つに、波風ミナトが四代目火影に就任したことが挙げられる。あまりにも若年過ぎると、懸念の声も多々あった。しかし、名を挙げられていた四代目候補が就任を拒否し、立候補者が相応しくないと判断されたため、ミナトにお鉢が回ってきたのである。若く、凛々しく、勢いがある、この世代を代表する「木の葉の黄色い閃光」の台頭は、木の葉に新しい息吹を齎した。人々は彼の姿に希望を見出したのだ。火影のマントを身に纏う夫を見て、どれだけ誇らしかったであろうか。同時に、クシナは自分の心根に嫌気が差すのだ。―――帰って来なかったのが、彼でなくて良かった、だなんて。そんなことを思ってしまう自分に。

唐突に、目頭が熱を持った。涙が溢れそうになって、必死に唇を噛みしめる。忍になって、身近な人の死を経験したことなんてそれ程掃いて捨てるほどあるのに、どうやったって慣れっこない。どうしていなくなってしまったのか。どうして帰って来ないのか。雪乃は笑わない。…笑わないのだ。この半年、今までの年月の中で確かに表情を緩めることが増えてきた彼女は、シカクがいなくなってから、また元の無表情に戻ってしまった。まるで何も感じていないような無感動な顔…友人が感情をなくしていく様を見るのは、とても堪えた。なのに、何もしてあげることが出来ない。

ぽろり、と零れた涙を拭ってくれたのは、目の前にいる人物だった。引っ張られた袖が、そっと目元に当てられる。赤くなった目で見やると、その瞬間、雪乃は小さく笑った。「泣かないでください」そう言いながら。馬鹿だ、私は。本当に泣きたいのは、雪乃の方だってばね。…馬鹿だ、雪乃は。笑わなくなったのに、人のために、人を泣き止ますためなら笑うんだから。馬鹿で、とっても優しい。雪乃は変わらない。

「ごめん雪乃…ごめんね。ごめんってばね…」

咄嗟に、雪乃の首に縋りつく。自分に出来ることが全くないのが、不甲斐なくて悔しかった。シカクのことも、オビトのことも、どうにかしたいと思っても、もうしょうがないけど。でも。

「雪乃……お願いだから、死なないで」

私の大切な友達である彼女が、憔悴していくのを見たくない。後を追うなんて、お願いだから考えないでほしい。辛い時は傍にいる。出来ることがあるならば、何でもするから。

涙を零すクシナを、雪乃は何も言わずに抱きしめてくれていた。




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