焼き餅の焼ける音
「こんにちは、お邪魔します」
ひょいと店先に頭を覗かせて小さく声を掛ける。店の看板の文字は花・やまなか。
「お、いらっしゃ…誰かと思ったら、雪乃さんじゃねェか。元気か?」
「はい。お陰様で」
「シカクは一緒じゃないの?」
中にはチョウザさんもいた。一人なのを見て、不思議そうに首を傾げる。私が常にあの人と一緒にいるような言い方やめてくれないかなぁ。ものっそい誤解なんだけど。私が行く先々にシカクさんが偶然を装って出没するだけだからね?ほんとに偶然のときもあるのかもしれないけどさ…一歩間違えたら犯罪だよ。間違えなくても犯罪じゃね?慣れたけど。
「実は相談があって。ガーデンシクラメンのことなんですけど…」
趣味で育てている花々の一つ、シクラメンが最近元気がないことを相談してみる。ベランダの日当たりの良いところに置いて、近頃は野菜にも挑戦している。分からないこととか、困ったことがあればいのいちさん頼り。流石顔に似合わず(失礼?)花屋さんをやってるだけあって、植物には詳しい。色々教えてもらい、最後には肥料までもらってしまった。
「成る程…水のあげすぎもよくないんですね。雨が降らない日が続くから、良かれと思ったんですが…」
「根腐れしちまうから、適量がいい。根元だけに水をやるようにしてみてくれ」
「はい。どうもありがとうございます」
三人揃って店の前まで出てくる。肥料を運ぼうか、とチョウザさんが言ってくれたけど、丁重にお断りしておく。そんなにか弱くないから平気ですよ。さて帰ろうか、と思ったところで、それにしても、と声がする。
「シカクが雪乃さんといないなんて、ほんと珍しいね」
「最近は、あまり店の方にもいらっしゃいませんよ」
「え、そうなの?」
任務、忙しいんじゃないかな。ま、静かでいいよね。
「案外他の女を口説いてたりしてな!」
「まさか、シカクに限ってそんなこと有り得ないよ」
もう四年も経つのに、今更他の人に目移りなんてしないってば。はは、と笑ってそう言ったチョウザさんに「確かになぁ」と同じく笑みを返すいのいちさん。あれか…もしかして私を励ますために言ってるのかな。いや、落ち込んでるわけじゃないんだけど。というより寧ろ四年も愛の言葉を吐き続けたシカクさんに感嘆している。もうそんなに経ったのか…。今更って言うけど、そこまで脈がないと分かったら鞍替えしても可笑しくない気がするけど。
「はははははは……あ、」
「!」
「あっ」
かちん、と私の後ろを見て二人が硬直する。え?何?振り向いて見ると、そこには見慣れたポニーテールの男。隣には見知らぬ美女。何とも仲睦まじい様子で談笑しながら、こちらとは反対方向に向かって歩いていく背中はどっからどう見ても親密な関係の男女に見えるわけで。空気が、凍った。気がした。うん。かちーんてなった。
「………は、ははははは……」
いのいちさんの笑い声が虚しく響く。もう笑うしかないって感じだ。私の顔を見て更に笑みが引きつる。え?何で?
「い、いや…シカクに限ってそれはないよ」
「私、何も言ってませんが」
「ない!ないない!あり得ねェって!あれは…そう、親戚とかじゃねェか?」
「別に、何とも思っていませんが」
あれ、何で私必死になってフォローされてんの?別に気にしてないって言ってるのに。いのいちさんとチョウザさんは二人揃ってあわあわしていた。私そんなに怖い顔してるのかな。ちゃんと笑ってるつもりだけど。
「あの人が誰と何をしていようと、私に口出す権利はありませんから」
あれ、思ったよりも冷たい声が出た気がする。何で?気にしてないって本心なはずなのに。何か今の台詞おかしくない?口出ししたかったらするみたいな感じになってる。おかしい。もやもやする。気持ち悪い。何これ。変。……私、変。
………シカクさんが他の人と楽しそうに笑ってるのが、ちょっと、嫌?
何で嫌なのさ。これで恋人が相手ならO・HA・NA・SHIするとこだけど、私とシカクさんは全然そんな関係じゃないし。別に言い訳じゃないし。寧ろ四年保った方が奇跡だし。初めからからかわれてると思ってたし。……落ち込んでなんか、いないよ。
「…私、帰ります」
「ちょ、待って!!待って!」
「今すぐシカク連れてくっから!ひっ捕まえて話聞いてくっから!」
「すみません、急いでるので」
「雪乃さんっ?!」
制止の声も聞かず、肥料をむんずと掴んで歩き始めた。結構ずっしりくる重さだったはずなのに、一ミリもそんなこと感じなかった。寧ろ軽い。お椀より軽い。どうしちゃったんだ私の腕力。
「ふん、何さ…いちゃいちゃしちゃってさ」
家に着くと、貰ったばかりの肥料を雑に放り、バックをぼふっとベッドの上に投げつけた。何だか無性にイライラする。何が気に食わないのだろうか、自分は。クレヨンしんちゃんのネネちゃんのママの如く、どすどすと枕に拳を埋めていく。人間の鳩尾辺りを意識して、打つべし!だ。ぼふっぼふっと音が響く。
知ってか知らずかシカクと笑い合っていたあの女性か、それとも自分のことなんて忘れてしまったかのようなシカクにか。言い表せない苛立ちを感じている。どちらにしたってお門違いだ。恋人ならともかく。それとも私は、好きだと言ってくれる人は自分のものだとでも思っていたのだろうか。返事を返さず、断ったも同然の相手なのに?
他の相手を好きになっちゃいけないなんて、ただの独占欲じゃないか。第一、シカクさんにはヨシノさんが…。そう考えて、やっと思い至った。あの女の人…見たことがある、とそう感じた理由が。
「…………ヨシノさんだ…」
あの黒髪、顔立ち。…間違いない。勿論若かったし、原作じゃ怒った顔が印象に残ってたけど、絶対そうだ。あの人は、ヨシノさん。シカマルのお母さん。そして…そして……、
シカクさんが、好きになる人。
どんなキツい女も惚れた男には優しくなるもんだと、そう嘯いたシカクさんを好きになった人。未来の奥さん。私がいた仮初めの立場は、全部全部本当はヨシノさんの為にあった。彼女が今、現れた。その事実は、ストンと胸の中に落ちてきた。忘れてたことなんてなかったみたいに、自然と。私にとって、変わらない大前提 だったからだろうか。
「何だ…そっか…」
手にしていた枕が落ちる。シカクさんが最近来なかった?当たり前じゃないか。きっとこれからだってもう来ない。本当に好きな人に出会ったんだから、私なんて相手にするわけがない。分かってた。分かってたことだ。なのに今、私は心の何処かでとてつもない寂しさを感じている。胸に穴が空いてしまったみたいな虚しさを覚えている。…清々する?そんなこと、よく言えたものだ。調子に乗って吐いた戯言だ。好かれているという自覚が、私を傲慢にして、勝者にしていた。見えていなかった。
今の関係が、脆く儚く消えてしまうことが。
シカクさんは、いつも真っ直ぐだった。伝える言葉を飾ることがなかった。吃驚するくらい頭がいいくせして、何処か不器用で可笑しいな行動ばっかり取って…でも、一度も曲がった方法で私を手に入れようとしなかった。遊びなんじゃないかと、思っていたのは、逃げなのだ。いつ死ぬか分からない人を好きになんてなりたくないから、シカクさんは遊びなんだから、本気にしちゃいけないって、思ってた。…分かってた、くせして。
助けられてたのに。知り合い一人いないこの世界で、シカクさんの突拍子のない言動に救われていたのに。危険を排除しようとする余り交流の輪を縮めていた私はシカクさんを中心として人と触れ合っていった。寂しさなんて感じる暇がないくらい笑わせてくれた。あの忙しない日々が、孤独を綺麗さっぱり拭い去ってくれていた。誰とも関わらない私は、寄る辺のないここで本当に生きていけていただろうか。
「……シカクさん」
もう、彼はやってこない。私の名を呼んで、あの店の暖簾を潜ることはない。笑顔を見せてくれることもない。他の人のものになってしまう。あるべき姿に返っただけ…なんて、慰める言葉も出てきやしない。ただ、空虚だけが落ちた。
「―――…好きだって、言ったくせに」
言ったくせに。何度も。ヨシノさんじゃなくて、私のこと、好きって言ってくれたのに。…もういいの?ヨシノさんがいるから、もういらないの?自分がこんなにセンチメンタルで乙女チックなことを考えるなんて思ってもみなかったけど、切なくて切なくて、胸が潰れそうだ。胸が痛いって、こういうことなんだ。口からは、ぽつりぽつりとシカクさんへの恨み言が落ちる。
「………うそつき……。だいきらい」
誰もいない場所で小さく恨み言を吐くことしか出来ない、こんな自分が一番嫌いだけど。
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