- ナノ -
幸福の鐘の音

いくらなんでも遅すぎる、と三カ月を過ぎた辺りから考え始めて、それからまた同じ時が過ぎた。…ああ、忘れていた。ドーブラエ ウートラ!雪乃です。初っ端かなテンション低くて申し訳ないんだけど、何か元気に話しをする気になれないんだよね…。いや、挨拶はするけどね。

そのですね…シカクさんが、帰って来ないんです。しかも、一か月や二カ月ならまぁ、心配だけどまだ耐えられるよ。でも、半年って。半年って、長すぎだと思う。365日の半分だ。閏年なら366日。いくら私でも、この期間がちょっと異常だということくらい理解出来る。はあ、と気を抜くとすぐに溜め息が口から突いて出てしまう。

『……休暇、ですか』
「そうだ」

そうして気もそぞろで、上の空の日々を過ごしていたからだろうか。いきなり店長のアサヒさんに休暇を取れ、と言われた途端、ああ、遂に来たなと思ったのだ。そりゃあ、こんな覇気のない店員なんて店側は雇いたくないだろう。いずれ専業主婦になるからと、適当にやっているのではないかと思われても仕方ない。私もどうして自分がここまで気落ちしているのか、よく分からないのだ。何もする気が起きないし、ご飯食べてても美味しくないから食慾が減って、体重も少し落ちてしまった。…いや、ここは喜ぶとこかもしれないけどさ。

クビなっても仕方ないなぁ、と他人事のように考える。

「誤解すんなよ。誰も暇を出すって言ってんじゃねェぞ」
『え』

違うの?

「…やっぱり勘違いしてたか。クビになんかするわけねェだろうがよ。嬢ちゃんが落ち込むのも無理はねェ。悪いのはお前じゃねェよ。……連絡の一つも寄越さねェ、あの馬鹿タレのせいだ」
『!』

馬鹿タレ、でシカクさんを真っ先に思い浮かべるのもどうかと思うんだけど、アサヒさんが誰のことを言いたいかはちゃんと理解出来た。…そんな、無茶だよ。アサヒさんも分かってるはずだ。彼は引退した忍者だから、仮に任務の最中だったとしても、連絡なんて出来っこないことを知っているはずだ。それでも、シカクさんのことを思い出した途端、頭の端がぴりぴりと痺れたようだった。連絡なんて出来っこない。けれどこれだけの期間、シカクさんは帰って来ない。

まるで覚悟の一つも決めておけと言われたみたいで、とても嫌だった。

『はあぁあああああぁ…』

盛大に溜め息を吐きながら、欄干に寄りかかる。働きづめでは気持ちを落ち着かせることも出来ないだろうと気を遣って取らせてもらった休暇だったけれど、正直何かしていた方が気が休まるのだ。そうでないと、一々考えてしまうし…私の悪い癖だと思う。普段は能天気な癖に、一度塞ぎ込んだら、地面にまでのめり込んでしまいそうになるんだ。

私は…多分、浮かれてたんだと思う。好きな人と結婚出来るっていう幸福に酔って、一番逃げたかった現実から目を逸らしていた。ヨシノさんと結婚していれば、シカクさんはこうはならなかったんじゃないかって、そう考えてしまう。分からない。私がシカクさんの運命を変えてしまったんじゃないかと思うと、恐ろしくて堪らなくなる。ぎゅうっと拳を握る。何でだろ。どうしてこうなっちゃうんだろうなぁ。やっぱり…駄目なのかなぁ。

どうすればいいんだろ。

ぼうっとしながら流れる川を眺めてみると、そこに淡い光が浮かんでいるのが見えた。いっぱいいる、と少しだけ前のめりになった。


「―――……雪乃さん!!!!」


……?????!!!!!!!!
くっ……口から心臓が飛び出るかと思った!っていうか、魂が半分くらい抜け出たんだけど?!いきなり後ろから声をかけられた私は、びくうっと体を大きく反応させて仰け反った。そのまま、ぐいっと腕を後ろに引かれる。な、何だ?!誰だよう!吃驚したじゃないか、私を殺す気か?!一発怒鳴ってやろうかと思ったが、視界に入って来た人物にきょとりと目を丸くした。

『……アスマ……君?』

ふェ?何でアスマ先生(子どもVer)がここにいるの?あ、そうそう。実は恐ろしいことに、私は小さい頃のアスマ先生と何故か、何故かお近付きになっちゃったんだよね。何かシカクさんと結構親しい?らしくて、多分シカクさんの実家繋がりと、普通に後輩だからかな?それでそのまま私も知り合いになっちゃって…いや、もう、諦めたよ。シカクさんと関わる時点で原作の人達とも関わることになるんだなぁと諦めたけど、やっぱ違和感が拭えなくて…。私にとってはアスマ先生って呼び方が普通なんだけど、先生でもないし、しかも年下なんだよ?君つけしてるんだけど、どうしても呼びにくくて躊躇ってしまう。

…まあ、それはさておくとして。どないしたん、アスマ先生?肩で息切らせちゃって。何か用?

「何……してたんですか」
『え?』
「…こんなところで…っ、一人で、何をしようとしてたんですか!!」

な、何してるって…何にもしてなかったのに、あなたのせいで川にダイブしそうになったんですけど?

何言ってんのこの人?と言わんばかりに首を傾げる私であるが、アスマ先生はいたって真剣だ。目が本気と書いてマジである。えー…何か怒ってる?怖いんだけど。あれ?もしかしてここに来た理由が知りたいのかな?うーんと、ここって別に立ち入り禁止じゃないよね?もうすぐ夜になるからかな。ま、いいや。とりあえず。

『別に何をしようと思ったわけじゃないの……ただ、何となく足を運んだだけ』
「そんな、」

『蛍が綺麗だってこと、知らなかったから。―――…シカクさんにも、見せてあげたかった……』


あ、そうか。私は、シカクさんと一緒に蛍が見たかったのか。

自分で言ってみて、この言葉はすとんと胸の内に落ちて来た。そうだ。私は、シカクさんと一緒に蛍を見たり、秋には月見をして、冬には炬燵で温まって、春になったら桜を見て…そうだよ。そんな当たり前で、どうでもいいことをしていきたかったんだ。シカクさんにプロポーズされた瞬間から、私は明るい未来を夢見るようになった。少しずつ、下らない日常を積み重ねていけたらいいなって、そう思ってんだ。

考えると、きゅっと胸が苦しくなった。そうだよ。私、シカクさんと幸せになりたかったんだ。シカクさんが帰って来ないことで、どうしてこんなに寂しくなるのか、分かり切ってた。不安だったんだ。今まで恐怖してきた、私が自分が死ぬことより恐ろしいことが現実になってしまったんじゃないかって思うと、怖くて。だから何も考えなくてもいいように、シカクさんが―――帰って来ないかもしれないなんて、考えなくていいようにしてた。

馬鹿だなぁ。アスマ先生の顔を見て、唐突に思い出したのだ。

こういう一つ一つの繋がりだって、シカクさんといたから生まれたものだ。木の葉で出来た絆は、みんなみんなシカクさんがくれたものだった。私の世界は、シカクさんを中心にして回ってた。それは、私がシカクさんのことを、とても好きだって証だ。喪うわけにはいかないって、気持ちだ。

「ふざけんな……」
『アスマ…君?』
「ふざけんな!!だからって、あんたがしようとしていることに、意味があんのかよ!!」

何だか、心を読まれたみたいなタイミングだ。

うん。意味はあるよ。

私、シカクさんを喪う覚悟は、決められそうにないんだもん。


「仕方ないじゃないか…ここは、そういう世界なんだ!!人は、死ぬんだよ!!呆気ないくらい簡単に!!それが、忍びの世界だ!仕方ねェだろ!!!」


分かってる。分かってるよ。ここは、約束された明日がない世界。人が簡単に死んじゃう世界。分かってる。分かってるけど、でも。でも。―――だけど。


『―――仕方なくなんてない!!!!』

『……仕方なくなんてない……仕方がないことなんて、この世に何一つ……何一つないわ』

『仕方ないって、大切な人がいなくなることは、そんな簡単に諦めてしまえるものじゃないでしょ?』


目の前を蛍が舞う。儚いいのち。短い時を必死で生きる、泡沫のように脆く、美しい存在だ。神様。私からシカクさんを、取っちゃ嫌だよ。好きな人なんだよ。私の命より、何より、大切な人なんだよ。仕方ないなんて言葉で、諦めて、なかったことになんて出来ないよ。


いつか、いつか別れが来るとしても。

いつか、いつか喪う時がやってくるとしても。

それは、今じゃない。今じゃないはずだ。

だって私とシカクさんは、これから始まるから。


―――これから、二人で歩いて行くと決めたんだから。


刹那。


名前を呼ばれた気が、した。



『……シカクさん……?』


溢れだしそうな涙を堪えて、走り出す。これがもしかして、第六感というものなのかもしれない。でも、間違いない。確かに感じたと、素直に信じることが出来る。衝動のまま里の入り口を目指して走る。足が縺れそうになるのも構わず走り、そして。目の前を歩いてくる人影を見た途端、時が止まったような気がした。


「雪乃………?」

『……シカクさん?』


はあ、と口から呼気が零れる。懐かしい声に名前を呼ばれて、何かを考える前に、私の瞳からは涙が溢れていた。ずっと泣かないで、我慢していたのに、止まらない。シカクさんが、夢にまで見た愛しい人が、私が一番大好きな顔をして笑ったからだ。

「何だ。…幻かと思ったぜ。雪乃……お前、暫く会わないうちにまた綺麗になったな」

……シカクさんの馬鹿!!

駆け出して、思いっきり抱き着く。シカクさん。シカクさん。シカクさん!!

「何だぁ、随分熱烈な歓迎だな。俺に会いたかったか?」
『馬鹿…シカクさんは大馬鹿です』
「お?」
『会いたかったに決まってます……!』
「……ああ、俺も会いたかった」

シカクさんだ。この体も、匂いも、温もりも、私を呼ぶ声も。全部全部、シカクさんのものだ。ぎゅうっと抱きしめると、シカクさんも強く抱きしめ返してくれた。それだけで、私はもう何もいらないと思える程幸せな気分になった。今度は嬉しくて、涙が止まらない。

「漸く帰って来た……お前をこうやって抱きしめることを、俺がどれだけ待ち侘びてたか分かるか?」
『…分かりません』
「だよなぁ。でも、ちゃんと約束は守ったろ?」
『約束?』
「ちゃんとお前のとこに帰って来るって約束」

少しだけ顔を上げる。するとシカクさんは目を細めたまま、額と額を合わせた。

「嘘じゃねェってちゃんと証明出来たら、言おうと思ってたんだけどよ」

「雪乃」



「―――俺の全てをお前にやるから、お前の全てを俺にくれ」



体も、心も、命も、全部。互いのものを互いのものに出来たら。

一度目を瞬かせてから、私はシカクさんの言葉に笑顔を返した。



『―――……もうとっくに、シカクさんのものですよ』




この約束された明日のない世界で。

シカクさんが私に、明日を連れて来てくれる。



少し冷たいキスにそっと目を閉じる。同じ誓いを約束を、花吹雪が舞う中でもう一度してほしい。今の記憶はまるで夢幻のようで、目が覚めたら消えてしまうんじゃないかって、そう思うから。たくさんの人の祝福を浴びた、柔らかい陽の下で、二人で手を繋ぎ合ったら。


―――祝福の鐘が、夢じゃないと教えてくれた。




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今度こそほんとに、えんだーーいああーーー。
何か感慨深いですね。
私の連載で恋人から結婚まで漕ぎつけた人いないよ?(笑)

アスマ先生……ご、ごめんね?でも紅さんがいるからね…。
あと、実は英語のタイトル三つは繋がってます。
気付いた人いるかな?

さて、残り数話となりますが、良ければ最後までお付き合い下さい。



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