- ナノ -
温もりに名前をつけるとするならば、


何をするのでもなく、ただそこにあるだけで苦しいということもあるのだということを、己の生を強く実感する時に感じるのだ。

目が覚めた時、カカシは己の部屋ではなく、里の慰霊碑の前にいた。ゆっくりと体を起こして、辺りを見回す。太陽は既に真上に昇っている。ああ、そうか。確か病院に連れて行かれそうになったから、医療忍者の腕を振り払って逃げたのだった。無意識だったのに、何処か逃げ場所を探すと、自分は必ずここに来てしまう。背を預けるようにして、慰霊碑に凭れ掛かった。

戦争が終わった。何年にも渡り続いて来た戦争が、カカシが生まれた時から続いていた忍界大戦が漸く、終わりを見せた。里は復興で忙しく、戦力不足は未だ解決していない。本当はカカシも、任務に赴かなければならない。それでもこうしていられるのは、師である波風ミナトの配慮だった。四代目火影に就任した彼は、里の期待を一身に受け、それでもなお弟子であるカカシのことを慮ってくれる。構わない、任務に出るというカカシの反論を押し込めて、こうして休息をくれた。気を遣ってくれるのは、とても、有り難いと思う。でも、本当は何かをしていたかった。働いていた方が、考えなくて済むから。こんな風に、罪悪感に潰されそうにならなくて済むから。

「なあ、オビト……お前、俺のこと、憎んでるだろ…」

何度も何度も夢に見る。親友であるオビトが死ぬときの夢。リンをこの手で貫いたときの夢。―――父であるサクモが、自ら命を絶って果てたときの夢。毎夜毎夜、皆が夢の中でカカシを苛む。お前が悪いのだと、お前が憎いのだと囁く。カカシの手は血に染まっている。リンの血で真っ赤だった。何度洗っても、何度洗っても、消えてなくなってくれない。これは心の傷なのだと、誰かが話しているのを聞いた。

左目がずくりと痛む。万華鏡写輪眼という特殊な瞳術を発動させた左目は、こうやって断続的に痛みを発した。カカシの体が血族の体ではないことも影響しているのだろう。けれどカカシには、まるでオビトの怨嗟の声のように思えてならなかった。―――恨めしいと、囁いているように思える。苦しめと、そう叫ぶ。

「なあ、そうなんだろ…?リンを、約束を守れなかった俺を、恨んでるんだろ…?」

ぎゅうっと目を押さえて、蹲る。

「そうだって言ってくれよ……!!頼むから……!」

父さん。オビト。リン。カカシの大切な人は、もうこの世にはいなくなってしまった。掛け替えのない存在であったはずなのに、死んでしまった。皆カカシが殺したようなものだった。それが忍の業であるとでもいうのだろうか。殺し、殺されて。そうやって生きて行くしかないのか。どうして自分だけが生き残ってしまったのだろう。こんなことなら、彼らの代わりに自分が死んだ方がずっと楽だった。

その時だった。

『どうしたの?怪我をしているの?大丈夫?』

カカシの傍に、誰かが寄って来ていた。痛みに呻くあまり、気が付かなかったらしい。なんて体たらくだと舌打ちすると同時に、そっと肩に手が添えられる。カカシはその白い掌が真っ赤に染まっているような幻を見て、反射的にばしりと手を叩き落としてしまった。はあ、はあ、と荒い息が零れる。

こちらを見つめる、少し驚いたように見開かれる瞳とかち合った。相手は若い女のようだった。二十歳を幾何も超えていないだろう、年若い女。その立ち振る舞いから、忍でないことはすぐに察せられた。再び声が掛けられる。


『医療忍者の人を連れて来てあげる。だから君はここに…』
「いい!すぐに、治まるっ…いつもの、ことだ、から!くっ…」
『でも、』
「いいって言ってるだろ!!!俺のことは放っておいてくれ!……痛みがある方がいい!俺は、ずっと苦しいままでいいんだ!!」

それは紛れもない、カカシ自身の本心だった。病院に行きたくないのは、カカシを蝕む痛みに本当は消えてほしくないからだ。静養したくないのは、そうすることで抱えた心の痛みが無くなってしまうことを恐れているからだ。責める声は苦しい。苦しいし、助けてほしいと叫びたくなる。でもこれが、今のカカシを支えているものでもあるのだ。

ずっと地獄でいい。ずっと、苦しいままでいい。ずっと、痛いままがいい。

でなくては、何の為に……彼らは死んだというのだ。彼らが生きた証を、カカシが残してやらなくては。傷という形で抱え込んで、生きて行かなければ。苦しんで血塗られた生を歩めという声だけが、今のカカシを生かしているのだから。

鋭く女を見て、浴びせかけたのは容赦のない殺気だった。普通の人間ならば、戦場で磨かれた鋭利な殺気を浮ければ、怯えて逃げて行ってしまうだろう。ここまで激しく拒絶したならば、女はカカシの傍から離れて行くだろうと、そう思っていた。思っていた、のに。女はあろうことかカカシの腕を取り、呆気に取られてバランスを崩した間に、ひょいっとカカシを背負ってしまった。な?!と本気で驚愕の声が出る。

『暴れないで。落ちる、危ないから』
「じゃあ降ろしてくれ!何なんだあんた!俺なんて、どうなったっていいんだ!放っといてくれって、言っただろ!!」

というか、この女のどこにそんな力があるというのだろう。確かにカカシは女より年下で、背だって随分小さいが、それなりに鍛えているつもりなのに。歩く足取りはふらつくこともなく、しっかりしている。暴れるカカシを落とさないように抱え直しながら、彼女は柔らかく、それでいて有無を言わせない声音で言った。

『痛いんでしょ、目。ちゃんと見て貰った方がいいわ』
「っ、あんたには関係ない!」
『そうよ。関係ない。私が勝手にやっていること。だから、君のせいじゃないわ。私が痛そうにしている君を見ていられないだけで、君は悪くない』

『どうなったっていいなんて、言うもんじゃないわ。―――その目、大事にしなきゃ駄目でしょう』

はっと、息を詰める。もしかして彼女は、知っているのだろうか。カカシのこの左目が誰のものなのか。きっとそうだろう。眼帯で隠してはいるけれど、うちは一族ではない人間が写輪眼を持ったと、一時期里の中では噂になっていた。彼女はカカシのことを知っていて、そしてこの目が貰い物だということを知っていて……こんなことを言っているのか。

「………どうなったっていいってのは、目のことじゃない…」

途端に、自分の中で勢いが萎んでいった。痛みを訴える目を、そっと眼帯の上から押さえる。分かっている。大切にしなければいけないことなんて。オビトが、大切な親友が自分にくれた餞別だ。本当に、本当に大切なものだ。下手をすれば、カカシの体より、命よりもずっとずっと、大切なもの。カカシはぐっと唇を噛みしめて、目の前にある肩口に額を押し付けた。

「俺のことだ。………夢に見るんだ。俺が、俺が殺したようなもんだから……二人とも……。だから………、俺が、死ねば、良かったって……」

オビト…リン。もう分からない。俺には、何が正しいか分からない。何が間違っていて、何が正しいのか、暗闇のなかにいるようで、少しだって分からないんだ。大人のつもりで、上忍だと恰好付けていたって、自分は本当は一人では何も出来ないんだ。

―――オビト。リン。お前たちがいなくては。お前たちが、いてくれなくては。

『泣きたい時は、泣いたって構わないわ。貯め込んでても、楽になんてならないから』
「………」
『私も、今日まで色々あったけど、支えてくれる人のお陰でここまで来れた。だから、』
「……てない……」
『え?』
「―――…泣いてなんかいない!!」

鎮火されそうになっていた怒りの炎が、再び勢い付いた。気付けば、カカシは感情のままに彼女を怒鳴りつけていた。何が泣いてもいいだ。何も知らないくせに。一般人のあんたとは、俺が抱えているものは違うのだ。あんたに何が分かる。

「俺は、泣いてなんかいない!あんたと一緒にしないでくれ!俺は、忍だ…あんたとは違う!何が、泣きたい時には泣けばいいだ…!!」
『…あ、』
「俺は……泣いてなんかいない」
『………』
「…泣いたりしたら、いけないんだ……」

どうしてこんなに腹が立つのだろう。こんなのは、ただの八つ当たりだ。実際に彼女は何も知らないのだから、仕方のないことだ。その筈なのに、苛立ちをぶつけてしまう。今日会ったばかりの彼女に、今まで誰にも見せて来なかったはずの、仮面の裏の真実の顔が覗く。父が死んでから被った、本心を隠す面。大人ぶって、子どもである顔を隠す面。子どもであることを捨てた日々。

忍は、忍として生きる激しいまでの生を実感した時、子どもではなくなる。忍者の世界の子どもは、本当の意味で子どもではないのだ。涙を見せるべからず"。そういう掟がある限り。泣くことは許されない。子どもでいることなんて、許されない。なのに、どうしてカカシは彼女の前で泣きそうになっているのだろう。

『……そう。君はまだ、泣くことには理由が必要なのね』

そっと、彼女はそう言った。そして、

『じゃあ、そうね。―――ただ、目にゴミが入っただけよ。それで涙が、勝手に出ただけ』

それならば泣けるだろう、と言わんばかりの声に、記憶が蘇る。

―――あれは、目にゴミが入って、涙が出ただけだ!!

弱くて、強かったカカシの親友が零した言葉。泣いていることへの言い訳の言葉だ。そっと差し出された花を、呆然としたまま握り締める。紫色の、小さな花だ。

限界だった。

思い出してしまった。彼らのことを、最期の辛い記憶だけではなく、温かい思い出を。父のようになりたいと夢見ていた日々。リンに怪我を直してもらい、オビトと他愛無いことで喧嘩をしていた日々。先生と一緒に、四人で笑い合っていた日々。もう帰って来ない、日常だったもの。喪ってしまった、けれど掛け替えのないものだ。

決壊してしまった涙腺を、抑える術などカカシは持たない。ぼろぼろと涙が次から次へと溢れる。右目が、カカシ自身が。左目はオビトが泣いているように思えた。なあオビト、お前の言い訳、今だけ使わせてもらうよ。あの時のお前も、そうだったんだよな?目にゴミが入っただけで…泣いたんじゃない。そうだよな、と心の中で語り掛けながら、カカシは涙を零すことを自分に許した。けれど、それでも声だけは決して上げなかった。

こんなにも悲しくなるのは、切なさが込み上げるのは、彼女が優しいからだ。彼女に温もりを感じるからだ。この湧き上がる気持ちにつける名前を、カカシはきっと知っている。物心つく前にはおらず、決して味わうことの出来なかったもの。本当は欲しかったもの。

それは紛れもない、母の温もりだった。カカシを弱くするのは、目の前の女性がくれる、確かな優しさと慕情だった。


―――カカシはそこに、得られなかった母の存在を幻視した。


カカシを病院の前で下した彼女は、カカシの頭を子どもにするように一撫でして、去って行った。ぽつりと零した「また会いに行ってもいいですか」という言葉に、優しく笑顔を返して貰えたのが嬉しかった。

「あ!いたぞ、カカシだ!!」
「カカシ!あんた、病院に行ってないって聞いたわよ!何してるの!」

聞こえて来た声に振り向いて、ごしごしと目を擦る。走り寄って来るのは、ガイを筆頭に、紅やアスマ達だった。病院に来ないカカシを心配して探してくれていたらしい。今までは鬱陶しいと思っていたけれど、有り難いことなのだろう。暑苦しいガイの存在だって、案じてくれるのだと思えば、嬉しいとさえ感じる。

「あら?何カカシ、花なんて持って?どうしたの?」
「……紅。これ、なんて花か知ってる?」
「紫苑でしょ。えっと……確か、忍耐とか、追憶とか。君を忘れないって意味があったと思うけど」
「………ついおく……君を、忘れない、か」

彼女は、これも分かっていてくれたのだろうか。多分、きっとそうだろう。分かっていて、カカシを励ますためにくれたのだろう。小さな花をそっと唇に近付ける。少しだけ、気持ちが晴れやかになった気がした。


それから、あの時の人の恋人が帰って来ていないことを知り。

あの花に籠められた彼女の想いを知り。

自分が吐き出した言葉がどれだけ身勝手だったか知り、恥じた。


そして。



「ミナト先生。俺…―――暗部就任の話を、受けます」


カカシの言葉を聞き、ミナトは目を瞠り、それから笑った。大丈夫。傷は癒えない。心は冷えている。苦しいままだ。でも、泣いてもいい理由を見つけたから。泣いてもいい場所を見つけたから。


俺は、大丈夫だ。


抱え込むのではなく、受け入れて。

―――この傷と一緒に、生きていける。





******
温度差が……ひどい。
一人だけ頭んなかお花畑か(笑)

カカシ先生はいつか出したいと思ってました。
子カカシ可愛い。
たまたま眼帯してマスクをしてなかったための悲劇。
アニメ暗部編とか、ちょっと捏造して書いてます。
詳しい年代がよく分からないので、ご容赦下さい。

シカクさんは……うん。どうなったのかなぁ←



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