- ナノ -
君が好きだと叫びたい


出会ってもう四年近くになるのだが、最近知った事実がある。

「誕生日なんです」

そう、誕生日だ。雪乃が生まれた日。この世に生を受けた日。シカクにとっては天に全身全霊で感謝したい日だ。それを知ったのがこんなにも時が経ってからだというのは口惜しい。知りたくなかったわけではない。もし教えて貰えるのならば、ずっと前に聞いていただろう。聞かなかったわけじゃない。聞けなかったからだ。

―――忘れがちではあるが、雪乃は過去の記憶がない。

何てことないように過ごしていて、悲しみや悩みや不安の片鱗一つ見せずに平然としているようだが、その心のうちを測ることは難しい。きっと誰にも分からない苦悩があるだろう。自分が何者か分からない。哲学的かもしれないが、雪乃が抱いているのはそういう根本的な疑問だ。肉親や友人がたとえいたとしても、その存在を覚えていない。縋るべき寄る辺となる筈の思い出の一つも持たない。生まれだとか、育ちだとか、自分にとって大切なアイデンティティのようなものが欠落している苦しみを、分かる、なんて軽々しく言えるわけもない。

だから、間違っても雪乃の傷を抉るような真似をしたくなかった。そんな思いを抱えていた中でさらりと告げられたのが、雪乃の誕生日だという日だった。本当にそうなのか、事実はさして重要ではない。雪乃が確かにこの世に存在しているのだと、その証になるよう日が彼女の中にあることが重要なのだ。シカクは細やかでも何かを贈ってやりたいと考えて、古なじみの女を引っ張って街に繰り出した。女に贈り物をするのは初めてではないが、惚れた女に贈り物をするのは初めてだ。まともな物を渡してやりたいではないか。

昔から知っているだけあって遠慮のない物言いを横に並ぶ女から受けながら一つの品を選び出し、雪乃の家に向かう。その途中で、何故か仁王立ちをしたいのいちとチョウザに捕まった。何だよ、その怖い顔は。

「おい、シカク。何だよあの女は」
「はぁ?」
「雪乃さんを差し置いてデートだなんて、見損なったよ、シカク」

……何言ってんだ、こいつら?

「何変な勘違いしてんだよ。違ェーよ、顔よく見たか?」
「黒髪の、ちょっときつめの美人だろ。見てたっての」
「美人か?…まぁそれはどうでもいい。あいつはヨシノだよ、ヨーシーノ。お前らも知ってるだろが」
「…ヨシノ?……あの、ヨシノちゃんか?」
「そのヨシノだ。てか、ちゃんつけすんな。ぶっ飛ばされるぞ」

ヨシノはシカクにとって、まぁ所謂幼馴染というか、腐れ縁というか、そんな関係の女だった。家が近所で年の差があった為、昔はよく面倒を見てやったものである。女だてらに気が強くて、喧嘩っぱやくて、自分をちゃん付けする奴には容赦なく拳を見舞うようなおっかない女である。いのいちも初対面の時ついちゃん呼びをして鳩尾に一発入れられた覚えがあるので、思わずぶるっと身震いをした。

「そうなの?いやぁ、暫く見なかったけど綺麗になったね、吃驚したよ」
「あいつ、里外の任務長かったからな。最近戻って来たみたいだぜ」

ヨシノもまた木の葉の忍であり、中忍だ。その男顔負けの度胸を買われて、里と外を行ったり来たりすることが多い。最近はそうでもないと聞いて、問答無用で引っ張り出して来たのだ。女の知り合いは沢山いるが、かつては知り合い以上の関係を持った女ばかりだ。そんな女達に意中の者への贈り物選びを頼んだら、刺されかねないではないか。そう真顔で言い切ったシカクに呆れつつも、二人はほっとした様子である。

「悪い悪い。俺達はてっきり、お前が浮気してるのかと思ってな」
「阿呆言うな。俺は一途な男だっての」
「あ、でも不味いよシカク。雪乃さんも二人が並んで歩いてるとこ見ちゃったんだ」

あんまりいつもと変わらなかった気がするけど、すぐ帰っちゃって。というチョウザの言葉に、ふーんと気のない返事を返した。疚しいことなど一つもないのだから、慌てる必要は微塵もない。とにかくこれを渡してしまわなくてはと、雪乃の家を目指した。しかし、どうやら留守のようである。呼び鈴を鳴らしても返事がない。

「…ちょっと待ってみっか」

何だかストーカーのようであるが、今さらかと自分で思ってみる。そして壁に凭れながら待つこと暫く。うつらうつらと軽く船を漕いでいたせいか、がくっと膝が崩れそうになって意識が覚醒した。まずい。半分落ちかけていた。忍のくせに何という体たらくだろうか。今日この日を空けておく為にずっと長期任務続きだったのが原因か、とても眠かった。そのせいで贈り物を用意するのすらぎりぎりになったというのに、渡せないなどとは洒落にならない。雪乃は、と視線を上げると、部屋に電気がついているのが見えた。

ドアまで行こうとして、少しの間考える。面と向かって手渡すのか、これ。想像するとすごく照れ臭い。シカクはうーんと頭を悩ませ、結局足元にある小石を手に取って、窓に向かってこちんと投げつけてみた。割れないように力加減には気を遣う。何度か繰り返すと窓が開いて、雪乃がきょろきょろと辺りを見回したながら顔を出した。…良かった、と安堵していると、不意に視線が合う。よお、と軽く手を上げる。

「こんばんは…シカクさん」

久しぶりに見る顔に、何だかほっとした。素気のない返事も懐かしい。何か用かと問われて、シカクは躊躇いを見せた。何だ、何戸惑ってんだ、俺。ただ誕生日プレゼントだと言って渡すだけなのに、どうしてこうも緊張しなければならないのだろう。終いには開き直って、なるようになれ!と雪乃へ向けてラッピングされた袋を放る。不思議そうな顔をした雪乃はそれを手にすると、僅かに小首を傾げて見せた。う…可愛い。そして照れ臭い。シカクはがしがしと頭を掻いた。

「………あれだよ。つまりよ。―――誕生日だろ、今日」

言うと、雪乃の黒い瞳が少しだけ瞠られた。お、何か新鮮だ、そういう顔。シカクは彼女の小さな表情の変化も大体把握出来るようになってはいたけれど、こんな驚きを露わにしている顔は初めて見た。それが自分に気を許してくれている証拠だと思えれば、こんなに嬉しいことはないというのに。けれどきっと、自惚れだろう。自戒の意味と照れ隠しの意味を込めて口許に笑みを刻み、愛しい女の顔を見上げた。

「―――誕生日……おめでとさん」

お前が生まれてくれたこと。お前がここにいてくれること。深く深く感謝しよう。神なんてものがいるとも思ったことないし、祈ったことも縋ったこともないけれど。雪乃を連れて来てくれたことだけは、感謝してもいい。軍師たるシカクは誰よりも現実的で、目の前の事実に直面せざるを得ない。でも、今この瞬間が夢でもいいと思えるから、恋慕の情とは厄介なものだ。

目を見開いた雪乃は、気のせいかもしれないが、一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた気がした。小さく礼を言って、そして。



「―――今日、貴方に会えてよかった。眠る前に見る顔が貴方の顔で……良かった」



そう言って、綺麗に、本当に綺麗に笑ったのだ。それはシカクが見た初めての雪乃の笑顔で、そして、今まで見たどんな笑顔よりも綺麗なものだった。惚れた欲目か、はたまた自分の脳みそがもう使い物にならないくらいどろっどろになってしまっているのか。きっとどっちもだ。木の葉一の軍師を、天才を、笑顔一つでただの男にしてしまうのだから、目の前の女は下手な忍よりもずっと恐ろしい。自慢ではないが、シカクの思考を停止させるなんて偉業は、この忍界の誰もが果たせちゃいない。

「………冗談だろ。―――反則だ」

窓が閉じられても束の間茫然として、耐えられないというように片手で顔を覆う。あんなちゃちいプレゼントだけであれほどのものを拝めるなんて、盛大におつりが来る。というか、割に合わない。というか笑ったとか。というか可愛い過ぎだと。というか、というか、というか。ああもう。とにかくなんだってどうでもいい。非情な現実とか過酷な任務も糞食らえ。

何年経ったって色褪せることもなく、寧ろどんどん大きくなって。何だか最近マンネリとした関係に満足してきてしまった気がしていたけれど、やっぱりそんなことない。シカクは、決して友達以上恋人未満の関係に甘んじたいわけではない。どうしようもなく、あの底が知れない魅惑的な存在を手にしたいと思っているのだ。

―――あいつを、俺の女にしたい。

お遊び程度の攻めで満足するのは、もうやめだ。配慮なんかしてやらない。なりふり構わず、手に入れてみせる。この曖昧な関係に、終止符を打つ時が来たのだ。


「―――そろそろ決着つけようぜ、雪乃」


とりあえず、今はこの衝動を理性で抑えることから始めよう。

―――時間も近所迷惑も考えず、声高に想いの丈を叫んでしまいそうなこの衝動を。





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