- ナノ -
いのち

どれくらい経ったのか…時間の感覚がなくなっている。既にシカクの両親がやってきている。彼らは丁寧にお礼を言い、シカクや方々への連絡に走っていた。流石に親類でもないのに分娩室の前に陣取るのは気が引けて、アスマは奥まった場所にあるソファにぼんやりと腰掛けていた。…長いのか、短いのか。よく分からないが、お産とはこんなに時間がかかるものなのか。病院内では煙草も憚られて、少し口寂しい。

「…シカクさん」

不意に、誰かが無言のままどっかりと隣に座る気配がした。視線を上げると、シカクが深く息を吐いているのが見えた。間に合ったのか、と思う。同時に、こんなに早く終わるものか?という疑問も沸いてくる。

「任務、終わったんですか。早くないすか」
「報告とかの後処理、押し付けてきたからな」
「………」

それでいいのか。出撃するときは違わず部隊長を任されている人だというのに。そんなアスマの呆れを感じ取ったのか「心配すんな。被害もねェし成功した。報告書も大して書くことねーよ」と声が返ってきた。そういう問題か?と思ったが、彼にしてみれば妻と子のことは何にも代え難い一大事なのだろう。疲労しているところを見る限り、連絡を受けて全力疾走してきたことが容易に窺える。当たり前かもしれない。…考えたくはないが、出産とは命がけらしいから。

「お前があいつ、運んでくれたんだってな。礼を言っとく」
「……別に、」

シカクさんの為じゃありませんし、との言葉は飲み込んだ。未練たらたらに思われる気がしたのだ。

「どんくらい経った?」
「さぁ…六時間くらいじゃないですか」

本当に何時間経ったのか分からなかった。けど、思っているよりも時間は経過しているのかもしれない。シカクがやってこれる程は過ぎているのだから。といっても、結局シカクも何をするでもなく座っているだけだから、実際は到着していてもしていなくても変わらなかったのではないか。自分達は、何も出来ないのだ。

「……こういうとき、男ってのは無力なもんだな」
「………」

まるで心を読まれたかのようなタイミングで告げられた言葉に、沈黙を返す。今闘っているのは他ならぬ彼女自身なのだ。たとえ死に掛けることがあったとしても、自分達には何も出来ない。無力とは、こんな感覚なのか。任務で味方が怪我をしたときはいくらでも対処のしようがあるのに、いかに高度な忍術を扱えようと、出産という場面で大切な人を救うことは叶わない。世の男達は、みんなこんな気持ちを抱えながら待っているというのか。アスマは、不安と無力感に苛まれるくらいなら、子供なんていらないのに、とそう思った。親の気持ちなんて、今の自分に分かるべくもない。

そんなことを考えていた時だった。
―――子供の、高らかな産声が辺りに響いたのは。

「あ、」

アスマが何か言う前に、電光石火の勢いでシカクが走り出し、ばーんと扉を開け放つ。ぽかーんとして見送ってしまったのは仕方がないことだろう。黄色い閃光と名高い四代目と比べても遜色ない瞬発力だったな…と頭の隅でどうでもいい感想を零す。

生まれたのか…。
感慨深いものがあったが、アスマにとって赤ん坊よりも彼女の安否の方が気に掛かった。慌しい様子はなく、歓声が鳴り響いてるのを聞こえるから、多分無事なのだろう。ほっと息を吐くと、また手持ち無沙汰になってしまった。もう待つ必要もない。…帰るか、と踵を返したアスマの背に声が掛かる。

「待て、アスマ。ガキの顔も見ねーで帰るつもりか」
「……オレは、」

興味、ないんだが。そういう間もなく、シカクに引っ張り込まれる。

「雪乃が呼んでんだよ」
「!」

雪乃さんが…?疑問に思いつつも、おずおずと分娩室の扉を潜る。鼻腔を擽ったのは血の臭い。視線を上げると、憔悴していてもたおやかな笑みを湛えている雪乃がいた。彼女の腕の中には、生まれたての赤ん坊がいる。その子を見つめる視線が温かくて、アスマは息すら忘れた。確かに、彼女は元々綺麗だった。だが、今はそんな陳腐な言葉では飾れない。慈愛に満ちた眼差しは正しく母親だけが持つことの出来るもので、しばしば見惚れてしまう。そんなアスマに、優しく声が降る。

『色々、ありがとう。アスマ…くんのお陰で、無事に生まれたわ。シカマルです』
「…シカマル?」
「名前だ、名前。いい名前だろ?」
「はぁ…」

ネーミングセンスの有無はこの際置いておくとして。ぼうっとするアスマをちょいちょいと雪乃が手招きする。近付くと「抱いてあげて」と布に包まれた子供を差し出された。

「い、いや…オレは、」
『はい』
「だ、だから…」
『はい』
「………はぁ」

意外に頑固なのだ、この人は。助けを求めるように視線をやっても、シカクは鷹揚に頷くばかり。遂に観念して、溜め息を吐きながらシカマルと呼ばれた子を抱き上げた。

「……あ、」

小さい。そして、思っていたよりも重い。でも、簡単に壊れてしまいそうな程脆く、儚いと感じた。たった今生を受けたばかりの無垢な赤ん坊は、その小さな瞼を閉じている。…本当は、触れるのが怖かったのだ。こんなにも穢れない存在は、血に濡れた自分が触れては汚してしまいそうなくらい清くて、壊してしまいそうなくらいに繊細で。

―――なのに、こんなにも温かい。

自らの心に去来する感情の名前が、アスマには分からなかった。この子は、断ち切れなかった自分の想いを無理やり引き千切ったに等しい存在なのに。疎ましいとすら感じていたのに。今、どうしてか胸が熱くなる。シカクと、雪乃の子。初めて好きになった人が命がけで産んだ子。不意に、父の姿が脳裏に浮かんだ。木の葉の里を見下ろし、笑みを浮かべる父に問いかけた言葉。何て聞いたのかは、もう覚えていないけれど。

「里の皆はたとえ血がつながってなくともわしにとっては家族じゃ」

何故、と。血も繋がっていないのに。考えてみれば、あれは嫉妬だったのかもしれない。血の繋がった家族さえ蔑ろにするのに、どうして血縁ではない者を慈しむのかと。その様は確かに火影としては正しいのかもしれないが、父親としてはどうしても認められなかった。反発するアスマにすら、父は優しい目を向けて、

「……お前も、親になれば分かる」

そう、言ったのだ。親になれば分かる?アスマは今、親になったわけではない。だが、この赤ん坊を抱いて唐突に理解出来た気がした。父の気持ちが。想いが。測ることの出来なかった、愛情の深ささえ。

戦場で人を殺し、命を刈ることはあんなにも容易いのに、人一人の命を生み出していくのはあまりにも難しい。だからこそ、尊い。

『…アスマくん…?』
「っ…」

何故かは分からないのに、涙が溢れた。零れた一筋の雫が頬を伝い、赤ん坊の上に落ちる。目を覚ましたその子は、アスマに向かって笑みを見せた。抱いていた感傷の全てを吹き飛ばして、優しい気持ちにさせてくれる笑顔だった。

―――自分もいつかなれるだろうか。

さっき子供などいらないと思ったばかりなのに、そう考えていた。いつか自分もまた誰かを好きになって、父親になれるだろうか。そうして木の葉の子供達を、我が子のように等しく愛せたら。

生まれてくるいのちを護るために、オレは強くなろう。次世代を担う大切な玉のために、死んでみせよう。



9月22日は、オレにとっても特別な日になった。




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