- ナノ -
きみがうまれたひ

その日、アスマは上機嫌だった。傍目には分からないかもしれないが、明らかに機嫌が良い。それもそのはず、彼は昨日、先日受験した上忍選抜試験に合格を果たしていた。十五を迎えて僅かばかり、何年経っても上忍になれない者が多数いるなかで突出しているのは間違いない。まあ、生意気にも齢十二で上忍になった人物が身近にいるのも確かなのだが。

流石に火影を父に持つだけあって、彼に驕りは見えない。元々楽天家なのだ。他者を見下し己を過剰に評価するような性質はない。それでも、嬉しいものは嬉しかった。殺伐とした生活に身を置こうとも、まだアスマが少年なことに変わりはないのだった。

今日は、何かと世話になった先輩に挨拶に向かうところだった。世話になったというよりは苛められたというか…その先輩とスリーマンセルを組む人達との連携技の実験台にされたというか…面白半分に将棋でこてんぱんにされたというか…思い出せば出す程苦々しいものばかりだが、そのお陰で鍛え上げられたといえなくもない。しかし、そうやってアスマを弄る度、当人は最愛の人にきつくどやされていたのだ。少しは溜飲が下がった。それに嫉妬して、更に本人曰く「愛の鞭」という扱きがあったりはしたが。

「雪乃さんは…カステラが好きだったか」

そのアスマをいじ…鍛えてくれた先輩こそ、奈良一族の長子奈良シカク。彼を諌める人こそ、寡黙でミステリアスな奈良雪乃。シカクが四年越しの想いを実らせ、遂に結ばれたというのは木の葉内でも語り草だ。今、彼女は妊娠していて、臨月を迎えていると聞いていた。最近は会っていなかったが、元気だろうか。

今まで会いたかったが、会いたくなかったのだ。招待を受けていたがアスマは二人の婚礼に出なかった。その日は任務があった。嘘ではない、本当にあった。しかし、何処かほっとしている自分がいた。幸せそうにシカクの横で笑う彼女を見たくなかった。そういう意味では、シカクがアスマのことを苛めたりするのは、あながち間違った行為とはいえない。実はシカクは、気が付いていたのかもしれないと思うこともある。とても賢しい人だから。それなのに本気で助言をくれたり心配してくれたりするから、アスマも困惑してしまったのだ。あの人らしいといえば、それまでだが。

今からちゃんと、会いに行こう。そして、おめでとうとちゃんと言おう。子供っぽい対抗心や感傷など捨てておけば良い。幸せを願ってあげられないなんて、格好悪いではないか。そう決めてシカクの家の呼び鈴を鳴らす。待つ。

「………」

た、煙草臭くねェよな…何気なく始めてからやめられなくなってしまった煙草の臭いが染み付いていないか、確認する。妊婦には害だろう。くんくんと裾を臭って確認。更に今一度、手土産のカステラを見る。最初は…何て言おうか。「お久しぶりです」なんてガラじゃないか…「どうも」と彼女の前では平素以上にぶっきらぼうになってしまうが、それくらいが丁度いいかもしれないな…そんなことを思う内に、十分が過ぎる。漸く思い至ったが、これは留守なんじゃないだろうか。そのとき、

「!?」

がたっ、と何かが崩れ落ちる音、次いでがしゃんと何かが壊れる音。アスマは咄嗟に気配を探ることも忘れて扉に手をかけていた。開いてる。血の気が引く。仮にも忍が住む家、まして彼女は一般人なのだから、そんな無用心なことはしまい。勢い良くドアを開けて家の中に飛び込む。

「……雪乃さん!!!」

浅い息を吐いて壁に背をやる彼女を見た瞬間、会ったら何を言おうかとか、どんな顔をすればいいのかとか、全部吹っ飛んでいた。こんなに声を荒げたのは久しぶりかもしれない。アスマは狼狽して傍に駆け寄った。シカクはいないらしい。襲撃にあったのか、病気か、それとも…慌てるアスマと、黒曜石の瞳がかち合う。雪乃は薄く笑みを浮かべた。

『……元気だった?』
「………今言うのが、それですか……」

何か、脱力してしまう。

「そんなことより、何があったんですか?敵は?怪我は?」
『……えっと、悪いけど…病院に…連れて、行って、くれる…?』
「怪我してるんスか?!」
『…………生まれそうなの』
「……は、」

はたと、気が付いた。焦って周りが見えなくなっていたが、雪乃のお腹はすっかり大きくなっている。そうだ、子供が…。彼女は息を吐いて苦しそうに表情を歪めている。アスマは下に視線をやって「あ」と声を漏らした。水。彼女の下半身が濡れている。思わず呆然として不躾な視線を送ってしまってから、さっと目を逸らした。もう考えなくても分かる…破水しているのだ。

「し、シカクさんは?」
『……任務……』
「だ、誰か他に人は…」
『お義母さんが……暫くしたら…』

……つまり。こ、この場にはオレ一人ってことか。その事実に愕然としてから、三拍程置いて焦りが募ってくる。何をすればいいのか、ちっとも分からない。怪我した味方の応急処置やら発見した敵を知らせる方法ならお手の物だが、今にも生まれそうな妊婦を介抱する方法なんてアカデミーは教えてくれなかった。当然である。くそ、カリキュラムに組み込んどけよ馬鹿親父!八つ当たりである。

「あ、え…と……」
『……びょ、病院、に……』
「…あ、ああ、そうっすよね!」

自宅出産じゃないのか。そうか、病院に連れて行けばいいのだ。雪乃の言葉に天啓が閃いて、人を呼ぶということすら忘れてアスマは彼女を抱え上げた。横抱きだ。「え」という声が聞こえたがテンぱっていた為気にする余裕がない。おんぶするわけにはいかなかったからなのだが、後から思い出して羞恥に顔を染めてしまう行為だったことは、この際置いておこう。そのままなるべく負担を掛けないように気を遣いながら、瞬身の術を使い駆け抜けた。病院に突っ込み、声を張り上げる。

「アスマくん、どうし……ええっ?!」
「こ、子供が雪乃さんを産みそうでっ…!!雪乃さんが生まれちまう!」
「落ち着いて?!意味分かんないわよ?!」

顔見知りである受付の女性がぎょっとしている。もう自分でも何言っているのか分からない。ぜーはーぜーは肩で息をしてしまう。数分後、担当の者が駆けつけて来て雪乃は分娩室へと入っていく。

「……つ、疲れた……」
「いやあ、吃驚したなぁ。アスマ君が誰か妊娠させちゃったのかと思ったら、雪乃さんだったから」
「勘弁して下さい。んなことあったら、シカクさんに殺されちまう」
「だろうねェ」

偶然が重なり過ぎた。まさか自分がその場に立ち会って、父親であるシカクが傍にいないなんて予想もしていなかった。「丁度任務だったからねー。残念がるだろうな、シカクさん。楽しみにしていたから」という医師の言葉に、曖昧に頷いた。まあ、そうだろうな。自分ももし子供が生まれるときが来たら、立会いたいと思うから。

「とにかく、お疲れ様。シカクさんにも、ご両親にも連絡したから、飛んで来ると思うよ」
「…………オレ、ここにいちゃダメですかね」

どうしてそんなことを言ったか…よく分からない。義務感なのか、好奇心なのか。医師は驚いたように目を瞬かせてから、「いいよ」と笑った。戸惑いを見透かされた気がして、気恥ずかしかった。




/45/

戻る