- ナノ -


*弐*






「…お前、いい加減その不貞腐れた顔止めろ」


呆れたように呟いた土方さんに「元からです」と返してやる。
すると彼はもっと呆れたように「ああそうか」と返してきた。

別に、不貞腐れているつもりはない。
ちょっと不満たらたらで、ぶす〜っとしているだけ。
視線は合わさず、膨れた頬はご愛嬌である。

昨日の揚屋にて起こった一連の騒ぎ…
あれは明らかに芹沢さんに非があったと思う。
キレたのも芹沢さんだし、秩序に反した真似したのも芹沢さん。
確かに私もちょっと我を忘れてたが、芹沢さん程じゃない。

なのにどうして怒られるのは私なのかな。
こんな私刑みたいに囲まれてお説教されなきゃならないのかな。
ぶすっと膨れたくもなるというものだ。


「貴方の責任とは言っていませんよ」
『……当たり前です』
「けれど、自制出来ていなかった自覚はあるでしょう?」


土方さんじゃ埒があかないと思ったのか、山南さんが言う。
静かな声音に諌めるような響きを感じる。
言っていることが図星であるから尚更である。


『まぁ、大人げなかったとは思ってます。
芹沢さんにまともなこと言っても通じないし…意味ないですもんね』


彼と相対するときは、こっちが大人にならなきゃやってられない。
何を言われても無心、菩薩観音仏様に私はなったんだ。
喋る屍になれ何を言われても平常心を信条にして相手をする。
これらを頭に叩き込むことがここ数ヶ月で編み出した私の必勝法だった。

しかし昨日は目の前で小鈴ちゃんが怪我させられて、
私もぷっちーんと箍が外れてしまったことは否定出来ない。
土方さん達が駆け付けてくれなきゃ、多分止まらなかった。
暴れる芹沢さんを押さえ付けてくれてるのを見て、ようやく頭が冷えたのだ。

あの時ばかりは、自分を叱咤した。
大抵のことは流せる冷めた性格してると思ったんだけど…
やっぱ同じ女として、傷付けられた子見てると我慢ならないらしい。
自分の新しい気性の一部を発見したような心地だった。


「年下の貴方の方が達観しているのもどうかと思いますが…
貴方は所謂、芹沢さんの重しや目付け役と言うところなんです」
『…』
「いつでも冷静に、物事に対処してくれなければ困ります。
我々としても、芹沢さんと相対している人物としてもね」


何で私が、と思わなくもない。
しかし、今の私の扱いは芹沢さんの小間遣い。
小姓みたいなものだから、あながち間違ってはいないだろう。


『分かりました。申し訳ありません。…でも、全部丸投げされても困りますよ。
あの人は私の言うことなんてこれっぽちも聞きませんから』
「あの人は誰の言うことも聞かねェだろ。そこまで無茶言う気はねェよ」


そら良かった。
芹沢さんの行動全部私のせいにされたらどうしようかと思った。
そこまで責任は持てないもんね。

ふうと安心しつつ上を向くと、ぱちりと土方さんと目が合う。
その瞬間、私はぎこちなく目を逸らした。
土方さんが微かに首を傾げたのが分かったが、これは仕方ない。

何と言うか…この間頭を撫でられた時から
土方さんの顔をまともに見られないんだよねェ…おかしなことに。
妙に照れ臭いというか。
恐るべし土方さんの笑顔の破壊力。


「それと、君にもう一つ話があるんですよ」


これを見て貰えますか、と山南さんは二枚の書類を差し出した。
…何だ、お説教だけじゃなかったんだ。
私はその紙を手に取って、ふむふむと頷きながら目を通した。

ええっと…隊名と役職…
名前は「浪士組」…今までと変わんない名前じゃん。
私は既に浪士組って組織なんだと思ってたよ。
局長は芹沢さんと新見さんと近藤さん。
副長は土方さんと山南さん。…成る程。
当たり障りのないところをついたって感じだね。

まあ、ここまでは良い。
私が見ても妥当だと思う位置付けだ。
問題なのはその後…目玉が飛び出るかと思った。

一、士道に背くまじきこと。
一、隊を脱することを許さず。
一、勝手に金策をいたすべからず。
一、勝手に訴訟を取り扱うべからず。
一、私の闘争を許さず。

右の条々に背く者は―――
切腹申付べく候なり。

はっと鼻を鳴らして紙を放り投げなかった自分を褒めたい。
厳しいなんてものじゃない…
時代錯誤も甚だしい厳格な掟が書き連ねてあった。
いっそ笑えるくらいだ、と私は失笑を零した。


『…部外者の私に見せるものじゃないと思いますけど』
「それは承知の上です。君の意見を聞かせて下さい」
『は?』
「何でも良い。それを見て思ったことを言ってみろ」


思ったことって…沢山あるけど。
でも何故二人がそんなことを聞くのか測りかねる。
こんな組織の中枢であろう情報を私に晒してもいいのか。
何を考えているのかさっぱりだ。

しかし、鋭い眼光を前にしてはそんなことは言えない。
観念したとばかりに溜め息を吐いて、口を開く。


『……じゃあ言わせて貰いますけど、洒落にもならない程厳しいですね。
これじゃ新しい隊士なんて全く寄って来ないと思いますよ。
まあこれくらいやんなきゃ烏合の衆は纏められないとも思いますけど』
「…」
『これ破ったら、みんな切腹ですか?幹部も?』
「ああ。例外はねェ」
『ならまず最初に芹沢さんと新見さんが死んじゃいますね』


私はくすっと笑った。
多分これを聞かされたら新見さんは凄く慌てるだろう。
破天荒な行いをしている自覚くらいあるだろうから。
その姿が目に浮かぶようだ。


『でも掟を定めたって、実行させられなきゃ無意味じゃないですか?
今だって芹沢さんがいるから会津は後ろ盾になってくれてるんです。
彼を切腹させたりしたら、それこそ隊規なんて意味なくなっちゃいます。
貴方達が芹沢さんに「本当」に腹切らせられるとは微塵も思えません』
「…その通りだな」
『それと、この士道っていう奴ですけど…
具体的な士道の定義がないと守りようないでしょう。
曖昧で抽象的な基準だったら、悪戯に死体を増やすだけですよ』


決まりは必要だとは思うけど、明確なものに限る。
土方さんの思う士道と芹沢さんの思う士道じゃ、確実に違うだろうし。
ここの判断は難しいものになるだろう。

私が個人的に述べる感想を、二人はじっと聞いていた。
生意気を言っている自覚はあるから、怒られないかと少しビクついている。
でも、言えって言ったのはそっちだし。
だから私は思ったことを素直に言ってるだけだし。


『一番権力のある局長に芹沢さん一派が二人。
一番小回りが利いて指揮がしやすい副長に近藤さん一派が二人。
良く考えられて良い人選だなぁと私は思いますけど…どうなんでしょ?』
「どう、とは?」
『だって、面倒臭いでしょう。頂点が三人もいちゃ下としては』
「あくまで暫定案だ。その辺は適宜変更していく予定だ」
『あ、そうなんですか』


なら、私が言いたいことはこれくらいかな。
以上です、と締め括って恐る恐る二人の顔色を窺う。
言いたいこと言っておきながら反応が気になって仕方がないという
肝が据わっているのか小心なのか分からないのが私という人間だ。

そして顔を上げて見えた二人の表情は、
驚いているような呆れているような満足しているような
色々な感情が入り混じったような表現しにくいものだった。