- ナノ -


*参*





暦の上では、弥生。
寒さも大分和らぎつつある、この季節。
もうすぐ桜も咲く頃であろうか。


『くふぁあぁぁ…』


ぱちりと眼が覚めて、次の時には欠伸を零す。
夢見が良くて布団から起き上がりたくない気分だ。
そうして幾度か寝返りを打ち…

はた、と気付いた。

何と、桟の隙間から朝日が零れているではないか。
今まで日が昇り切った後に起きたことはないというのに…
寝過ごし、た。


『わわわわわわっ、わっわわわ!!』


やばいやばいやばいやばいやばい!!
動揺の言葉を連呼しながら、急いで身支度を整える。
着物を着込むと、転がるように部屋から飛び出た。

うわ、うわ、うわわ!!
朝餉の仕度すっぽかしちゃった!
今日は早いうちに洗濯済まそうと思ってたのに!!
その後膳を片付けて、各部屋の掃除をしようという計画が!


「あ、月島さん。おはようございます」
『平間さんっ!すいません、寝坊しちゃって…!』


あ、寝癖付いてるよ。
ぴょんと跳ねた髪を手櫛で梳りながら、平間さんへ頭を下げた。
彼は芹沢さんに「仕度が遅〜い」とか言われて、殴られているかもしれない。

しかし平間さんは、にっこり微笑んだ。


「お気になさらず。昨晩も遅くまで繕い物をなさっていたのでしょう」
『す、すみません…』
「本当なら、もっと長くお休み頂いても宜しいのですが…」
『い、いいえ!私は、居候の身ですから!』


そんなことしたら、芹沢さんに
「ただ飯食らいの犬風情が」とか言われちゃうし。
芹沢さんにまた鉄扇制裁されちゃうし。

…つか、さっきから芹沢さんばっかじゃね?
やっぱあの人が最大の壁だな。
自分はお姉ちゃん侍らせて毎晩楽しんでるくせに…けしからん。


『じゃあ、今から洗濯済ませちゃいますね』
「あ、朝餉を…」
『いいです、後で!日が昇りきる前に干さないといけないから…』


うう…この分じゃお掃除五部屋は無理だな。
三部屋に妥協しよう。
終わった後街に行きたかったけど、それも断念だ。

どうして寝坊なんかするかな、私…
夜なべしてせっせと芹沢さん達の服の解れ直すとか
内儀か、私は。まめまめしい新妻か?
くそう。

勝手に腹を立て、勝手に毒吐く。
そしてそのまま、井戸へと向かい歩き出そうとした。


「…無理、なさらないで下さいね」
『え?』
「旦那様は女性だろうと、容赦はなさらないので…」


心配そうな表情の平間さん。
私が芹沢さんにボカスカ殴られてることを指してるんだろう。

実際、私の手やら足やら…主に額には
鉄扇を浴びて出来た傷が幾つもついていた。
平間さんよかマシだけど、生傷は絶えない。

私の性別を知ってるのにそんなことをするってことは
女ということが遠慮に値するって思ってないということだ。
気に食わなかったら、相手が誰でも手加減しない。
それが芹沢という男なのだ。


『大丈夫ですよ、ご心配なさらず』
「…」
『もう慣れちゃいましたから』


本当は慣れたくもないけど。
でも最近どうやったら怒られないか模索していて
ようやく活路を見出せそうだから、心配には及ばない。

普通の女の子みたいに
「傷があるから、もうお嫁にいけないわ」
な〜んて言うようなことも絶対にありえないし。

私が笑っても、平間さんの表情は変わらない。
それでも振り切るようにして、その場を後にした。
近くにいたらもっとたくさん心配されそうだ。


『…やっぱり私、平間さん好きだなぁ…』


井上さんも好きだ。
二人共本当に優しくて、いつも私を心配してくれる。

心配されるのが、嬉しくないはずがない。
優しくされることに、私は少なからず飢えていたから。
嬉しくて、温かくて、ほっとする。

でも、今は何より。
迷惑を掛けたくない…そして
心配されたくないという思いが、勝っているんだと思う。


二人のそういう表情に
「もっとしっかりしなくちゃ」という気持ちが
胸の内から溢れてくるのは、多分、その為なんだろう。