- ナノ -



広間の陰鬱とした空気に耐え切れず、
逃げるように八木邸を後にして外に出ると、
丁度芹沢さんと話し終わったらしい二人とかち合った。
憤怒に染まった表情からして、ある程度察せられる。
また何処吹く風、といったようにかわされてしまったのだろう。

後悔、憤怒、寂寥…
様々な感情が綯い交ぜになっている。
今にも人を殺しそうなくらいだ。
触れれば怪我をする、と畏怖を抱く程の怒気に、
私は一瞬彼等の傍らをすり抜け、前川邸に入るのを躊躇った。
二人はふと、私に気付いて足を止める。


「あいつの…総司の様子は、どうだったかね?
もう、部屋に戻って休んだのか、それとも…」


近藤さんは、少し表情を緩めて口を開いた。
それとは対照的に、沈んだ声音だった。
どう言えば彼を一番傷付けずに済むのか分からなくて、
しばらく逡巡した後、本当のことを告げようと口火を切る。
この答えが正しいかは分からないけれど、
上辺だけ取り繕ってもいずれ分かってしまうことだ。


『…いつもと、変わりがないように思えました』
「……そうか」


近藤さんは力なくそう言って、八木邸へ足を向ける。
その後を追うかと思えた土方さんは、ふとこちらを見た。
いつもの覇気があまり感じられない。
それでも、土方さんは土方さんらしい。
悔恨よりも怒りを、虚脱よりも悔悟を。
堂々巡りに思えるような思索を凝らしているみたいだ。
彼の眼がつっと、私の腰にある刀の柄に注がれる。


「…お前…刀を、抜いたのか」
『……はい』
「何の為にだ?武士は嫌ェだって、息巻いてただろ」
『………』


刀を握っていたときに手に付着していた血が、
柄の部分に薄くこびり付いているのを目敏く見付けたのか。
土方さんは真偽を問うような目をした。
けれど私は、その問いに対する答えを持っていない。

武士は嫌い。侍も大嫌い。
武家だなんだと拘る輩も気に食わない。
それは偽らざる本心だ。
なのに同じように、私は刀を抜き去った。
その理由が「沖田を止める為」なんて、
たとえ口が裂けても、死んでも言えなかった。

そんなのは綺麗事で、自己満足に過ぎない。
沖田は止められたいなんて微塵も思ってなかっただろうし、
殿内が半ば息絶えていた状況じゃ、私の行動は無意味だ。
刀を抜いたのは、目の前に提示された【死】という概念を、
無理矢理にでも思考から引っぺがしたかったというだけ。
結局私は沖田を殺しかけて、自我を失っただけ。
建前の理由すら、まともに守ることが出来なかったのだ。


『…沖田は多分、覚悟を決めてました。
人を殺すことの意味をずっと、知りたがってました。
私は、沖田の剣は綺麗だと思ってましたから…
身勝手だけど、血に染めたくなかったんだと思います』
「それは…俺や近藤さんも、多分同じだ」
『いいえ』


違う。きっと、それは違う。
近藤さんや土方さんは沖田を幼少時から知っていて、
そんな沖田に仲間を斬らせたくなかった。
人殺しなんてそんなこと、させたくなかった。
そういう感傷から沖田の刀を綺麗なままにしたかったのだろう。
でも、私は、違うのだ。

ただ、自分が…そういうところ、見たくなくて。
私みたいになって欲しくなくて。
自分に対する憐れみから沖田を止めようとしてた。
土方さん達が持っている後悔や感傷とは訳が違う。

どうして、人は人を殺すんだろう。
どうして、人は人を傷付けるんだろう。
どうして、武士は刀を手放さないんだろう。
どうして、私は刃を持ったままなんだろう。
今更と思うような問いを繰り返す。
何回も何回も、繰り返して繰り返して繰り返す。
答えが見付からないから、問いだけがぐるぐる廻る。


「総司はとうの昔に覚悟を決めていた…
分かってやれなかったのは、俺達の方なんだろうな」


土方さんはぽつりと、何処か寂しそうに呟いた。
それが心を廻った問いを体現している気がした。
覚悟なんて、そんなもの、要らないよ。
人を斬る覚悟を人が持つから、傷付け合うのに。
私は―――と、言葉を紡ぐと、土方さんがこちらを見る。


『…出来ることならもう、人は斬りたくないです』


局中法度も、土方さんも、芹沢さんも、
みんなみんな人を殺すことと斬ることを念頭に置いてる。
まるで死を軽視しているみたい。
簡単に死を語る行為が、私は何より気に食わない。
人の命も、自分の命も、大切に出来なきゃ馬鹿みたいだ。

でもそれは、私の感情と個人的な意見だから。
土方さんに押し付けて、ぶつけるのは間違ってる。
だから、私はと強く念を押して、そう言ってみた。
誰も彼もが殺しを許容してる訳じゃ、きっとないから。
沖田も本当は、あのとき、少し躊躇ったように見えたのは、
私の気のせいじゃないって、そう信じていたい気がするから。

今出来る精一杯な笑顔を作って、
くしゃくしゃになりながらも何とか笑ってみせる。
土方さんは少し目を細めて、私を見ていた。
…やっぱり私は、この人の前じゃおかしくなってしまう。
こんな情けない顔して、弱いとこなんて見せたくないのに。

本当は沖田を殺しそうになって、凄く恐かった。
また誰かを傷付けてしまうと、怖ろしかった。
胸の内にある恐怖を誰にも知られたくない一方で、
誰かに、土方さんに知って欲しいと、そう思っている。
体が震えるのを抑えるだけで、精一杯だった。


私は―――
誰かのせいで誰かを、泣かせたくない。
やっぱり、もう、誰も傷付けたくないなぁ。


最後にもう一回、必死に微笑んでみせて踵を返した。
このときの私は、強いままで、いられたのかな。
―――ちゃんと、笑えていたのかな。