- ナノ -

廻る血潮と



『…あ、原田さん』
「よう響。精が出るな」


数日後、洗濯物を片付けて、
玄関前の掃除をしようと箒片手に外に出ると、
そこでばったりと原田さんにかち合った。
いつも通りの笑顔。
私も片手を上げて、笑いながらそれに応じた。

私は結構粘着気質なので、
ちょっと前まで殴られたことを根に持っていたが、
原田さんは基本的には良い人だ。
何と言うか、頼りになるお兄さんみたいな?
男らしいのに茶目っ気があって、結構好感が持てる。
今では最初の警戒心をすっかり排除して接している。

お出掛けですか?と聞けば曖昧な笑い。
…ううむ、怪しい。
昼間っから呑むんじゃないだろうな。
疑いつつも気になることがあるので、聞いてみることにする。


『…あの、沖田の様子どうです?』
「ああ。まだ部屋に閉じこもりっきりでな。
平助がまめに声掛けに言ってるが…出て来ねェ」
『…そうですか…』


先日の一件から、めっきり沖田の姿を見なくなった。
数日前にそれとなく平助に聞いてみたら、
やっぱり原田さんと同じ返事が返って来たのだが…
未だに篭っていて、様子に進展はないらしい。

私と原田さんは揃って溜め息を吐く。
原田さんは前髪を軽く掻き上げながら物憂げに言った。


「土方さんの言いたいことは分からなくもねェが…
あの言い方は、逆効果ってもんだろ」
『そういえば沖田って、近藤さんに心酔してますよね。
あのときも「近藤さんに言われるならともかく」って…』
「ああ。本当の兄弟みたいに育ったからな。
今更引き離されるってたって、納得しねェだろうよ」
『本当の兄弟みたいに?』


首を傾げて尋ねると、原田さんは説明してくれた。
沖田は試衛館の内弟子で、幼い頃道場に預けられ、
そこで近藤さんと出会ったらしい。
彼を親代わりというか、年の離れた兄のように慕っている。
そのせいか、近藤さんの言うこと以外は全く聞かないらしい。

まあ、他人に辛辣な沖田が
近藤さんに対しては柔らかくなることからそれは窺える。
…近藤さんが好きだから、土方さんと彼が仲が良いのが嫌なの?
だから土方さんの言い分には納得出来なくて、
唯一言うことを聞く近藤さんに諭されそうになって逃げた?
近藤さんを慕う理由は分かったけれど、
本当にそれだけの理由で土方さんを嫌っているのだろうか。

何となく、それだけじゃないような…
静かに考え込んでいると、原田さんの楽しげな声が降って来る。
彼はにやりという擬音が似合う笑顔を閃かせていた。


「総司が気になるか?」
『…っは、いや別に…、気になるって程じゃ…。
ただ何となく、あいつが元気なかったら調子狂うっていうか…』
「ほお?」
『いつもの嫌味がないなんて、らしくないし…
そ、そりゃ私が気にする道理なんてないですけど、』
「響」


慌てて弁解めいた言葉を繋げようとした私を、
静かでゆったりとした響きの原田さんの声が制す。
私は、ぱっとその顔を見た。


「部外者だとか、関係ないとか、そんなこと言わなくていい。
俺達はお前にそうやって心配されること、嫌な気はしてない」
『…え、っと』
「多分、総司もな。そうやって自分を気にしてくれる奴がいるって、
結構幸せなことだと、俺は思うんだがな。…違うか?」
『……ち、違わない、かな…私は』


だろ?と笑う原田さんに顔に朱が走る。
私はあんまり経験がないけど…
自分を大切に思ってくれる人がいるなら、嬉しい。
嬉しいけど…本当に沖田は今、そう思う?
不機嫌なときに構われたって、鬱陶しいだけじゃないかな。
ただでさえ今は、不安定なときなんじゃないの。

少ししゅんとした私の頭を、優しく撫ぜる手がある。
その瞬間、私の脳裏に一月程前の出来事が蘇った。
桜が舞う木の下で、微笑んでくれたのはあの人。

―――ありがとうな。

浮かんだ残像を、咄嗟に振り払う。
最近の私は、おかしい。
沖田のこと心配な筈なのに…
今話しているのは原田さんなのに、
ちょっとした仕草からすぐ違う人を連想してしまう。


「まあ、近藤さんも部屋に行って話してるみたいだし…
あいつもきっと、すぐに元気になるさ」


煩悩を打ち消さんと強く箒を握る。
気も漫ろな対応をするのは、相手にも当人にも失礼だ。
そう、ですね…そうだといいんですけど。
私は自分の思考を恥じて、俯きがちにそう答えた。


******


少しばかり立ち話をして、
原田さんが立ち去った後も掃除を続ける。
するとこちらに向かって歩いてくる人の気配を感じ、
その気配が近くで止まると、私は顔を上げた。
そこにいたのは、見覚えのある一人の隊士だった。


「…お前、月島とかいったな」
『はい、そうです。貴方は…殿内さん?』
「そうだ」


発言の仕方は居丈高で傲慢そのもの。
私の嫌いな、典型的な武士の型。
むっと寄りそうになる眉根を押さえて返事をする。

殿内というこの男、
確か芹沢さんや近藤さんより後に浪士組入りして、
一つの派閥のようなものを作っていると聞いた。
何でも隊士のまとも役をしているらしいが、
相対するときの人との接し方が傲慢で、好きになれない。
振る舞いや言動も本当に「そのもの」だった。

そんな男が、私に一体何の用がある?
警戒心を多少滲ませながら男を見やる。
殿内は、怪訝そうに表情を歪ませていた。


「お前は芹沢さんの小姓だろう?
近藤の子飼いの連中と何故つるんでいる?」
『つるむって…私は浪士組内の徒党に入った覚えはありません。
対人関係を貴方に牽制される筋合いはないんですが?』


この男の口ぶりと素振りは、
どう考えても偶然通り掛かった風じゃない。
子飼いの連中、という言葉が指すのが原田さんなら、
私と彼の遣り取りを聞いていたに違いないだろう。

…いけ好かない。
そんな思いから、私の口調もつい喧嘩腰になる。
殿内は口応えされたことで気分を害したらしく、
目に見えて機嫌を悪くしながら、私をきっと睨み付けた。


「あのような百姓上がりの者とつるむなぞ、
貴様も同じように品位の欠片もない人間らしい。
もう少し考えて行動せねば、いずれ必ず痛い目を見るぞ…!」


脅しにも似た台詞を吐き捨てて去って行く。
言いたいことを言い逃げしていく背中に、
べっと内心舌を出して、冷めた目をしながら見送ってやる。
私が誰と仲良くしたって勝手じゃないか。何が痛い目だ。

百姓、つまり品位がないに繋がるなら、
威張り散らして権力を笠に着る方がよっぽど品がない。
貧しくたって人の心は高潔でいられるものだ。
局中法度で近藤さんだって局長という地位に着いてるのに、
芹沢さんだけ「さん」付けしてへいこらするなんて意地汚い。
そういうところが気に入らないのだ。

芹沢派と近藤派。
後から浪士組に入った殿内派。
何処にも属さない中間層。

会津との資金問題だけじゃなくて、
内部までごちゃごちゃしてきた浪士組の様相に、
私の口からは自然と溜め息が零れ落ちていた。

もうすぐ四月になろうというのに…
まだまだ「春」は訪れないらしい。