- ナノ -



ドタドタドタバタバタ!
苛立ちの赴くまま、私は足の裏を鳴らしていた。
日頃なら絶対にしないが、今は別だ。
けっと唾を吐き捨てたくなるくらいに苛立ちが募っていた。


『あ〜、信じられない。本ッ当信じらんない!!』


初め呼び出されたときからおかしいとは思っていたのだ。
今回の件は私にはほとんど否はないというのに…
比率で言ったら三対七くらいで芹沢さんが悪い方が多い。
それなのに少しいいですかと来たので、何か別の案件で用があって
どちらかといえばそちらが主なのだと当たりを付けたが正解だったらしい。

しかし、まさか浪士組に入れと言われるとは…
その申し出は流石に予想外で思わず呆気に取られてしまった。
女ということは見抜かれているだろうから、それはないとたかを括っていた。
油断していたところに打ち込まれた弾丸と言うべきか。

虚を突かれたことに苛立っているわけではない。
年の差と人生経験が違い過ぎる…
こんな小娘の意表を突くなんて向こうにとっては片手間だ。
私も山南さんや土方さんを手玉に取れるなんて夢にも思っていない。
苛立ちの理由は、別にある。


『何が剣の才能だっ!全然嬉しくない!そんなもん糞食らえ!』


山南さんに言われた…私には剣の才能があると。
鍛えれば沖田や斎藤にも匹敵する剣の遣い手になれると。
それはきっと、他の剣客からしたら最高の栄誉と賛辞なのだろう。

だけど、私は微塵も嬉しくなかった。
寧ろ感じたのは嫌悪と不快な感情ばかりだ。
腰に差した刀が小さく脈打った気がして、全てが勘に障った。

私は刀なんて使わない。
こんなもの、絶対に振るってやるものかと思っている。
私にとって剣術なんて忌み嫌う対象でしかない。
人斬って、殺して、生命を終わらせて。
大嫌いな武士という存在が扱う、殺人術。
その才能があると言われて喜べる筈がない。

その上、山南さんは言った。
「男」なら自分の限界を試してみないかと。
私の性別を見抜いているくせに、いけしゃあしゃあとのたまった。
私の詐称を逆手にとって、逆に逃げられないよう利用してきたのだ。

その瞬間、私の中で山南さんの印象が確定した。
あの人は相当の策士…狸だ。
絶対にまともに相手取っちゃいけない。勝ち目はない。
自分の流れを乱されたら、その時点で負けだ。頷くしか出来ない。


『何あの人…狐狸妖怪?滅茶苦茶怖いんですけど』


山南さんが言いたいことは分かっていた。
私を浪士組に引き入れようとしてきた瞬間、ぴんと来た。
芹沢さんの動きを探るための駒にしようとしている…
眼鏡の裏で光る瞳の輝きに、本能的にそれが分かった。

芹沢さんの小姓を続けさせても良し、辞めさせても良し。
続けるのならば隊士ということは伏せて、今まで通り過ごして
芹沢さんが危険な行動を見せたときに素早く報告を行う。
辞めるなら隊士とはっきり伝えて、その上で芹沢さんの下に配置すればいい。
どう転んでもすることは間者のようで、失敗して芹沢さんに叩かれるのは私だ。

何て悪どい…そして狡猾。
しかも得をするのはそっちばかりだ。
私は曖昧な立場にいることは許されなくなり、
何かあればすぐに切腹になる危険な立ち位置にいざるをえなくなる。

それが山南さんの性格なんだろう…
土方さんはまだ良い方だ。
だが、二人の性根はしっかり作成した規律に染み付いていた。
体現していると言ってもいいかもしれない。


『…絶対、御免だね』


だから、はっきり言ってやった。
「死にたくない、人を斬りたくない」
故に浪士組に籍を置くことは断固拒否します、と。
ここまで明確に拒絶してやれば、それ以上進言はしてこないだろう。

私は生への拘りを隠すつもりはない。
死にたくない、生きたいと命乞いをしたりする様は
武士や人間としては無様かもしれないが、それの何が悪いのだ。

誰だって死にたくない。死ぬのは怖い。
そんなものは当たり前で、隠す方がどうかしている。
見栄張って意地張って、それで死んだら元も子もない。
生き死にに綺麗も汚いもない、死んでしまったらそれで終わりだ。
生き様に固執したがゆえに死ぬなんて、そんなの馬鹿馬鹿しいじゃないか。

私は嫌だ。


「何が御免なのだ」
『ひょわっ?!…さ、斎藤?!』
「そうだが」
『吃驚した…急に背後に立たないでくれる?!』
「…す、すまん」


私の独り言を拾ったのか、疑問の声が投げられる。
完全なる不意打ちだった。
誰かに話しかけれるなんて予想していなかったから
自分でも吃驚してしまうくらい変な奇声が口から零れてしまった。

私はさっと後ろを振り返り、きっと声の主を睨んだ。
気配なく近付いて声を掛けたりしたら驚くじゃないか。
そう言うと、斎藤は心無しか落ち込んだようにしゅんとした。
…いや、無表情だからあんまり分かんないんだけど。


『…え、えと…いやごめん。吃驚しちゃったからさ』
「悪かった。いきなり声を掛けたら驚くのも当然だ」
『え…ああ、うん…えと…そうだね』


何か、素直なんですけどこの人。
沖田とか平助だったら絶対ふてぶてしい反応するのに…
斎藤は拍子抜けするくらいあっさり謝って、小さく頭を下げた。
逆に反応に困る。


「…何が、御免なのだ?」
『え?』
「絶対に御免だと言っていただろう」
『ああ…聞いてたんだ』


どうやら独り言を聞いていたらしい。
そう言うと「盗み聞きのつもりはなかったのだが…」と斎藤が呟く。
私は慌てて、怒っているわけではないと告げた。

思えば、私は斎藤とはあまり話したことがない。
必要以上に絡んでくる沖田、私自ら近付いて平助…
後は原田さんとかと、用事があるときに話す程度。
斎藤に必要な用事があるなんてことはほとんどない。

嫌いなわけではないのだが…
斎藤の持っている雰囲気というのは聊か居心地が悪い。
何と言うか…中てられるっていうのかな、その気迫に。
無駄口を利かない、余計なことはしないって所は好ましいのだが。


『…あのさ、斎藤は死ぬときは綺麗に死にたいと思う?』
「?…質問の意図がよく分からんが」
『例えば敵に追い詰められたとするでしょ?』
「追い詰められなければいいだろう」
『だから、例えばよ。その時に命乞いすれば相手が助けてくれるって分かってて…
尚且つ、自害する隙はある。斎藤だったら、その時どうする?』


私は不意に、斎藤に答えを求めた。
浪士組の噂を聞いてここまで足を運ぶような人だ。
剣客には珍しい左利き、そして人を斬ったことがある。
その上土方さん達が期待する程に強い居合いの達人。

とあっては、私の欲しい答えをくれるだろう。
私は生き死にの清濁には拘らない性質だ。
みっともなく命乞いして助かる命なら、そうすればいい。
しかし、私の考えの方が稀と言うことも分かっている。

多分、斎藤も他の人と同じ…


「あんたはその時、命乞いをしてでも助かりたいか?」
『うん。見栄や意地や矜持の為に死ぬなんて嫌だからね』
「俺は…そうだな。出来ることなら、綺麗に死にたいとは思う。
武士にあるまじき姿を晒し、情けなく生に縋りたくはない」
『…そう』


ほら、やっぱりそう。
それが普通なんだ。
実際に死に直面したときどうするかはともかくとして、
誰もが理想として「綺麗な死に様」を語る。


『そう、だよねやっぱり…それが……』
「だが俺は…そんなに強い人間ではないのだろう」
『……え、』


予想外の答えも返って来た。
…斎藤が弱い?何の冗談だ。
強いじゃないか、沖田と研を競うくらいだ。

斎藤の強さは素人の私でも分かる。
彼を相手取れる者の方が確実に少ない。
弱いなんて、そんな形容斎藤には全然似合わない。
私のそんな気持ちを感じ取ったのだろう、斎藤は目を細めた。


「剣の技量云々ではない、精神の問題だ」
『……それも、弱いとは思えないよ。少なくとも、私よりは』
「そんなことはない。俺はあんたが思う程完璧な魂など持っていない。
敵兵に殺されかける間際、負傷した時…見苦しくのた打ち回らない自信はない。
今そうしたいと望んでいても、敵を前にすれば命乞いしない自信もない」


斎藤は私から目を逸らして、ふっと空を見た。
何かを思い出すような遠い眼。
私は自然と斎藤の様子に魅入ってしまっていた。


「…死は、一瞬だ。それまでどんなに足掻こうとも死ぬ時は瞬きにも満たない。
その死を綺麗に飾り付けることは、そう難しくはないだろう。
だが俺は…美しく死ぬよりも、美しく生きたいと思っている」
『…美しく、生きる?』
「綺麗に死ぬことよりも、綺麗に生きることの方がきっと何倍も難しい。
己が描く武士の生き様を体現するように…俺は生きたい」
『…』
「あんたは言ったな、月島。見栄や意地の為に死ぬのは嫌だと。
だが俺は、見栄や意地の為に生きることを嫌な生き方とは思えない。
例え死に方が無様だろうと、それまでの生き様が美しければ…
その者の死に様も、きっと見れないものではないだろう」


死ぬのは、簡単。
その気になれば今も、腰の刀で咽喉を切り裂けばいい。
一瞬にして、この身に死は訪れるだろう。

でも、生きるのは難しい。とても難しい。
生きることには苦しいことも、辛いこともついてくる。
その全てを内包したまま、斎藤の言う綺麗な生き方をすれば…
土方さんみたいに、自分の信念を貫くような生き方をすれば。

きっと、悪くない人生になる。
きっと、生に縋ろうとも無様ではない。
大事なのはどう死ぬかじゃない…どう生きるかだ。
そう、言われたような気がした。


『…うん、そうだね。きっとそうだ』


何だか不思議だ。
斎藤の言葉は妙にすんなり私の中に入って来た。
今までは誰に何を言われても一蹴の下に済ませてきたのに。

あまり会話しないからこそ、有り難味があるのかな?
ふとそう思って、斎藤に小さく笑い掛ける。
斎藤も笑っているか笑っていないか微妙なところだったが、
小さく口角を吊り上げてくれた。…気がした。