- ナノ -

穢れなきは



「おおきに、お頼申します」


店の内装は、外装よりも華やかだった。
鮮やかな色彩の壁や格子は目に新しい。
絢爛豪華、という言葉が見事に当てはまる。

座敷に腰を下ろし、打った腰をしきりに擦る。
これ絶対打ち所悪いね。やせ我慢すんじゃなかった。
ぶつぶつと不満を零しつつ、大人しく座っている。

揚屋に舞妓や芸妓を呼ぶ為には、逢状という手紙を置屋に出す必要がある。
それを受け取って初めて、女性が座敷へやってくる。
その逢状を出してしばらくすると、すっと襖が開かれた。
現れたのは美しく着飾った芸妓達。
彼女達は入り口で三つ指をついて、それぞれ挨拶をした。

新見さんは意気揚々と上等の酒や料理を芹沢さんに出すよう指示していた。
彼に言われて、どっかりと腰を下ろしている芹沢さんの傍に数人の芸妓が近付く。
女の人を侍らせているのは満更でもないのか、幾分か上機嫌だ。
これで少し安心しても良さそうなものだが…
いつ怒り出すか分からない以上、近くにいた方がいいだろう。


『あれ、沖田。あんたが芹沢さんの近くにいるとか、珍しいね』


嫌々ながら芹沢さんにちょっとだけ近付こうとして移動すると、
何故か沖田がすぐ近くに陣取っていて、きょとんと目を丸くする。
近藤さん大好きっ子の沖田が近藤さんを侮辱した芹沢さんの傍にいる…とか。
珍しいこともあるものだね、明日台風かもしれない。


「別にいいじゃない。今のところは、喧嘩吹っかけるつもりはないよ」
『今のところって何さ。いつかは吹っかけるみたいじゃん』
「さあ、どうだろうね?」
『どうだろねって…止めなさいよ』


こいつ、冗談で言ってんの?
それとも、本気でいつかはとか思ってんの?
悪戯っぽく笑う沖田の真意は読めない。
読めないから、性質悪い。

私はふん、と肩を竦めると箸を取った。
目の前にある膳は見たことがないくらい豪華だ。
うう…貧乏生活を強いられて十八年、本当お目に掛かったことがない。
浪士組もかつかつだから、これは奇跡にも思える。

ごくり、と自然と咽喉が鳴る。
食べたい…けど、本当に食べていいのかな?
染み付いた貧乏性が憎い。思い切って食べりゃいいのに。
そわそわしながら料理を凝視していると、横から小さな笑い声が上がった。


「気にせんと、召し上がって下さってええんどすよ?」
『あ…。そうなんだ?』
「へェ。どうぞ」


私の隣にいたのは、可愛らしい舞妓だった。
長い睫毛に縁取られた大きな黒い目が幼さを強調している。
私より少し年下だろうか、あどけなさが残る。
しかしその容姿は可憐さ極まる、と言わんばかりに輝かしい。

少女はくすくすと口元を押さえて笑っている。
うわぁ…何か恥ずかしいなぁ。
年下の子の前で貧乏丸出しとか…完璧に田舎者じゃん。
羞恥にぽりぽりと頬を掻き、その後気を取り直して食事を口にした。


『ん〜っ!美味い!』
「ほんまどすか?」
『さっすが高そうなだけあるね、頬っぺた落ちそう』
「そない喜んで貰えたら、作り甲斐もあるやろなぁ」


そうかな?と返答しながら料理を口に運ぶ。
あ〜もう、幸せ!美味しい物食べてると幸せ。
嫌なことなんて忘れるね。
ほわほわと良い気分になりながら、食に没頭する。

そこでふと「君は食べないの?」と少女に声を掛ける。
流石に女の子にあんたは気が引けたから、配慮してみた。
すると少女は、眉を下げて首を振った。


「芸妓や舞妓は、お座敷で物は食べれへんのどす」
『へェ…そうなんだ』
「お母さんに言われとりますさかい…」


そんな決まりがあるのか。
女性達は何も食べようとしないから、おかしいなとは思ったんだけど…
お座敷に上がる上でも、面倒な決まりがあるんだぁ。

そう思うと、何だか箸が進まなくなってきた。
いや…食べられないっていう子を前にしてバクバク食べるとか、
それ程無神経な人間じゃないつもりなんだよ、一応ね。
お腹は空いているというのに、速度は落ちる一方だ。

「どないしはったん?」と掛けられた言葉には「いや〜…別に」と軽く返す。
しかし彼女は私が食べ進めなくなった理由に気付いたようだ。
慌てたように、困ったように進言してくる。


「うちのことは気にせんといて下さい。いつものことやから」
『あ、いや…私は別に…』
「お侍はんが美味しそうに食べるの見とったら、満腹や」


そう言ってくすりと笑う少女の笑顔の、それはそれは可愛いこと。
思わず口をぽかんと開けてしまった。
いや、私に女色の気はないんだけど…可愛いものは、好きだ。
平助然り、目の前の少女然り。
ぎゅ〜っと抱き締めて悶え苦しみたい衝動に駆られた。

あはは、と笑いながら改めて箸を取り直す。
そんなこと言われたら食べないわけにもいかないしね、うん。
あ、やっぱり美味しい。

しかし、気になることが一点。


『あのさ、お侍さんってのは止めてくれないかな』
「え?」
『私はただ護身用程度に刀差してるだけだからさ、』


名前で呼んでくれたら、嬉しい。
私はそう言いながら、少女に向かって笑顔を見せた。
武士は嫌悪の対象だからか、自分も同類と思われるのはどうも嫌だった。


『私は、月島響。君は?』
「…う、うちは……こ、小鈴いいます……」
『小鈴ちゃんか。可愛い名前』


彼女の声は鈴を鳴らしたような響きをしている。
名前はその人を体現するというが、全くその通りだ。
私は目を細めて少女を見る。

すると、少女の頬は熟れた果実のようにみるみる真っ赤になった。
お、良い反応。平助並。
照れてるのかな、とその可愛い反応に微笑ましさが込み上げる。
私は何となく加虐心をそそられて、にやにやと赤くなっていく頬を見つめた。

途端、ぱっと顔を上げて「笑わんといて下さい!」と抗議の声。
案外気の強い子らしい。
しかし、紅潮した頬では迫力は欠片もない。
寧ろ更に可愛らしさを募らせるだけである。


「月島はんこそ、女の人みたいに綺麗な顔してはるくせに!」
『わ、それ褒め言葉?ありがとう。でも君の方が可愛いよ』
「〜〜〜〜っ!!」


私を照れさせようとしたのか。百年早い。
お生憎様と言わんばかりに褒め返す。
言われ慣れていないのか、小鈴ちゃんは更に初心な反応をしてくれた。


「もうっ…!」
『ごめんごめん。からかい甲斐あるから、つい』
「つい、でからかわんといて下さい!意地悪なお人やな!」
『それ、生まれつきなんだよね』


そういう反応みたら、ますます止められない。
昔からこういう性質らしいのだ。
ぷう、と頬を丸くした小鈴ちゃんにとりあえず謝る。
またやるかもしれないから、とりあえず、ね。

そこで、はっと気付いたように小鈴ちゃんはお銚子を手に取った。
「すんまへん、うち気ィ付かんかって…」と慌てた口振りだ。
私は初めこそ、何に対して謝っているのか分からなかったが、一拍後には
お酌をしていなかったことへの謝罪だということに気が付いた。

そっか、そうだよね。
芸妓や舞妓はお酌もお仕事のうちだもんね。
だがしかし、私はお酒を呑むつもりはない。


『いいよ、私は呑まないから』
「そうなんどすか?」
『呑めなくはないけど、あんまり好きじゃなくて』


普段呑んだくれてる新八さんとか見ていると、あまり良い印象はない。
酔っ払って何を口走るかも分からないし、怖ろしい。
だからお酌はしてくれなくていいよ、と笑うと小鈴ちゃんも安心したように笑ってくれた。


「小鈴ちゃん、ちょっとええ?」
「はい。…ほなら、月島はん。また」
『うん、またね』


私は料理を食べながら他愛ない話を続けて、
その話を聞きながら小鈴ちゃんは可愛く笑ってくれて。
久しぶりの女の子との会話は思いのほか楽しかった。

しかし、それももう終わり。
小鈴ちゃんは綺麗な芸妓さんに呼ばれて、私の傍を離れた。
別の人のお酌をしに行くのかな…と少し名残惜しく思う。
もうちょっと話してたかったんだけどな。
寂しく感じながらも笑顔で手を振ると、沖田がぽそりと呟いた。


「…月島君って、意外に手が早いね」
『黙れ』


鳩尾に肘鉄一発。
避けられてしまったが、次は当てる。
小鈴ちゃんの死角から嵌めようとしたから、バレていない筈。
その証拠に彼女の表情は私の視界から外れるまで笑顔だった。

しかし、考えてみれば私は今男の格好してるから…
端から見れば、良い雰囲気とか思われちゃってるのかな。
う〜ん…それは困るかな…。

というか、私は単に癒しが欲しいだけなんだ。
浪士組には基本的にむっさくて暑苦しい男しかいない。
平助は可愛いからいい。うん、可愛いから許す。
沖田も口は悪いが美形だ、斎藤も原田さんも整った顔立ちに違いない。
土方さんは言わずもがな目の保養になるが…所詮は全員野郎だ。

殺伐とした生活を送る私は、同年代の女の子に飢えている。
潤いがないんだ、癒しがないんだ。
少しくらい求めてみてもいいじゃないか。
性別偽ってちゃ風呂も厠も一苦労。
おまけに浪士組の一員と認識されて、町の人には敬遠されてるから女友達は皆無。
誰も私の苦悩なんて分かっちゃくれないんだからさ。

だから手が早いと言われようとも、邪魔する権利は誰にもない!!
と、内心愚痴を零しながら私はひょいひょい料理を食べた。
うぷってなるくらい。