『優しさ』

「なまえちゃん、何か今日体調悪いのか?? 顔色悪いぞ??」
「大丈夫です。長距離移動やったんでちょっと疲れてしもうて……。すんません」

 東京に帰って来て、3ヶ月前から始まった“いつも”も繰り返すために、私はいつも通り梟谷に来て、学校生活を過ごして、いつも通りに部活に顔を出した。いつも通りを振舞おうとすると、それはもういつも通りや無くなってしまうみたいで、普段他人の変化なんか気にしない! ていうような木兎さんにすら心配する言葉を貰うてしまう。



 廊下でさんざん泣いて、泣きはらした顔のまま体育館に行って、稲高の皆にも木兎さんに向けられた様な顔をされた。侑が居らん事と、私の赤い目を見て察してくれた皆は、そこには触れんと、他愛もない会話に努めてくれた。そんな皆の優しさがまた目に沁みてしもうたけど。

「……なまえ。アイツの事、嫌いにならんでくれな」

 帰り際、後を追ってきた治からそんな事を言われた。喧嘩ばっかのクセに片割れを思う気持ちはちゃんとあんねやなぁ。そんな治の優しさにもジンと来る。私の周りはええ人で溢れかえっとう。

「嫌いになんか、なれへんよ。……いっその事嫌いになりたいくらい」
「そっか。……その気持ちは分からんでもない。俺も、アイツと兄弟やから」
「うん、せやな。ありがとう。治。インターハイ、頑張ろうな」
「……なまえも」

 校門を抜けて、校外になった道で稲高を見つめる。稲高にはもうほんまに足を運ぶ事ないなぁ。頑張ってここの生徒になったんに、まさか1年しか通えへんとは思わんやった。制服、気に入っててんけどなぁ。大好きやった稲高に心の中でサヨナラを告げて歩き出す。地元に帰って来ても、サヨナラばっかりや。やっぱり、寂しい。そんな寂しい気持ちもお土産の1つにして、私は兵庫から戻って来た。



「そっか。なまえちゃんが平気なら、いんだけどよ。あんまり無理したらダメだぞ?」
「ありがとうございます。木兎さん」

 木兎さんにお礼を言って、部活に専念する。そんな私に皆はいつも以上に優しく接してくれて、その優しさにも胸が熱くなる。多分、今の私は誰かがちょっとでも涙腺を刺激するような事を言えば、簡単に泣けるんやろうな。そうならんようにするんにいっぱいいっぱいで、赤葦くんの瞳がいつもより多く、長く私を捕らえとう事に気が付かんやった。



「ちょっとあそこに座って良いかな」
「ん? ええよ」

 なんとかいつも通りの日常を終えて、赤葦くんと歩く帰り道。赤葦くんが指差すのはいつの日か2人で座ったベンチで。今度は赤葦くんが奥に腰掛けて、その隣に私が座る。

「どうしたん? 歩き疲れたんか?」
「みょうじさん」
「……ごめん。心配させとうよな、そら」

 そこでようやく赤葦くんの顔がいつもと違う事に気が付く。まぁ当たり前か。やって、木兎さんが私がいつもと違う事に気付くくらいやから。赤葦くんが気付かん訳ないよな。

「赤葦くん、聞いてくれる?」
「勿論。その為に座ったんだから。聞かせて。みょうじさんの話したい事」

 赤葦くんの背中を撫でてくれるような声が、涙腺を刺激する。

「向こうに帰ってな、皆に会って来た。久々に歩く道も、体育館も、関西弁も全部、懐かしくて、楽しかった」
「そっか」
「……んで、1番会いたいて思いよったヤツにも会うてきた」
「宮侑?」

 赤葦くんから侑の名前が出てきて、ビックリしてしまう。そんな感情が表情に出ていたようで、汲みとった赤葦くんが言葉を続ける。

「みょうじさん、宮侑の話をする時だけ表情が違ってたから」
「ほんまに? はは、私って隠し事するん、下手くそなんやなぁ」
「否定は出来ない」
「赤葦くん、正直モンやな。……私、侑の事、ずっと好きやったんよ。小さい時から。でも、侑はバレー一筋なヤツやから、私の気持ちは邪魔になるて、ずっと仕舞いこんどった。そやけど、自分が東京に引っ越すて分かった時、隠しとききらんくなって、侑に告白してん。……せやけど、駄目やった。私、侑とは結構最悪なサヨナラの仕方して、離れたんや。そやのに東京来てみたら侑に会いたくて、辛くて。苦しかった。そんで今回の帰省で会えるてなって、いざ実際目の前にすると、嬉しいのに苦しいみたいな訳分からん感覚になって。それでもやっぱり懐かしい気持ちも確かにあって。不思議な感覚やった。でも、侑に侑なりに抱えとった苦しさをぶつけられて、それに応える様に自分が抱えとった感情ぶつけて。……そんで私、侑に“好き”って言われた」
「……っ、そっか」

 私の話にリズムよく打ってくれていた赤葦くんの相槌が一瞬狂う。その狂いを誤魔化すかのように「それで、みょうじさんはどう思ったの?」と続きを促す。

「侑もずっと好きでおってくれた事に驚いた。……し、戸惑いもした。もう私達は前とは違ってしまっとう訳やし。私は稲荷崎の生徒やあらへんし、侑の側に居る事も出来ひん。そんな私が侑の気持ちに応えて、私達は幸せになれるんか?て思うたら、応える事が出来んやった。そっちの方が侑にとってもええって思うたから。…そやけど、私侑にキスされて……っ、侑の気持ちに押し潰されそうになって……、心が揺らいでしもうた」
「……。うん」

 今度はリズムのズレを隠さへん赤葦くん。そやけど、私の話は止まらない。

「侑が苦しそうにしとうの見て、助けたいて思うてしもうたんや……。でも、そん時赤葦くんからラインが届いて、それのおかげで我に返る事が出来た。結局、侑の気持ちにはちゃんと応えられてへんねんけど。……そやけど、侑と別れた後、赤葦くんのライン見たら、無性に赤葦くんに会いたなった。赤葦くんに話、聞いて欲しいって。そんな我が儘な事を思うた」
「みょうじさんは、」

 静かに聞いてくれていた赤葦くんがゆっくりと口を開く。

「みょうじさんは、ズルイ人だ」
「……そうよな。ごめん」

 そう言われて当然や。侑の事想って泣いて、その感情を赤葦くんにぶつけようとしてんねやもん。自分勝手もええとこやん。巻き込んで、振り回してほんまにごめんな、赤葦くん。

「人の心は簡単に掴むクセに、自分の中身は見せてくれなくて。ようやく見せてくれたと思ったら壊れそうなくらい脆くて。守ってあげたくなる。そんなみょうじさんが、辛い時に俺の事を思い出してくれたなんて聞いたら、俺はどうにかしたいって思ってしまう」
「赤葦くん……」

 赤葦くんを見つめると、赤葦くんも私の事をじっと見つめ返してくる。赤葦くんはどこまで優しいんやろ。

「でも、みょうじさんの事をあんなに楽しそうな表情にする事が出来るのは宮侑だけで。多分、みょうじさんの事をこんなに泣かせるのも、宮侑だけなのかもしれない」
「……かもしれんな」
「だから、俺は嫉妬してる」
「……っ」
「だけど、俺にだって宮侑に負けないって言える事がある」
「?」

 今度は私が黙って赤葦くんの話に耳を傾ける番。

「俺は、みょうじさんの苦しみを受けとめる事が出来る。側に居て、みょうじさんに刺さった棘が抜けるまで寄り添う事が出来る。それは張本人には出来ない事だと思うから。だから、みょうじさん。俺の事利用してよ」
「そんなん……出来ひんよ。赤葦くんの事、そこまで巻き込まれへん」
「俺がしたくてそうしてるんだから。俺が勝手に入り込むんだよ。俺だって自分勝手な感情を持ち出してる。俺だってズルイ人だ。宮侑の事もあって、混乱してるかもしれない。でも、俺は本気だから。考えてみて欲しい」

 赤葦くんが持つ優しさは、私の感情を揺さぶるには十分過ぎる。


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