『棘』

「侑……」

 治から私が部室に居る事を聞いたのか、蹴破る勢いで開けたドアの側に侑が居る。ランニングで流した汗すらそのままに。久々に見た侑は何にも変わってなくて、それでいて懐かしい。侑の姿を捉えた心臓が待ち望んでいたように高鳴る。

「元気、やったか……?」

 何を言えば良いのか分からんくて、そんなしょうもない事を口走る。でも、それ以外に何て言うたらええか全然頭が回らん。幼馴染やのに。前までは無言ですら心地良かったのに。今は2人きりいう事にゾワゾワする。

「なまえ……。なまえ」

 侑は噛み締めるようにゆっくりと何度も私の名前を呼ぶ。どんな感情が侑をそんな表情にさせるんか、私は知っとう。そやけど、何で侑がそんな顔するんかは分からん。やって、私、侑に振られてんで? なのになんで侑がそんな苦しそうな顔するんよ。その顔を見てられんくて、私は侑から視線を逸らす。

「インハイ出場おめでとう。私も転校先の高校がインハイ決めたからお互いに頑張ろうな。……私、今元気にやってるから。侑も元気でこれからもバレーするんやで。ほんなら私、体育館に居る皆に声かけて帰るわ」

 会いたいて思うたハズなのに。侑に会えて、心臓はバクバク音を立てて喜びを訴えてきてんのに。それが苦しい。私はその苦しみから逃れたい一心で、侑の顔を見んとそんな事を早口で捲くし立てて侑の横を通り過ぎようとした時。

「えっ、」

 横を通った私の腕を侑の腕が掴む。体がぐらついて、そのまま侑の腕の中に閉じ込められる。

「あつむっ! 離してっ」
「嫌や。離したない」
「ちょっ、ホンマに……っ!」

 どんだけ身じろぎしても侑の拘束は解けない。それどころか、もっと強くなる。バクバクいいよった心臓が今まで以上に早鐘を打ち立てる。アカン、クラクラしてきた。思考がショートしてしまった私は、侑の腕の中で大人しくするしかなくなってしまう。……初めて会うた時はここまで身長差なかったハズなのに。大きなったなぁ。抱き締められると分かるわ。そんな所に思考を飛ばしながら。

「なまえってこんなに小さかったんやな」

 なんやの、急に抱きしめてきた思うたら。考える事一緒か。

「侑が勝手に大きくなっただけや」
「1cm以上背、伸びたで。なまえが居らん間に」
「そっか……」

 侑の手が私の頭を撫でる。それだけでバクバクいうとった心臓が少しだけ落ち着くから、不思議なモンで。この空気感はやっぱり侑とでしか味わえんなぁ。一気に懐かしい気持ちが戻って来る。不思議やな。私、侑と3ヶ月前にこっ酷いサヨナラの仕方したのに。なんで今抱き締められてんねやろ。

「侑、そろそろ離して?」
「嫌や。お前勝手に俺の前から消えやがって。お前、俺の側にずっと居るんとちゃうんか。俺がバレー続けとう限りは俺の側に居ってくれるんとちゃうかったんか。なぁ」

 幾分か緩んだと思っていた侑の腕に力が篭る。私を抱きしめる侑のゴツイ腕。弱々しい侑の声。全身全霊をかけて侑が持っている苦しみをぶつけられる。

「そんなん……、私かてそうやて思うてた。まさか15年以上過ごした土地を離れる事になるとか……思わへんやん。侑の側から離れる事になるとか私かて想像出来んかったわ……!」

 侑の苦しみを受け入れる隙間は今の私には無い。せやから、お互いに苦しみをぶつけ合う。

「ずっと気持ち仕舞いこんで侑の側に居った。好きって言ってしまったら、侑の邪魔になるて思うたから。侑が精一杯バレーに集中出来るようにしたいて。せやけど、結局は自分勝手な事情を侑に押し付けた……。侑、あん時“好き”て言うてしまってごめん」

 溢れてくる涙を侑のTシャツに押し付ける。侑の汗と私の涙で侑のTシャツはぐっしょりと濡れてしまっている。それでもおかまいなしに私は侑に縋りつく。

「俺の事を好きて言うた事、謝らんといてくれ。そんな寂しい事言わんでくれ……。俺、あん時なまえに好きて言われて、パニックになってしもうてた。全力でバレーやりたいて思うてたし、そうする事でなまえが喜んでくれるし、ずっと側に居ってくれるて、信じて疑ってへんやった。せやから、いつか俺からちゃんとなまえに好きやって言うつもりやった。そんで、俺はなまえと結婚するんやって、そう決めてた。それやのに、なまえが急にぶっこんで来るから。頭の中真っ白になった。何でそんな事急に言うんや? て思うたし、俺は俺なりに、ちゃんとなまえのこと考えとうのに、とも思うた。今言わんと後悔する? それはお前の都合やんけ。てテンパッた頭でそんな事考えよった。今思えば自分勝手なんは俺の方やって分かる。ほんまに、あん時はごめん。なまえの事考えんと、傷つける言葉言うてしもうた」

 侑も私の事好きで居ってくれた……? バレー一筋の侑が? そんな……まさか。想像してへんやった言葉に顔を上げて侑の顔を覗く。ようやく侑の顔を見つめた私の瞳を侑の瞳が離してくれない。

「あん時なまえに言われた言葉がずっと突き刺さっとう。それがお前が居らんようになってからズキズキ痛い。俺にはどうする事も出来ん。なぁなまえ。俺にもう一遍“好き”って言うて。“嫌い”て言葉で終わらせんといて。なまえ。俺は、今でもなまえの事が好きや」
「侑……」

 あの侑が、私の事を好きて言うてくれたのに。侑の願い事にうまく答える事が出来ない。侑の名前を呼ぶことしか出来ない。
 私の気持ちを戸惑わせるのは、昔とは違う環境や、距離で。……今はもう、前とちゃう。前まで当たり前にあった“いつも”はもうここに無い。そんな状態で、侑の問い掛けに応じて、私達は幸せになれるんか? 私は侑の側に居る事が出来ん。

 なぁ、侑。私等が分かり合おうとするには、遅過ぎたんかな。

「なぁ、侑。私達、遅過ぎたと思う。私と侑はもう、遠くに離れてしもうたんや。簡単に埋まる距離とちゃう。それに、私はここの生徒とちゃうし、侑の隣で侑を応援する事も出来ん。多分、もうこっちに帰って来る事も無いと思う。今こうして会えるんが最後や。……侑、私の事好きて言うてくれて、ありがとう。私、侑がバレーしとう姿見るのは好きや。せやから、これからも遠くで眺めさして貰うな。会えて良かった。バイバイ、侑」

 侑の肩を押して腕の中をすり抜けて、ドアに手を掛ける。もう、これでほんまにサヨナラや。最後にちゃんとお別れ出来て良かった。……あぁ、なんで振り向きたくなんねやろ。何でもう1回侑の顔見たいて思うてまうんやろ。アカン。振り向くな。

 白くなるくらい手に力を込める。侑、バイバイ。心の中でもう1回呟いて足を踏み出す。

「“好き”以外の言葉で終わらせんな!」

 その言葉が耳に届くと同時に私の体が反転して、侑の顔を映す。しかも、近距離で。そして、そのまま侑に口付けられる。

「っ!? あ、あつむっ、」
「あん時みたいに逃げられんのは嫌や。今日は離さへん。後悔するて分かっとうから。好きて言うまで帰さん」

 侑の唇が離れたか思うたらそんな言葉を告げて、また私の唇に合わさる。息が出来んくらいに長く、深く。

「〜っ、ん〜!」
「なぁ、好きて言うて。なまえ」
「やっ」
「嫌や無い」

 何度も何度も熱をぶつけられて、目じりに涙が溜まる。何で、こんなに心が苦しいんやろう。苦しいのに、逃げる事も出来ひん。侑の苦しみが痛い位に分かるから。侑、私……。

 その時、携帯が短く2回振動した。その振動が私を我に返らせて、咄嗟に侑と距離を取る。

「ごめん……っ」
「なまえ!」

 私は勢い良く部室を飛び出した。侑に新たに植えつけられた棘を抱えたまま。結局、侑の願いに答える事は出来ひんかった。



 廊下の途中で立ち止まって、壁にもたれ掛かる。唇がジンジンする。走った事でバクバクいうとる体よりも唇の方が熱くて、手の甲を唇に当てて熱を逃がそうとする。心を落ち着かせる為に、携帯を取り出してラインを開く。

 1番上には“赤葦くん”の文字が来ており、隣に“2”が表示されている。その欄をタップしてみると、前に木兎さんの為に買うたプロテインの写真が1通と、“駅の裏口側の通りにあるお店にもあったよ。今度帰りに一緒に行こう。”という文章が1通。

「赤葦くん……」

 そのラインを見た途端、奥に引っ込んどった涙がまたボタボタと流れだす。握り締めた携帯を額に押し当てて、私は嗚咽を漏らしながら泣き続ける。

「赤葦くん……、どうしよう。私、どないしたらええ?」

 赤葦くんに会いたい。会って、話を聞いて欲しい。なんで……。なんで私赤葦くんに会いたいて思うんやろ。侑に会いたいて思うてみたり、赤葦くんに会いたいて思うてみたり。私、ズルイ奴やん。ほんまに、自分勝手や。


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