『むかしばなし・4』

「なまえも今からやったら向こう行っても2年の始まりからキリ良く転校出来るやろうし。丁度ええかなて思うとる。春休み中に色々と準備出来るしな」

 職場から帰って来たお父さんからそんな話を聞かされて、頭に全部入れる事が出来んまま自分の部屋に戻ってベッドに横たわる。

 東京かぁ。まあ、大学はそっち行こうて思うとったし、そんまま就職も東京で、て思うてたし、丁度ええっちゃあ、丁度ええか。それに向こうの高校に転校するんやったらマネージャーとして正式に入部も出来るやろうし。バレー……。そっか。転校って事は、稲高の皆と……侑と離れるて事になるんか。

 それを理解した途端、今まで必死に蓋してきた感情がせり上がってきて、蓋を内側から思いっきり蹴破ってきた。

「侑……。私、離れたない……。侑、あつむ……」

 感情が涙に変わって、両目からボタボタ溢れる。その涙を拭う事もせんで、居ない相手の名前を空で呼ぶ。呼んでみた所で本人からの返事はない。それでも私は口にするだけで心臓が苦しいような、ギュッとするような、そんな感覚に縋った。



「おはようさん。治は用事があるとかでいつもより早めに行ってしもうた」

 いつもの時間に目が覚めて、いつものようにご飯を食べて準備して家を出ると表札のある外壁に寄り掛かった侑が居る。泣き続けた夜を越しても朝は変わらずにやってくるし、そこにはいつものように侑が居る。いつものように。やけど、今までそこにあった“いつも”はもう少しで居なくなってしまうんやなぁ。そう実感すると空になったハズの涙が湧き上がってきて涙腺を刺激する。

「なまえ? どうした?」
「……なんでもない。行こか」
「ふうん? ならええけど」

 目に力を入れてグッと堪えて歩きだす。侑は一瞬だけ不思議そうな顔をした後、直ぐに私に追いついて半歩先を歩く。この距離感が堪らなく心地良えなぁ。そんな事を噛み締める様に思いながら。急にカウントダウンが始まった道を侑と一緒に歩いた。



「なぁ、やっぱり今日のなまえ変やで? 俺が何か言うても“うん”、俺がボケても“うん”やし。何か変なモン食ったんか?」

 学校に着くなり侑からそんな言葉を改めて投げかけられる。

「うん……いや……」
「なまえ」

 さすがにおかしいと思ったのか、私の右腕を掴んだ侑から目線を合わされる。見つめんで。そんな距離で、私を見んな。その目が私は堪らん好きなんやから。

「なぁ。なまえほんまにどうしたん? いつもより難しい顔して。気持ち悪いで?」

 侑はそんな言葉をいつもと変わらない様子で問うてくる。ほんまはちゃんと心配してくれてんねやろ? 知ってる。アンタ、素直やないもんな。いつもやったらそんな言葉に「うっさいボケ。年頃の女子にキモいとか言うなや人でなし」とかそれくらいの負けへん言葉で応戦したと思う。
 でも今日はそれが出来ひん。“いつものように”そう何年と感情をガードしてきた理性がどうにか振る舞おうとさせるのに、本音を閉じ込める事でいっぱいいっぱいや。

「なまえ? 大丈夫か? 体調、悪いんか? 熱あんのとちゃうか?」

 何も言わない私にさすがに本当におかしいと思った侑が私の額に手を当ててくる。侑の手、いつのまにこんなにおっきくなったんやろ。マメだらけでゴツゴツしてんなぁ。それにあったかい。

 侑に触れられた瞬間、理性は吹き飛んでいった。理性なんか本能を前にすると弱いもんや。

「侑」
「ん?」
「好きや。私、侑が好き」

 ポロリとこぼれ落ちるように本音が口から出て行く。

「……は?」

 侑の大きい手によって、額と共に覆われた瞳を伏せて言葉を吐き出す。

「今、なんて言うた? なまえ」
「せやから、私は侑の事がずっとずっと、ずっと好きやったんや。周りの女子が侑のカッコ良さに気付く前から。私はとっくに! 侑に惹かれてたっ。私は……私は! 侑の事が好きで好きでっ「なんでっ、」

 瞼の向こう側が明るくなると同時に額にあった温かさがなくなって、冷たい風が熱を奪っていく。

「何で今そないな事言うんや! 勝手に……勝手にそんな事言うて来んな! 今はバレーを全力でやりたいて思うとう事、なまえは分かってくれとうて、思ってたのに。なんやの、それ」

 侑の言葉が怒気を含んでいる。目を開いて目の前に居る侑の姿を捉えると、表情も強張っていて。怒っとうのが伝わって来る。でも、そんな姿に怖気ずくような気持ちやないんよ。こっちも。

「そんなん……っ! 苦しいくらいに理解しとる! そうやけど……けど! そう思って今この気持ち言わへんやったら私、一生後悔するて思ったんや! やから……っ、」
「そんなん自分の都合の押し付けやんか! 自分勝手もええとこやんけ!」
「〜っ、もうええっ! 侑なんか大っキライや!」

 分かり合えないまま、私は侑の横を駆け抜けて校舎へと逃げ出す。

「ちょっ、なまえ! 待て!」

 そんな言葉を背中で受けながら。溢れてくる涙を拭きもせんとひたすらに走った。ああやってもうた。もうお終いや。結局言うた所で後悔するハメになったなぁ。アホみたいや。私。あんな言葉言われたのに、まだ侑の事が好きで堪らん。

「なまえ?」

 考えずに走りよったクセに体は勝手に体育館へと足を向けとって、立ち止まった先に治と北先輩が居た。

「なんで泣いとん? てか、ツムは?」
「なんでもない……」
「なんでもない訳あらへんやろ。そうやないとそんなに泣かへんわ。みょうじ、そこ座れ」

 先輩にそう促されて、体育館へと続く段差に座り込む。座り込んで、泣きじゃくる私の背中を治が撫でてくれる。

「私な、転校する事になってん。東京に。2年生からは東京で過ごす事になる。……やから、ここの皆とは離れ離れになってまうんよ。そんで、私、侑とは幼馴染以上の関係性が欲しくて、好きやって言うたんやけど……。自分の都合押し付けんなって怒られてしもうて。……もう合わす顔あらへん」
「ツムもアホやなぁ」
「どうしようもないヤツやな」

 私の嗚咽交じりの言葉を静かに聞いた2人が侑を責めるような事を言う。

「ううん、私が悪いんや。侑がそんなヤツて私、よう知ってんのに。侑の言う通り、自分の都合を押し付けてしもうたんや。……先輩。私、侑に会うのが怖いです。急やし、勝手かもしれませんけど、部活に顔出すん、止めさせて欲しいです」
「そうか。……分かった。せやけど、部員との関わりまで断つのはアカンで。残り少ないんやったら、今まで以上にこっちでの生活を大事にせえ」
「分かりました。治もごめんな? こんな事になってしもうて」
「気にせんといて。なまえの気持ちなんかずっと前から気付いとったし、なまえとこれから全く会えん訳やないし」
「うん……。ありがとう」

 その日を最後に私は部活に行くのを止めて、侑の事を避けながら学校生活を過ごし、着々と転校への準備を進めて、あっという間に兵庫を離れ、東京へと発って今に至る。


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