ほんとうのきもち

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「オハヨ。なまえちゃん」
「……おはよ」

 1度“好き”を自覚してしまった私の心は、もうその感情を抑えることが出来なくなってしまっている。どうしよう。鉄朗から名前で呼ばれるだけでニヤニヤしちゃう。私がキモイ。どうしよう。

「ん? どうした、なまえ」
「なんでもないっ」

 覗き込まれるだけで心臓がバクバクする。ヤバい。恥ずかしい。てかどうしよう。私、好きな人に彼氏役やってもらってるとか……! えっ、これってめっちゃ役得なのでは? いや待った。鉄朗は彼女作るつもりないって言ってたよね? だったら、この気持ちって報われないことが確定してるんじゃ……。どうしよう。自覚してしまったんだから、この気持ちはもう止められない。勝手に育つ。それに、鉄朗の傍に居るんだから枯れることも有り得ない。役得というより、苦行なのかも。どうしよう。どうしたら良いんだろ。

「なまえ?」
「……ごめんっ」
「あ、おい」

 鉄朗の傍に居たいのに居たくない。ああもう。なんで好きになっちゃってんの。ダメじゃん。好きになっちゃ。



「みょうじ」
「花田くん、」

 鉄朗から逃げるようにして廊下を歩いていると、前に告白してくれた花田くんと遭遇し呼び止められた。あの告白以来だしちょっと気まずい。

「黒尾と付き合いだしたらしいじゃん」
「う、うん」

 嘘ですけどね。本当だったら良いのにね。自信持って頷けない現状にまた1つ心が苦しくなる。思わず俯いた私に、花田くんが鼻白む。

「なんで黒尾なの? やっぱり顔で選んだの? みょうじはそんなタイプじゃないって思ってたんだけどなぁ」

 告白を断った時みたいに質問攻めを仕掛けてくる花田くん。顔顔言うけど、別にそこだけを見て好きになったわけじゃないんだけどな。確かに鉄朗は背も高いし顔立ちだってイケメンだと思うけど。でも鉄朗の良さはそこだけじゃない。てか、花田くんに言われる筋合いなくない? 鉄朗のこと“顔だけのヤツ”みたいな言い方してるけど。なんにも分かってない。

「別に、そういうわけじゃないけど」
「じゃあどういうわけで黒尾とは付き合ったの?」

 しつこいなぁ。ここまで食い下がられると、嬉しくもない。溜息が出そうだ。さて、どうしたものか。この際花田くんに鉄朗への気持ちをぶちまける? ああでもそうしたら悲しい片想いしてるってことまで打ち明けちゃうかも。それはマズいな。勢い余ってわんわん泣く可能性もある。

「えーっと花田クン。だっけ? 1組の。なまえに何か用ですか?」

 どう切り抜けようかと頭を抱えていると、後ろから救いの声が聞こえてきた。その声は高校生活を過ごす間にこれでもかという程聞いた声だ。今はその声が堪らなく愛しい。すごく耳馴染みの良い、好きな人の声。

「鉄朗っ、」
「ダメだろ〜? 告白してもらっても俺という存在があるんだから。ちゃんと断らないと」
「っ、」
「えっ? 何? ちゃんと断ったのにまだ言い寄ってくるって? 嘘だろ? そんな女々しい人間居るわけねぇだろ。俺らこんなにラブラブなのに。その姿見て学習しねぇ人なんて居んの?」

 鉄朗が黒い。意地悪というより、黒い。黒さ全開。眼光鋭く花田くんを捕らえて離さない。完璧に挑発スタイルだ。
 目線は花田くんをロックオンしたまま、私に近付きそのまま肩を抱き寄せてくる。ああああ、鎮まれ私の心臓。そんなに脈打ったら死んじゃう。顔に熱持って行っちゃダメ。火、吹く。……って、照れてる場合じゃない。鉄朗は私の為にしてくれてるんだから。真に受けるな。

「それで? 俺の彼女にまだ何か?」

 この言葉が決め手になった。花田くんは尻尾を巻くようにして逃げて行ったし、私の心は完璧ノックアウトだ。“俺の彼女”はズルい。ズルいよ鉄朗。完敗だわ。

「……たく。なまえちゃんは本当に危なっかしいねぇ」
「あ、ありがとう……」
「どした? 顔赤いぞ?」
「っ!」

 自分でも分かってた部分を指摘されて咄嗟に両手で顔を覆うけど、そんなのは無意味だ。むしろ認めているようなもの。

「なまえちゃーん? あ。もしかして、照れてる?」
「……うるさい」
「え、見せて。見たい」
「やだ」
「なまえちゃん?」
「〜っ! もう! 鉄朗のバカ!」

 耳の近くからする鉄朗の声が更に私に追い討ちをかけてきて、もうどうしたら良いか分からない。自分ではどうすることも出来ないのが悔しくて、くるりと振り返るなり鉄朗の肩をポカポカ殴る。八つ当たり上等だ。というか、こうなったのは鉄朗のせいなんだから、八つ当たりなんかじゃない。責任を取る義務が鉄朗にはある。

「おっと」

 その義務を押し付けるように数回肩を叩いたところで鉄朗からその手を簡単に捕獲されてしまった。鉄朗の手が思ったよりおっきくて、そういう部分にさえ私の心臓は跳ね上がる。3年近くずっと一緒に居たのに、私はなんで鉄朗のこと好きにならなかったんだろう。好きになる前の私はどんなだったっけ?

「暴力はんたーい」

 うるっさい。私は鉄朗のせいでこんな風になっちゃってんの。ムカツク。なんで、なんでこんなに好きになってんだろ。

「うっさい。殴らせろ!」
「きゃー! やめてー!」

 なにがきゃーだ。私の手軽々受け止めてるくせに。てか、手。離してよ。触れてるだけで心が煩い。

「……分かった。叩かないから。手、離して」
「えー、やだー。離して欲しいなら、“鉄朗離して?”って可愛くオネダリして」

 ああああ。もうお願いだから私の耳元で囁かないで。私を殺したいのか? 鉄朗は。

「変態! へんたろう!」
「ぶっひゃひゃひゃ! へんたろうって! ちょっとカワイイじゃん」
「うっさい! 変な笑い方で笑うな!」

 見上げた先で鉄朗とバッチリ目が合う。……え。何。今の今まで爆笑してたじゃん。なんでそんな真顔なの。

「っ!? て、てつろっ」

 掴まれていた手を鉄朗側に引き寄せられた。目の前が真っ暗になり、それが鉄朗のせいだと気付くのと同じタイミングで肩口に鉄朗の顔が埋められる。抱き締められているのだと理解した時、鉄朗にも伝わるんじゃないかってくらい心臓がバックンと大きな音を立てた。何コレ。なにこれ。

「何付け込まれてんだよ」
「へっ?」
「どんだけ俺が頑張ってもなまえはすり抜けるんだな」
「どういうこと?」
「どうしたら良い? どうしたら俺のことだけ見てくれんだ?」
「……はっ?」
「頼むから、俺以外の男なんか見ないでくれよ」
「ええっと……」

 鉄朗の言動に戸惑っていると「いやー悪い悪い」と笑いながら鉄朗が離れてゆく。その表情はいつも通りの様子で、さっきまでの雰囲気はどこにも見当たらない。

「思わず本物の彼氏っぽいこと言っちゃった」

 てへ。なんて可愛くもないウインクをして教室に戻って行く鉄朗に、私は何にも言い返せなかった。……ねぇ、鉄朗。鉄朗の心はどこにあるの? 本当の気持ちはどれ?
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