猫の目

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 黒尾にニセ彼氏になってもらって数日が経った。校内を歩いていると女子生徒の囁く声が至るところで聞こえてそれはもう居心地の悪い数日間だった。ニセ彼女になると決めたのは私だし、好奇の目に晒されるのは仕方ないことだって分かってるけど。自分が覚悟していた以上だった。黒尾、あんたどんだけモテんの。事前に言っといてよ、こんなにモテるんだったら。まあ言われたら言われたでムカツクんだけど。

「お。みょうじ、丁度良い。お前、今から帰りか?」
「今から帰りますけど、どうしたんですか?」

 今日もそこそこ視線を集めた1日だったと思いながら下駄箱に向かっていると、担任と遭遇してしまった。私は知っている。こういう時に先生が言う“丁度良い”は私にとっては“丁度良くない”ということを。

「じゃあついでに黒尾にコレ渡しといてくれないか? 教室で渡すの忘れてたから」
「ついでって……」
「じゃ、よろしく! 俺今から職員会議だから」
「えー?」

 ほらやっぱり。どこをどう見たら丁度良いんだ。体育館逆方向なんですけど。困惑しつつも受け取ってしまった書類は部活に関するもののようだ。先生がわざわざ押し付けて来たのを見る感じ、これはなるべく早く黒尾の手元に届けた方が良いのだろう。まったく。バス乗り過ごしだな。



「黒尾〜……って、あれ?」

 ちらりと覗き込む体育館はガランとしていて誰も居ない。ボールとかドリンクはそこら辺に散らばってるんだけど。休憩中かな? どこに行ったんだろう。

「どこに行っ、わぁ!?」

 中に居ないのなら外に――と意識を向けた瞬間、私の後ろにひっそりと佇むプリン頭の子を見つけて思わず声が飛び出た。ビックリした。音も立てずに居るから。幽霊かと。幽霊じゃないことは知ってるけど。

「えっと、確か黒尾の幼馴染の……こ、こ……け、……研磨くん! だよね?」

 2年の頃から黒尾の傍によく居る男の子だから、記憶に残ってる。真っ黒だった髪の毛を金髪にした時はビックリしたなぁ。それがすごく印象的な男の子。今はだいぶ地毛も見えている。フルネームは自信ないけど、黒尾がよく下の名前を口にするから“研磨くん”という名前はしっかり覚えている。ほぼ初対面の人間が気安く呼ぶのもな、と思って必死に名字を思い出そうとしたけど諦めた。

「そう、です……」

 目線を逸らしながら答える研磨くん。黒尾が“アイツの社交性は大丈夫かね”と心配しているのも知ってる。金髪にしてみるクセに人見知りって。なんだか不思議な子だ。運動嫌いそうなのに、意外にも練習試合などで見せる表情は悪いものではない。昔黒尾が誘ったらしいバレーは、彼にとっても好いものであるようだ。

「いきなりゴメンね。私、黒尾と同じクラスのみょうじです」
「うん。知ってる。クロとよく一緒に居るよね。みょうじさん」
「え? あー、ウン。そうだね」
「クロの彼女さん、なんだよね」
「ニセの、だけどね」

 研磨くんの質問に頬を掻きながら答える。そんな私に研磨くんは「知ってる」と肯定を返す。目、おっきいなぁ。猫みたい。

「クロに用?」
「あ、うん。渡したい物があって来たんだけど。黒尾どこかな?」

 黒尾の居場所を尋ねながら大きな目を覗くと、逸らしがちに「クロなら今バスケ部が使ってる体育館に行ってる」と返す研磨くん。あ、やっぱり人見知りだ。

「そっか。コレ、部活の書類っぽいんだけどさ、黒尾本人に渡した方が良いやつなのかな?」

 人見知りしがちな研磨くんにめげることなく話しかける。なんか、放ってほけない感じがするんだよなぁ、研磨くんって。黒尾の気持ちがちょっとだけ分かるかも。

「そこまで重要じゃなさそう。良かったら俺から渡しとくよ」

 渡した書類にサッと目を通してすぐに返事をくれる研磨くん。わぁ、なんか出来る人っぽい。頭、良いんだろうな。黒尾も意外と頭良いし。幼馴染同士で頭良いって羨ましい。黒尾ってハイスペック野郎だな。“幼馴染”はスペックと違うか。

「ありがとう。てかバレー部みんな居ないね。休憩中?」
「うん。さっき1ゲーム終わったとこ。休憩中なんだけど、クロはバスケ部の主将に呼ばれて。他のみんなは水のみ場に行ってる」
「そうなんだ。研磨くんは顔洗いに行かないの?」
「水が顔についたり、服が纏わりついたりするの嫌いだから」

 あ、顔しかめてる。本当に嫌いなんだ。水を嫌うところも猫っぽいな。でも、それだと汗とかも嫌なんじゃ?

「汗も嫌いだけど、それ以上に楽しいから。バレーのレベル上げるの」

 うわお。私の顔から表情読み取っちゃったよ。研磨くんすごい。……って、私が分かり易過ぎるのか? なんにせよ人見知りだと思ってた研磨くんと私普通に話せてるぞ。気分屋な猫が懐いてくれたみたいでなんだか嬉しい。

「そっか。黒尾もバレー大好きだもんなぁ。幼馴染2人してバレーやってるって、なんか良いね」
「キャー、浮気現場よー!」
「……クロ」
「帰って来るなり何言ってんの。恥ずかしくないの? 主将ってこと自覚しな?」
「あまりにもパンチが強い」

 研磨くんとの話しに盛り上がっていると、姿を見せるなり黒尾がワケの分からないことを言う。あー、ほらもう研磨くんガチで引いてるじゃん。せっかく仲良くなれたと思ったのに。黒尾のせいでまたバリアを張られてしまった。

「黒尾の為に書類届けに来たの。そしたらバスケ部の体育館に行ったって聞いたから、研磨くんに預けようとしてたとこ」
「おー、なんだそういうことか。俺の為にわざわざドーモ」
「ほんとだわ。おかげさまでバス乗り遅れたし」
「あらら。身を挺してまで俺の為に。泣けるねぇ、俺の彼女、超健気」

 頭に手を乗せてそのまま撫でてくる黒尾。え、何これ。まじで彼氏っぽい。何その優し気な表情。え、なんでドキドキしちゃってんの私。ダメだって。でも黒尾も黒尾だわ。ズルい。

「ちょっと! 研磨くんだって私達の関係性知ってるんだから! 嘘吐く必要ないでしょ」
「ん? 練習だよ、練習」
「れんしゅう?」
「そ。こうやって、彼氏っぽいことしとかねーと、疑われるだろ? だからみょうじも慣れてくれよ〜?」

 そう言って私と目線を合わせてくる黒尾。……黒尾ってこんなにイケメンだったっけ? 黒尾に見つめられるの、こんなに恥ずかしいことだったっけ?

「あはは、照れてる。可愛いねぇ、なまえちゃん」
「っ! 面白がってるでしょ!?」
「そんなことねぇよ? 可愛い彼女に部活中にも会えて嬉しいだけ」
「〜っ! もう! 帰る!」

 照れ隠しのように黒尾から距離を取る。そんな私を楽しそうに見つめる黒尾。ニヤニヤすんな馬鹿。なんでやられっぱなしなんだ、私。悔しいし腹が立つ。仕返してやりたい。

「気をつけてな」
「……鉄朗も! 部活、頑張ってね」
「おー」

 わざと下の名前で呼んでみせたけど、黒尾は特に反応を示さない。それどころか流されたようにさえ感じる。くっそう、何枚も上手な黒尾が恨めしい。

「研磨くんも、バイバイ」
「みょうじさん」
「ん? 何?」

 振り返った先に居る研磨くんは黒尾の隣でひっそりと佇んでいる。だけど、目はキラキラと輝き私を捉えて離さない。まるで猫の目のように、対象物をじっと観察している。

「クロって、みょうじさんが思ってる程器用じゃないよ」
「え?」
「おいこら研磨ー」
「じゃあ、またね。みょうじさん」
「? うん、バイバイ」

 呼び止められたにしてはよく理解出来ないことを言われポカンとする私と、研磨くんを制する黒尾。……まただ。また私だけ分かってないカンジのやつだ。なんなんだみんなして一体。よく分からない。
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