約束を果たしに

「何してんの?」
「羊羹を詰めている」
「羊羹を?」

 朝から二階堂さんの義手を持ってニヤニヤしてるなぁと思ってたはいたけど。なんで羊羹を詰めようなんて考えになるんだ。鯉登は鯉登でこの入院生活を楽しんでるな? 今もイケマの根をガジガジと齧って臭い匂いを漂わせている。

「むッ? 何故避ける」
「……鯉登だってこの前私のこと避けたじゃん」
「あ、あれはッ……」

 あの時のこと、正直まだ少しだけ根に持っている。意地悪な返しでそれを知らしめると、鯉登の口がもごもごと動く。なんと言っているか分からないので無視を決め込んでいると「ない!! ない!!」と二階堂さんが騒ぎ始めた。

「誰かが隠したんじゃないのか? いつもあれでうるさいから」

 途端に鯉登の表情が意地悪なものに変わり、二階堂さんの反応を窺う。けどその言い方や表情が怪しさ満点だし、こんなのすぐバレるだろう。予想通りインカラマッさんの千里眼で言い当てられてしまい、鯉登は驚いた表情を浮かべながら義手を取り出してみせた。

「驚いた……!! なんで分かったんだ!! 不思議だ」

 ……本気で言ってる? あ、本気だ。純粋無垢だ。「私でも見当つきましたが」と冷静な言葉を返す月島軍曹の言葉はもっともなのに、鯉登は逆に「全然信じておらんな?」と月島軍曹のことを責める。そろそろ釘刺しておかないと。このままだと鯉登は破産してしまう。

「では私の探しものを尋ねても良いですか?」

 そう言い、インカラマッさんが谷垣さんについて尋ねるも月島軍曹は反応しない。谷垣さんは樺太に居た時、“自分はマタギだ”と言っていた。ということはもう金塊争奪戦には参加していないということ。それなのにインカラマッさんを迎えに来られないのは、そこに鶴見中尉殿が関わっているから。……やっぱり私は、何も知らないままだ。

「あれ? お箸が出てこない!! 何か中に詰まっている」
「“羊羹”だ」

 ……なんで羊羹なんだろう。


 
「もう9か月くらい? いつ産まれてもおかしくないわね」

 家永さんによる健診。インカラマッさんのお腹は神秘的な曲線を描いていて、家永さんの言う通り美しいと思う。早く谷垣さんにも見て欲しいな。

「わたし……インカラマッさんが産むのを手伝いたい!」
「……はい、喜んで。家永さんは命の恩人ですから」
「じゃあ胎盤はちょうだいね!! あれは栄養があるらしいから」

 家永さんが囚人になったの、納得だなあ。二言目には異常者たらしめる発言をする家永さんを見つめながら退室すると、起き上がれるようになった鯉登が廊下で私を待っていた。

「どうしたの?」
「鶴見中尉殿と合流する前に、なまえに渡しておきたい物がある」
「イケマの根なら遠慮しとく」

 懐に伸ばしていた手をピクッと止める鯉登。何事もなかったかのようにその手を取り出し「欲しいと言われてもやらん」と言葉を返される。……ムキになってるな。

「ここでは渡せん。こちらに来い」
「何? 何くれるの?」
「……とても大事な物だ」

 鯉登の眼差しが真剣そのもので思わず黙る。近付いて来たと思ったら鯉登は私の手をとり掌に触れてきた。こんな風に触れられるのは初めてのことで、どんな反応をしたら良いか分からない。

「豆もない綺麗な手だ」
「なッ……何。なんなの……」
「こちらだ」

 そっと手を離し前を歩く鯉登の行動の意図が読めない。綺麗な手と褒められたせいでこの前の家永さんの言葉を思い出してしまう。指輪……いやいや。そんなまさか。
 ドキドキしながらついて行った先には月島軍曹も居て、その瞳が暗いのを見てすぐさまこれはそういう類の話ではないと察する。鯉登の怪我もだいぶ治っているということは、小樽での滞在も終わりが近付いているということ。頭の隅で理解していたことを取り出し気を引き締めると、鯉登も私の顔つきが変わったのを確認し口を開く。

「なまえに、コレを渡しておく」
「コレ……」

 私が手に入れようと思っていた物。それが目の前に現れたことに驚き2人の顔を見つめる。どうして――。

「殺す為ではなく、守る為に使え」
「え?」

 大泊で杉元さんの姿を見た時に決めた覚悟。私のこれから歩く道は、血に塗れる。そのことに怯えないと決めた。……それだけじゃない。あんな風に鯉登が傷付くのをただ見ているだけなんて、もう嫌だ。ならば――私はもう1度、銃を手に取る。
 ひっそりと考えていたことを先回りするように手渡された銃。それを見て唖然とする私に、鯉登は「決して殺してはならん」と告げてみせる。

「発砲は守る為でしか許可せんぞ」
「……鯉登のことだから、私が銃を持つのに反対すると思った」
「本当なら持って欲しくなどはない。だが私の隣になまえを置く以上、これは仕方のないことだ」
「……うん」

 銃を持ってその重みを感じていると、鯉登がなんともいえない表情を浮かべていて、心臓がきゅっとなる。すごく迷ったんだろうな。私の為に。たくさんたくさん考えて、悩んで。そして私を信じてくれたんだ。

「私は、鯉登にお守りをもらってばっかりだ」
「む?」

 私は、銃を持つならば人の命を奪う覚悟を持たないといけないと思っていた。そして、そうすることで抱く罪悪感と向き合うべきだとも。だけど鯉登はそういう意味とはかけ離れた物としてこの銃を与えてくれた。……いつか私に必要ないと言える時が来るまで。この銃を大切に持っておこう。

「この銃も、大事にする」
「……ああ」

 撃たない覚悟。それは、撃つ覚悟以上に勇気の要ることだ。だけど、鯉登の願いがそうであるなら私もその思いに応えたい。



「風呂行ってくる」
「行ってらっしゃい」

 月島軍曹が風呂桶を持って病室に顔を覗かせる。月島軍曹はどこをそんなに洗ってるんだってくらいお風呂に費やす時間が長い。鯉登曰く、浸かる時間が長いそうだ。付き合っとられんと溜息混じりに言っていたけど、普段付き合ってもらってるのは鯉登の方だと思う。

「インカラマッさん、無事に産まれると良いね」
「あぁ、そうだな。子が産まれたら、私が名付け親になってやっても良い」

 紙に幾つかの名前を書く鯉登に「ああでもない、こうでもない」と口出ししている時。部屋の外で大きな音がしてバッと顔をあげる。……インカラマッさんの部屋からだ。インカラマッさんに何かあったのかもしれないと慌てて駆け出すと同時、発砲音が響いた。急いで廊下に飛び出すとインカラマッさんと谷垣さんが居て目を見開く。……谷垣さん、迎えに来たんだ。谷垣さんは拳銃を持った鯉登を見てインカラマッさんの前に立つ。鯉登は2人を見つめ、少し葛藤したのちに「行け」と銃を下ろした。

「鯉登……」

 鶴見中尉殿の命令に背いた谷垣さんは、本来なら許される人ではない。それなのに鯉登は2人を殺さず見逃すという選択をしてみせた。そのことが鯉登の心の変化を表しているようで少し複雑な気分になる。……だけど、私にはその鯉登の選択が嬉しくて堪らない。

「ありがとう、鯉登」

 鯉登の腕に寄り添うと鯉登もその手を重ねて応じてくれる。インカラマッさんの出産が手伝えないのだけが心残りだ。家永さんも「胎盤を食べ損ねた」と悲しむのかな。家永さんがそう言って歯噛みする姿が容易に想像出来て思わず口角を緩めていると「月島?」とここに居るはずのない人物の名前を鯉登が口にする。

「裏切り者は殺さねば……」

 フラフラになりながら歩いて行く月島軍曹の顔面は右側の血管が浮き上がっていて、まるで何かを打たれた様子に見えた。……もしかして――。至った考えに慌てて廊下を駆けて行くと、そこには血まみれの家永さんが倒れていた。

「家永さんッ!」
「なまえさん……。インカラマッさんは、行った……?」
「はい。谷垣さんと一緒に、行きました」
「そう。良かった……」
「家永さんッ! インカラマッさんの出産、手伝うんですよねッ!?」

 腹部に溜まる血。家永さんはもう――。涙が零れそうになるのを必死に耐えていると家永さんの生温かい手が私の頬に触れる。

「なまえさんが完璧になるところも見てみたかったわ……」
「家永さん……」
「私はインカラマッさんのこともなまえさんのことも見届けられないけれど……どうか、その時が来るまで……生きて」
「……はい」

 家永さんの手を握り、しっかりと頷く。家永さんは最期に満足そうに笑って息を引き取った。……家永さんの為にも、見届けないと。ぎゅっと1度だけ目を閉じ、すぐに開く。騒ぎを聞きつけた兵士に声を掛けてから鯉登のもとへ戻ると、鯉登もコートを羽織って待っていた。その手には私の上着も持たれていて、私にかけながら「行くぞ」と告げる。

「うん」

 インカラマッさんの出産を手伝うと約束した。家永さんの為にも、その約束を果たしに行かねば。




- ナノ -