執着の終わりを迎えに

「大沼公園駅名物の大沼団子です」

 五稜郭に辿り着き鶴見中尉殿と合流する。鶴見中尉殿は差し出された団子を咀嚼しながらアイヌの金塊が権利書に変わっていたことを教えてくれた。向こうから示された情報を鵜呑みにするわけにはいかないけれど、鶴見中尉殿には思い当たる節があるらしい。

「そうともいい切れんのだ」

 鶴見中尉殿が権利書の話の根拠を告げ、「まぁ……本当に権利書があるのかどうか、この目で確かめるさ。土方歳三ののぞみ通りに喧嘩してやる」と喧嘩を買う姿勢を見せる。遂に最後の戦いがこの地で始まろうとしている――。……えッ、鯉登団子また食べてる……。団子、やっぱ気に入ってんじゃん。

「五稜郭攻囲戦だ」

 鶴見中尉殿の言葉を受け、鯉登が「鶴見中尉どん。なまえは狙撃手じゃっど。戦線から離した方が賢明ちおも」と薩摩弁で進言する。方言ではあるけれど、早口ではないのでなんとなく鯉登の言葉が理解出来た。鶴見中尉殿はどう捉えたか気になって見つめると、鶴見中尉殿もじっと私を見つめる。

「ロシアで人を殺したことは?」
「……1度もありません」
「……そうか」

 少し間を置き、「そのような腕しかない人間が近くに居ても逆に迷惑だ。鯉登少尉の指示に従いなさい」と告げられる。鶴見中尉殿からしてみたら、私なんか戦いに巻き込まれて死んでも構わないのではないか。だったら、銃を持ってお前も前線で戦えと言われてもおかしくはないはずだ。……自分で考えて悲しくなる命令を、鶴見中尉殿は下しはしない。そこにはやっぱり鶴見中尉殿の優しさが含まれているんじゃないかと思ってしまう。

「場所は先程告げたところにある」
「……うん」

 鯉登の言葉に応じ、もう1度だけ鶴見中尉殿に視線を伸ばす。せめて目を見てくれたら――そう願っても、鶴見中尉殿の瞳が私を見つめることはなかった。



 五稜郭に響き渡る砲撃。鯉登少将殿の駆逐艦による攻撃だろう。遂に始まったのだ。この五稜郭に、鶴見中尉殿が求める物がある。そしてそれを手にする戦いを、鶴見中尉殿が始めた。一足先に五稜郭内へ潜り込み無事に辿り着いた訓練所の中で開戦の合図を聞く。鯉登は今、鶴見中尉殿と共に戦いの最前線に居る。……大丈夫。鯉登は絶対迎えに来てくれる。

「ッ、」

 至る所で砲撃や衝撃音が鳴り響く。懐かしい音に心臓がバクバクと音を立て息があがる。だけど。今目の前で起こっていることは私が知りたいと思ったことだ。鶴見中尉殿がしていることをちゃんと見つめて、私は前に進みたい。

「気球が……」

 砲撃の照準を合わせる役目を担っていた気球が攻撃された。誤射なんて有り得ない。ということは、向こうも砲撃で反撃を開始したということ。……鯉登少将殿……。鯉登少将殿の柔らかくて強い笑みを思い浮かべ唇を噛み締める。……鯉登少将殿だって、覚悟の上だ。全員、覚悟の上でここに居る。

「鯉登?」

 しばらく戦況を見つめていると、建物の中に誰かが入って来る気配がした。そっと確認すると鶴見中尉殿と月島軍曹と鯉登が立っていたので近くへと駆け寄る。迎えに来た……わけではなさそうだ。証拠に、辺りからは未だに爆撃音が鳴り響いている。ならばこの訓練所に足を向けたのは鯉登ではなく鶴見中尉殿か。

「月寒あんぱんの人がついた甘い嘘」

 戸棚の中に置き去りにされたあんぱんを見つめ、ぼそりと呟く鯉登。そのまま鶴見中尉殿を見据え「あなたは嘘をつきすぎて、嘘で試した人間の“愛”しか本物と思えないのでは?」と自身の揺らぎをぶつけてみせた。

「だから自分の真心さえ信じられなくなって、なまえを手放すという選択をしたのではないですか」
「……、」

 鯉登の言葉に押し黙る。鶴見中尉殿にとって、私とは一体なんだったのか。私が感じ取っていた鶴見中尉殿の真心は、本物であったと信じて良いのか。私も知りたい。

「鯉登少尉!」

 月島軍曹が制止に入るも鯉登の言葉は止まらない。鶴見中尉殿がこの建物に入った時点で鯉登は覚悟を決めたのだろう。「私たち親子がここまで来たのは自分たちの選択ですからどうなっても受け入れます。だが、もしもの時は部下を中央から守るために……私はあなたを……」そこで言葉を切る。自分の気持ちを真っ直ぐにぶつけ、見定めようとしているのだ。

「負けるつもりはない。すべて手に入れる」

 鶴見中尉殿の言葉を聞いて鯉登の目線が下へと下がる。鯉登が本当に聞きたかった答えは、それじゃない。過去の自分を踏まえ、真正面から斬り込んだ鯉登に対して鶴見中尉殿はそれでも本音を言わない。……だけど、それこそが鶴見中尉殿の答えなのだ。

「“私の力になって助けてくれ”と、まっすぐにアタイを見てそげん言ってくいやっちょったら、そいでもついて行ったとに」

 嘘なんかじゃない、鯉登の本音。私たちは、鶴見中尉殿にこうして欲しかった。真っ直ぐに見て欲しかった。不安や恐れがあるなら、それすらも言って欲しかった。
 鶴見中尉殿の顔を見つめ、ゆっくりと顔を背ける。鶴見中尉殿のおかげで私という存在が在るのは確かだ。あの日差し伸べてくれた手を握ったことに後悔はない。……だけど、私がついて行きたいのは鯉登だ。
 訓練所を出て後ろを振り返るも、月島軍曹の姿は見えない。鯉登の言葉を、月島軍曹はどう捉えただろうか。鯉登も訓練所に1度だけ目線を向けてから歩みを進める。……この選択が月島軍曹の為に、みんなの為になっているか。鯉登だって不安で迷っている。だけど迷いながらも自分の力で歩みを進める鯉登は、やっぱり強い人だと思う。

「馬小屋が燃えてる」

 それに一瞬目を奪われたあと、鯉登は勢い良く南口へと駆け出す。あれはきっと目眩しだ。それに気付き鯉登は素早く兵士たちへ「東口へ行け。奴ら逃げる気かもしれん」と指示を出してまわる。北口と南口に近い場所で騒ぎを起こしたということは、その反対に位置する場所から逃げようとしているのだろう。

「あの坊主頭……白石さん?」

 軍服を着ているけれど、あの頭には見覚えがある。鯉登も白石さんに気付き「そいつを止めろッシライシだ!!」と声を張り上げる。部下を守る為には権利書が必要だ。その為にも鯉登は戦うことを止めはしない。

「白石さんッ止まってください!」

 声を発しながら銃を構える。……当たらないように。決して、命は奪わない。

「あッ頭掠っちゃった」

 馬の行く先を狙って撃ったつもりだったのに、弾は何故か白石さんの頭頂部を掠めてしまった。…………大丈夫、白石さんは元気だ。馬で逃げる様子に少しホッとするのも束の間、反対側から回って来た兵士と鉢合わせ白石さんの足が止まった。その隙を見逃さず、鯉登が白石さんの荷物の紐を斬りつける。あの中に権利書があるかもしれない――。
 欄干に乗った袋を取りに行こうと駆け出した瞬間、白石さんの向こう側から刀を持った老人が現れ素早く兵士2人を斬り伏せた。

「永倉新八!!」

 鯉登の呼ぶ名前にバッと老人の顔を見つめる。永倉新八……私でも知っている。彼の間合いに居ては危険だと本能的に距離を取った隙に、白石さんは馬で駆け出してしまった。袋を置いて逃げた時点であの中身が権利書ではないと判断出来る。ならば急いで白石さんを追って権利書の在り処を探すべきだと分かっているのに。

「かかってこいや薩摩の芋侍がぁ!!」

 永倉さんの気迫が凄すぎて動くことが出来ない。今この場を動こうものなら、私の命は瞬時に散るだろう。女だ子供だいうことを理由に見逃すことなど決して有り得ない。それくらいの緊迫した空気感がこの橋の上に蔓延っている。

「うぬが太刀筋未熟なり!! 40年前に交えた薩軍達の気合いには到底及ばぬぞッ!」

 鯉登が圧倒されている。剣を交えただけで鯉登の中にある迷いを見抜くほどの相手。そんな相手に、私が狙撃で援護などしようものなら鯉登の邪魔になるだけだ。固唾を呑んで2人の斬り合いを見守っていると、欄干にあった袋が傾き池の中へと落ちてゆく。権利書はあの中にはない――でも、もし。

「権利書が……」

 万に1つでも可能性があるなら、それを無視することなんて出来ない。咄嗟に池に飛び込み袋の落下地点まで藻掻く。泳げる泳げないなんて関係ない。ここに鯉登たちの未来があるのなら、死に物狂いで権利書を守らなければ。

「キエッ」

 短めの猿叫をあげて鯉登も池に飛び込み、着水寸前で袋を橋脚に突き刺し袋が濡れるのを防ぐ。そうしてもはや溺れていると言っても過言ではない私を抱きかかえながら顔を出すと、袋の中から縄が飛び出し私たちの頭に垂れてきた。……やっぱり権利書じゃなかった。

「役立たずでごめん」
「良くやった」

 鯉登に抱きかかえてもらって池からあがる。私なんてただ池に飛び込んで溺れて助けてもらっただけの人だ。もしあの場に月島軍曹が居たらもっと違った結果になっていたかもしれない。……月島軍曹。

「……やっぱり、私たちには月島軍曹が必要だ」
「……あぁ」

 私の頬にへばりつく髪の毛を鯉登が優しく梳かし、「迎えに行こう」と力強く言う。私たちの信じる道を、月島軍曹も一緒に歩んで欲しい。それが月島軍曹にとっても救いの道になると思うし、月島軍曹にもそう思ってもらいたい。

「月島ァ!!」

 鯉登が辺りを見渡し、北口にその姿を見つけるなり大きな声で名前を呼ぶ。それでも月島軍曹は鶴見中尉殿のもとへと馬を走らせ私たちを振り向くことはない。迎えに来た月島軍曹の後ろに跨る鶴見中尉殿の様子は、どこかタガが外れているように見えて不安になる。……その道は、行ってはならない。本能で感じる不安に固唾を呑み、鯉登と共に月島軍曹を追いかけるようにして馬を走らせる。

「狙撃ッ!?」
「多分尾形だ。やっぱり、ここに来てる」
「なまえ、」
「……大丈夫。それよりも今は、月島軍曹たちを追わないと」
「あぁ」

 北口を出てから走り続けていると、後ろの兵士が狙撃によって倒された。辺りを見渡し狙撃位置を確認し、あの距離からこれだけ正確な狙撃が出来るのは尾形しか居ないと思い至る。……尾形とはちゃんと別れを告げられた。尾形の進む道を一緒に歩くことは出来ないけれど、尾形がそれを望み、救いになるとは思っていないだろう。尾形の居る場所から視線を前へと移しひた走る。私たちが今こなすべき役目は、権利書を手に入れることだ。




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