旅は続く

「銃声だ」
「あっちって確か……線路があったような」

 アシパちゃんたちは函館に向かう汽車に乗ったのではないかと予測する。鶴見中尉殿の指示でこの時間でも汽車は走っているはずだ。銃声を聞いて進路をそちらへと向け走り続けると、やっぱり汽車の中で騒動が起こっていた。

「月島ァ」

 鯉登が声をあげるも月島軍曹の姿は見当たらない。汽車に馬を寄せ鯉登が汽車に飛び移る。そして手を私へと差し出してくるのでその手をぎゅっと握りしめ鯉登に飛び込むと、鯉登は力強く抱き締め受け止めてくれた。「行くぞ」と目を見て言ってくれる鯉登に頷き、扉を開ける。ここが、本当の最終決戦。ここで起こる出来事をきちんと知って、私は自分の未来の為に前に進む。

「あの人、」

 歩みを進めていると、長髪の老人が1人で兵士を圧倒していた。鬼気迫る様子を見て彼こそが土方歳三で間違いないと察知する。永倉新八、土方歳三――。名だたる人物がこの金塊争奪戦に参加し、そして相対している。金塊とは、それだけ恐ろしいものなのだ。

「うわさの薩摩隼人か」

 土方さんが鯉登を見据え刀を構える。鯉登が猿叫をあげながら剣を振りかぶった瞬間、近くにあった銃剣を振り投げ鯉登の注意をそちらに引き付ける。そしてその僅か一瞬の間に強烈な一太刀を振り下ろしてきた。……戦い慣れている。これが鬼の副長、土方歳三か。

「歴史上の土方歳三が死んだとされる場所“一本木関門”もよく知っている。現在そこは……この列車の終着駅だ」
「歴史のズレを正せるかね?」

 幾つになっても衰えない気迫に、思わず1歩後ずさる。こんなに強い人が相手として立ちはだかる状況に、思わず鯉登を見つめる。私は、この戦いに手出し出来るほどの力を持ってはいない。それはどうしようもなく歯痒いことだけど、鯉登が戦おうとしているのならば私はそれを見届けたい。鯉登を、信じたい。

「“迷い”があるなら今すぐ降りろ。死人になれていない」

 右肩に深い斬り込みを入れられ血が滴り落ちる。距離を取った鯉登に対し、土方さんは鯉登の揺らぎを真正面から突き刺してみせた。その言葉を向けられた鯉登は、周囲に倒れ込む兵士に視線を向け、そして私へと移しグッと表情を引き締める。勝てるかどうかではない。“勝つのだ”という意志が鯉登の表情に宿る。彼は今、自身の中にある迷いさえも受け止め、その上で土方さんと対峙しているのだ。

「…………よし。かかって来い」

 土方さんも鯉登の覚悟を受け表情を引き締める。雄叫びをあげて向かっていく鯉登の姿に、迷いは見当たらない。土方さんは鯉登に向かって足元にあった銃を蹴り上げ奇襲攻撃を仕掛ける。鯉登はその攻撃を躱すでもなく受けるでもなく、自身の一太刀に全身全霊をかけて打ち下ろしてみせた。土方さんは体勢を崩しながらも鯉登の初太刀を受けてみせ、鯉登の剣が折れた瞬間を狙って反撃に出る。鯉登は剣が折れてもなお、初太刀を真っ直ぐに振り下ろし土方さんの頭に剣をめり込ませた。

「鯉登……」

 荒々しい呼吸を繰り返す鯉登は手に力が入らないのか、両手をふるふると微かに震えさせながら倒れ込んだ土方さんを見つめる。真っ直ぐで綺麗な太刀筋は、鯉登の生き方そのもののようだった。

「勝ったぞ」
「うん。ちゃんと見てた」

 右肩から滴る血に布を当てるも、すぐに真っ赤に染まる。今の戦いでだいぶ消耗してしまった。止まらない血に不安を感じるけれど、鯉登は「大丈夫だ」と言って足を前に進める。……大丈夫。鯉登はこんなところでは死なない。

「進むぞ」
「うん」

 鯉登の言葉に頷き、1度だけ視線を土方さんに向ける。……彼の言葉がなければ、鯉登はずっと迷ったままだったかもしれない。土方さんの体を端に寄せ「……ありがとうございました」と告げてから鯉登のもとへと駆け寄る。さっき前の方で爆発音が聞こえたけれど、月島軍曹は無事だろうか。

「月島ッ」
「!? 来るなッ」

 鯉登と2人で進んだ先で、月島軍曹が牛山さんにしがみついていた。その手に握られているのが手榴弾であると分かった瞬間、「よせ月島ッ」と鯉登が駆け寄る。自分の命を犠牲になんてして欲しくない。もうこれ以上、汚れ仕事を月島軍曹に背負って欲しくない。このまま死んで欲しくない。私たちと一緒に、生きて欲しい。

「……なんでいつもきかないんだ!!」
「月島軍曹ッ!!」

 月島軍曹の手がブルブルと震え、振り上げた手を迷わせている。もう良い。こんな苦しい思いをしてまで鶴見中尉殿について行かなくたって良い。月島軍曹も救われたって良い。

「ッ!?」
「……ん? 女?」

 牛山さんが月島軍曹ごと向きを変えてこちらに突進してくる。その瞬間、牛山さんは私に気が付き「うぉりゃぁ!!」と咄嗟に月島軍曹と鯉登を上へと投げ飛ばす。「今度はちゃんと紳士な対応が出来た」と鼻息を吐き出す牛山さんに呆然としていると、私たちの上を手榴弾が飛んだ。
 着地点にはアシパちゃんの姿があって、思わず「あッ」と声をあげるも、次の瞬間には衝撃が列車を包み爆風で吹き飛ばされてしまった。

「なまえッ、大丈夫か!?」
「だいじょうぶ、」

 鯉登が庇ってくれたおかげで直撃は免れた。鯉登の問いに頷いた瞬間、右腕に痛みが走る。私の右腕に突き刺さった破片を見て、鯉登が息を呑む。これくらい、鯉登の傷に比べたらどうってことない。それよりもアシパちゃんたちは――。

「あッ!!」

 アシパちゃんも牛山さんが庇ったおかげで爆撃から免れたらしい。その様子にホッとするも、アシパちゃんが「権利書をとられた!!」と慌てているのを見て周囲を見渡す。……居ない。

「月島軍曹が居ない……」

 月島軍曹の姿は連結部分にあった。その手には矢筒が握られていて、「鶴見中尉殿!!」と鶴見中尉殿を呼んでいる。……行かないで。行っちゃダメ。

「月島軍曹!!」
「権利書を」
「よくやった。月島上がって来い!!」

 差し伸べられる手。それを掴もうと必死に手を伸ばす月島軍曹。……ダメ。行かせない。行かせてはならない。これ以上、月島軍曹をはなしてはいけない。その思いで必死に鯉登と共に月島軍曹の服を掴む。私たちには、月島軍曹が必要だ。

「行くな月島」
「放してください」
「月島」
「上に行けば死ぬぞ。お前はもう戦えない」
「俺は鶴見中尉殿のそばで全部見届ける!!」

 鶴見劇場を最後までかぶりつきで観たい――確かに、月島軍曹はそう言った。だけど、こんな風になってまで観るものじゃない。月島軍曹の生きる道は、そこだけじゃない。

「鶴見中尉殿!! 土方歳三と……牛山辰馬は排除しました。権利書も手に入れた。月島は充分働いた!! でも銃を拾うちからすら残っていない。もうこの男を解放してあげてください」
「鶴見中尉殿……。言うこと聞かずに戻ってきてごめんなさい。……私は、あの日鶴見中尉殿に手を差し伸べてもらったおかげで、自分の役目を見つけることが出来ました。だから……だから私は、これからも鯉登の傍で生きていきます! そしてその傍には、月島軍曹も居て欲しい!!」

 ポタリ、一雫頬に水が落ちる。……やっと、見てくれた。私を見つめる鶴見中尉殿の瞳は、何年経ってもずっと変わっていなかった。

「……Мой дорогой отец」

 そっと呟いた言葉。鶴見中尉殿があの時言ってくれた言葉の意味を理解した時から、ずっと言いたかった言葉。それが鶴見中尉殿に届いたかは分からない。だけど、口に出来て良かった。これは紛れもない自分の本音だから。鶴見中尉殿が立ち去るのを見送り、堪らず目を閉じる。……私を見つけてくれて、ありがとう。私に手を差し伸べてくれて、ありがとう。私に生きる道を与えてくれて、ありがとう。私に愛情を注いでくれて、ありがとう。……私をウラジオストクに置き去りにしてくれて、ありがとう。

「ありがとうございました」

 閉じていた目をバッと開け、すぐに鯉登たちの手当てを始めると土方さんがゆらりと現れた。咄嗟に鯉登たちの前に出るも土方さんの視界に私たちは映っていないのか、そのまま前へと歩みを進める土方さん。……なんだか様子がおかしい。

「鯉登しっかりッ!」

 ばたっと気を失うようにして倒れ込んだ鯉登に声をかけ手当てを続行すると、土方さんを追ってきたのか、永倉さんたちも遅れてやって来た。じっと見つめ合い、互いの戦意を探り合う。

「土方さんなら前に行きました」
「……そうか」

 私の言葉を聞いた永倉さんは鯉登たちにとどめをさすことなく前へと向かう。……私たちはただ、大切な人を失いたくないだけだ。永倉さんたちを見送ってから暫くすると道端に何かが見えた。一瞬だったのでなんだったのかきちんと見ることは出来なかったけれど、あれは確かに尾形だった。

「…………尾形」

 見間違いでないのなら。尾形の顔は安らかで、救われた人の顔つきだった。つい気になって体が浮つくも、すぐに思い直して鯉登たちの手当てに戻る。尾形の最期は、見届けない方が良い。尾形はそれを望むだろう。……私たちは“これから”がある。この先の人生を、生きなければならない。



 あれから6か月が経った。鶴見中尉殿の行方は、未だに分からないままだ。月島軍曹はほぼ毎日のように鶴見中尉殿の遺品を探している。これだけ探しても何も見つからないことが嬉しいような。寂しいような。

「月島はまだ探しているのか」
「会議終わった?」
「ひとまずは、だが。なまえ、右腕の具合はどうだ」
「うん。もう生活には支障ないよ。鯉登は傷、残っちゃったね」

 函館湾を眺めていると、隣に鯉登がやって来た。鯉登の左頬には土方さんと戦った時の傷が今も残っている。傷を見ながら言うと、鯉登は「向こう傷だ」と笑う。自慢げな表情がムッと来て「私の手当てのおかげでしょ」と言うと鯉登も負けじとムッとしてみせる。……やんのか?

「なまえ」
「ああん?」

 睨み据えると鯉登も私の顔をじっと見つめ、「これから先の人生は長く、険しいものになる」と告げてくる。そんなの、ずっと前からとっくに覚悟してる。

「良い生活を送らせてやることは出来んかもしれん。それでも、私の傍に居てくれるか?」
「あのねぇ。鯉登がただのボンボン少尉だったら、好きになんてなってないから」
「……そうか」
「鯉登も覚悟しな。言ったでしょ私。たとえ地獄でもついて行くって」

 フンッと鼻息を吐くと、鯉登も表情を和らげる。そうして2人で微笑み合い、視線を再び函館湾へと向ける。
 アシパちゃんたちは東京に行く前、私たちを尋ねてくれた。そして、鶴見中尉殿とどんなやり取りをしたかを教えてくれた。先頭列車だけを切り離して海に落ちたこと、白石さんが飛び込んだ時には既に姿は見当たらなかったこと、権利書のこと……そして金塊のこと。
 鯉登は“金塊を探さないで欲しい”というアシパちゃんの願いを聞き入れた。そして権利書を持っているか尋ね、頷いたアシパちゃんに「そうか」と返す顔は、どこかホッとしているようにも見えた。
 それから願い通り金塊も権利書も追うことはせず、鯉登は日々後処理に奔走している。鶴見中尉殿が居なくなった今、部下を中央から守るのが鯉登の仕事だ。私は、そんな鯉登を傍で支えたい。

「では、私も決してなまえを離さないと誓おう」

 ポケットに入れていた手を取り出したかと思ったら、鯉登は私の左薬指に銀色の輪っかを嵌めてみせた。一体いつの間に……。てっきりオシッコ我慢してるのかと。ぴったりと嵌る指輪を眺めてポカンとしていると「1つの区切りの意味でもある」と鯉登は言う。

「区切り?」
「この指輪と共に、これまでのことを抱え、そしてこれから先を私の隣で生きろ」
「……うん。ありがとう」
「なまえ、愛してる」
「私も。愛してる」

 リボン、銃、指輪、言葉、気持ち。たくさんの宝物をくれる鯉登が、私にとって1番の宝だ。

「……にしても、月島は一体いつまであそこに居るのだ」
「迎えに行こう」
「あぁ。……月島ぁ!!」

 月島軍曹のもとへと歩いて行く鯉登。彼はいつだって真っ直ぐ道を歩く。たとえどんなに迷ったとしても、綺麗な心を曲げることはない。そんな鯉登の姿を見て抱く“愛おしい”という感情は、至って普通のものだろう。
 鯉登が傍に居てくれさえすれば、私は自分の選択に迷うことはない。そこに、幸せがあると信じられるから。私の役目は、鯉登の傍で色んなことを知り、そしてそれを信じ、共に未来を生きることだ。




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