接待メンコ、致しません。

 鯉登の怪我も無事に完治し、鶴見中尉殿からの連絡を待つだけとなった。アシパちゃん捜索は各方面で行われているらしく、私たちもどこに招集がかかるかは分からない。いつ呼び出しがかかっても良いように、今は準備の期間ともいえる。

「月島ァ! 暇ァ!」
「おはようございますッ!! おはようございます!!」

 ……うるさい。面倒臭い。元気になったらなったで厄介。これじゃ銃の手入れもまともに出来ない。月島軍曹どうにかして下さい。
 鯉登と二階堂さんを頼むと訴えるように見つめた相手は、無の表情を浮かべている。けれどその表情には“面倒くさい”と書いてあって、月島軍曹の苦労を思い知る。……ここは私が一肌脱いであげるとするか。

「鯉登、」
「月島ァ!! ひーまーァ!!」
「……鯉登」
「月島軍曹殿ッ! 今日もおはようございますッ!」
「こッ」
「今日も元気ッ!」
「げんキェエエッ」
「ダメだ。私……もう我慢出来ない……」

 ゆらりと立ち上がる私に「なまえ、落ち着け」と月島軍曹が声をかけてくる。その声に反応せず両手を叩き「メンコしようぜ」と投げかければ、鯉登と月島軍曹が“なるほどそうか!!”とガタッと反応してみせた。
 そこから先の行動は早かった。すぐさま準備したメンコを持って病院の外に出て「台を探してきます」という月島軍曹を見送り鯉登と2人で両足を抱えて座り込む。二階堂さんにも声をかけたけど、指の間にお箸を突き立てて遊ぶのに夢中になっていたので放って来た。

「えッ何」
「ふふッ。欲しけりゃ自分で作るんだな」

 鯉登がいつの間にか描いていたお手製メンコには、鶴見中尉殿が描かれていた。それを眼前に晒され、さらには自慢げな表情をされて思わずムッとする。私だってそれぐらい描けるし。

「な、なんだコレは? 蜘蛛か……?」
「鯉登少尉」
「キエッ……」
「……別に、絵で競おうなんて思ってないし」

 まさか鯉登を黙らせるほどの威力を生み出すとは。このメンコ、強い。今後また何かに使えるかもしれないと思い懐に入れようとしたら「後生だからそのメンコは処分してくれ」と真顔で願われてしまった。そんなにこのメン鯉登がこの世に存在するのが許せないのか。

「うッわ……うま……」
「私だって絵を描くことは得意だ。……アイツには負けんくらいにな」
「アイツ?」

 さらさらと私の顔と鯉登自身の顔をメンコに描く鯉登に歯噛みしていると、鯉登は鯉登で唇を尖らせ拗ねた口調で呟く。一体誰と競ってるんだろう。

「お待たせしました」
「おぉッ! ではさっそく始めるぞッ! 月島!」

 月島軍曹が台を持って来たので3人でメンコ大会を開催する……も、私は早々に敗退してしまい、月島軍曹と鯉登の対決を見守ることになった。結果は何試合しても月島軍曹の勝利のまま変わらず、私はもはや飽きて空を舞う蝶に気を取られていた。月島軍曹も数戦目だというのに「むんッ」と力みながらスパァンとメンコを叩きつけている。よく飽きないな。

「おまえ出世せんぞ月島ぁ」
「接待メンコしろと?」

 良くないな。接待メンコは良くないな。鯉登の言葉にフリフリと首を振っていると背後に悪寒が走った。反射的に視線を走らせるとそこにはガタイの良い女性が立っていて、こちらを睨みつけている。両手をグッと握り締めて怒りを必死に抑えるその女性は、特に何を言うでもなく立ち去って行った。

「知り合いか?」

 鯉登の言葉に月島軍曹が私を見て確認してくる。その視線に首を振って答えると月島軍曹も「いいえ。でも……かなり危険そうなので気を付けてください」と女性を見つめながら返事をする。……あんなに強い殺意を向けられるの、久々だったな。

「ところで……鶴見中尉殿が“札幌で待つように”とのことです。アシパ捜索を切り上げて向かっています」

 札幌で刺青脱獄囚の方に動きがあったらしく、そちらに比重を傾けるらしい。月島軍曹から聞いた“アシパちゃん捜索打ち切り”という電報の内容にひとまずは胸を撫でおろす。……けど、アシパちゃんたちもきっと札幌に来るのだろう。そして、そこには尾形も――。

「……」
「鯉登少尉殿……」

 一瞬の間が流れる。月島軍曹が探りを入れるように鯉登の名を呼べば、鯉登はおもむろにさっき描いた鶴見中尉殿のメンコを取り出し掲げる。にやりと笑い、「欲しけりゃ自分で作るんだな」と言い放つ鯉登。そのメンコを月島軍曹はじっと見つめ、特に何を言うでもなく伊地知閣下のメンコを手に取る。そうして再び2人はメンコの世界へとのめり込んでいった。……ご飯の時間までに終わると良いなあ。



 あらかじめ決めていた合流場所である札幌市時計台。まだそこに宇佐美上等兵と菊田特務曹長の姿はなく、鯉登と月島軍曹と二階堂さんと共に彼らの到着を待つ。メンコをしていた時とは違うヒリついた空気感に、思わずぎゅっと銃を握りしめる。

「鶴見中尉殿も明日には到着するかもしれません。……これまで通りに接することはできますか?」

 その言葉は疑っているというより、心配しているといった方が正しい。そんな風に月島軍曹が鯉登の身を案じてくれることが嬉しくて、なんだか勇気づけられるような気さえする。……月島軍曹も、私たちに寄り添おうとしてくれているのだ。

「お前こそ……。そんなに心配ならお互いのメンコを交換して肌身離さず気を張っておこう」
「わたし作ってませんけど」

 間髪入れずに返された言葉。その言葉によって鯉登は「キエッ」と言いながらメンコのように仰け反る。はい、鯉登の負け。やっぱり月島軍曹強い。フフンッと鼻で笑ってみせれば、鯉登はそこから驚異の立ち上がりを見せ「そういうこともあろうかと!! 私が作っておいたぞッ! 月島ッ!」と月島軍曹の絵が描かれたメンコを取り出す。おぉ……。転んでもただでは起きないな、鯉登は。

「これで揃ったな! ではそれぞれ交換して持ち合うことにしよう」
「私は誰と交換すんの? 月島軍曹? ……え、でもそしたら私が鯉登のメンコになるってことだよね? えー……?」
「むッ? なんだその反応はッ!」
「なんかこのメン鯉登、澄まし顔でムカつくんだよね」
「むうッ!?」
「私が月島軍曹のメンコ持つから、鯉登は自分の持ちな」
「ではここは誰が誰を持つか、メンコで勝負することにしよう。やるぞ月島ッ」
「良いでしょう」
「あのう。月島軍曹ってメンコ勝負に対して並々ならぬ思いをお抱きになってますよね??」

 病院の時から思っていたことを口にするも、月島軍曹は「早く準備しろ」と急かすだけ。樺太の時は何もかも無の表情でやりきってたのに。メンコだけは食い気味になるの、不思議だなぁ。

「……あッ、二階堂さん」
「洋平……俺たちは2人で遊ぼう……」
「ちょ、ちょっと鯉登ッ!」
「ほ、ほら二階堂一等卒ッ! お前の分も描いてやるぞ!」

 あッ、こっち見たッ。コソコソとこちらの様子を窺う二階堂さんに鯉登がメンコをチラつかせると、二階堂さんの意識がこちらに引き寄せられてくる。

「見てる見てる」
「来た来た」

 鯉登がメンコで興味を惹きつけ、その様子を月島軍曹と共に窺う。あともう少しで二階堂さんが釣れるぞと思った瞬間。「お前ら何やってんだ?」という声が響き、そのせいで二階堂さんは再び距離をとってしまった。

「ああん」

 鯉登が溜息を吐いてやって来た人物を見上げる。「菊田特務曹長ッ!!」と強めに名前を呼ばれた菊田特務曹長は一体何事だと戸惑いつつ、私たちの手にそれぞれの似顔絵が描かれたメンコが持たれてるのを見て「第七師団はどうなってんだ……」と頭を掻く。

「お前、やっぱりなまえだよな?」
「お久しぶりです」

 立ち上がって敬礼すると、菊田特務曹長も答礼をしてみせる。……和田大尉殿とは違うな。「大泊で会った時はまさかと思ってたが」そう言って頬を緩める姿は決して傍若無人な人という感じはしない。だけど、私が第七師団に居た頃から鶴見中尉殿が菊田特務曹長に向ける眼差しはいつもどこか冷たかった。だから私もなるべくこの人とは関わらないようにしていたけど、菊田特務曹長はあの頃から1度も私のことを嘲笑するようなことはしなかった。

「なんかアレだな。お前、柔らかくなったな」
「柔らかく……ですか?」

 それはつまり、谷垣さんのように肥えたということか……? 私もあんなスケベ熊ちゃんに見えてるってこと……?

「私はスケベ熊ちゃんじゃありませんッ」
「スケベ熊ちゃん?」

 カッと目を見開いて抗議する私に気圧されながらも「なまえにもよすがが出来たんだろうな」と言葉を返す菊田特務曹長。よすが――そう言って見つめる先が私の頭にある青いリボンであることに気付き、私も微笑みを返す。柔らかくなったという言葉は、どうやら良い意味で言ってくれたらしい。

「その銃も。良い銃だな」
「はい。私には、捨てられない物がたくさんあります」
「強くなったな。なまえ」

 菊田特務曹長の言葉に頷く。私の心のよすがは鯉登だ。その想いを乗せて鯉登を見つめると、鯉登はす……とメンコを掲げてみせる。…………ちっげーーわ。




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