棘の傍に居たい

 隠岐先輩がバイト先のコンビニに現れたのは、シフトに入ってからすぐのことだった。ボーダーに行く前という時間帯でもないし、ましろさんの家に行くにしても微妙な時間だなと不思議に思っている私に「今はお疲れさーんでええよな?」といつも通りの言葉を向ける隠岐先輩。

「はい、お疲れ様です。珍しいですね? こんな時間に」
「今日は非番やってん。ましろはボーダーの日やから、送ってあげたその帰り」
「送ってあげてるんですね」
「まぁいうて家までの行きしなやねんけどな。あとで迎えにも行くし、それやったら晩ご飯はコンビニでちゃちゃっと済ませよ〜思うて」

 棚の陳列をする私の隣でチルド食品を物色する隠岐先輩の、なんの気ない言葉に胸がチクチクする。またましろさんの話題が出ちゃったな。まぁ私たちの共通の話題でもある人物だから、仕方ないんだけど。

「あ、せや。いきなりやねんけど、みょうじさんって今週の水曜日空いてる?」
「水曜日ですか? バイト休みなので空いてます」
「ほんま? もし良かったら放課後、一緒について来て欲しい場所があんねんけど。どうかな?」
「エッ」

 それってつまり……つ、つまり……。ほ、放課後デート……いやデートと呼ぶにはまだ早い。だってこういう場合、“あ、ましろも来るねんけど〜”とか、そういうオチが待っているはずだ。

「あ、ただ」

 来た。どうせこの後“ましろも〜……”だ。分かってる。「おれと2人きりやねんけど。それでも良ければ」…………デートじゃん。嘘、デートじゃん。……デートじゃん!! 美玖!! デートなんですけど!!

「みょうじさん?」
「ハイ喜んで!」
「ぶはっ! 出た、ラーメン店長みょうじさん」

 思考が辿り着いた“デート”という結論から動けないでいると、固まった私を不審に思った隠岐先輩の顔が眼前に現れた。突然のことに慌てて脳直で返事をすると、再び隠岐先輩の謎ツボスイッチを押してしまったらしい。チルド食品が置いてある棚に手を添え体をくの字に曲げている。
 お客さんが居ないのを言い訳にして、わざと陳列の手を緩めながら隠岐先輩の隣に立ち「私がラーメン店長なら、隠岐先輩はスーパーカーですからね」と言葉を返す。

「スーパーカー?」
「そうですよ。時速300キロですからね」
「時速? え、何? ちょお待って……アハハッ。あかん、今何言うてもツボや……」

 隠岐先輩のちょっと変わったツボに呆れすら感じるけど、そういうところも“好き”に入っちゃうから私の負けだ。というか私だって隠岐先輩に何言われてもトキめいちゃうから、もはや完敗だ。

「はぁー……ひとしきり笑わせてもろうたわ。いつもありがとうな、みょうじさん」
「いえいえ。こちらこそですぅ」
「水曜日の件もほんまにありがとう。そしたら水曜日の放課後、校門で待ち合わせでええかな?」
「あ、はい。大丈夫です」

 会話に区切りをつけた辺りで隠岐先輩がチルド食品と飲み物を手にし「会計ええ?」と尋ねてきた。それに頷き場所をカウンターに移すと「おでん、買うて帰ろうかな」とおでんに誘惑されている隠岐先輩。その様子を笑いつつ「この前私も食べたんですけど、めっちゃ美味しかったです」とあの日のおでんを思い出す。

「せやろ!? よし決めた。おでんもええですか?」
「はい喜んでェ」
「ちょ、も……それあかんで」

 再びツボに入り始めた隠岐先輩と笑いながら具を掬い、それも込みで会計を終えた時。隠岐先輩がカウンターに乗せられていた飲み物の1つを私にスライドさせ、「これ、良かったらバイト終わりにでも」と言葉を添えてきた。

「良いんですか?」
「ちょっとした差し入れ。先輩っぽいかな?」
「ありがとうございます! 隠岐先輩は最高の先輩です!」
「ははっ。200円足らずで“最高”が買えるんやったら、いくらでも差し入れたるよ」
「ほんとですか? その言葉、私一生忘れませんから」
「言質取られたなぁ」

 ほなまた――そう言いながら店を出て行った隠岐先輩を見つめ、壁に掛けられている時計に視線を移す。……水曜日まで、あと何時間何分何十秒待てば良いんだ。



「ごめん。ホームルーム長引いてしもうた」
「いえっ。私も今来たばかりなので」
「ほんま? それなら良かった。ほな行こか」

 隠岐先輩の“お疲れさーん”、初めての空振りだ。そんなどうでも良いことを思いつつ、ゆっくりとした歩幅で歩き始める隠岐先輩の後を追う。……今更だけどこれ、待ち合わせ場所失敗したかも。周りの視線が痛い。

「足、痛い?」
「あ、いや……た、たまには下向きながら歩くのも良いかなって」
「え〜? 危ないで」

 危ないのは足元よりも周囲の視線だ。食堂の時とかは“偶然”だったからまだ良かったけど、今日は約束した上での“必然”だからどうしても周囲の視線が気になってしまう。……ましろさん、いつもこの視線を浴びてるんだな。ていうか隠岐先輩もだ。

「隠岐先輩は周りの視線とか気にならないんですか?」
「え、なんで? もしかしておれ、寝癖ついてる?」

 ふわふわの髪の毛を触る隠岐先輩を見て腑に落ちる。この人にとってこの視線は当たり前で、もはや気にもならないのだ。そしてそれは隠岐先輩の隣にずっと居続けたましろさんも同じ。……慣れってすごいなぁ。

「ちょ、みょうじさん。下ばっかりみんとおれ見て」
「えっ」
「どう? 寝癖、ついてる?」
「……ぷ、ふふっ」
「えぇ〜? そんなエグい? 嘘、ほんま? ちょ、トイレ行ってええ?」
「大丈夫です。バッチリです」
「バッチリの後言うて欲しいわぁ。バッチリ付いてるパターンもあるやんかぁ」

 目を細め困ったように頬を掻く隠岐先輩にもう1度吹き出し、“大丈夫、バッチリ付いてない”と伝えてあげる。私はまだちょっとこの視線に慣れることなんて出来ないけど。それでも、この視線を向けられても良いから隠岐先輩の隣に居たい。
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