塩漬けバニラ

 昼休みに行われた保健委員の会議を終え、足を向ける食堂。そこで烏丸くんとは違ったもさもさ頭を見つけ、後ろから声をかける。

「お疲れさーん、です」
「おっみょうじさんや。お疲れさーん」
「ふふっ。隠岐先輩、絶対ひと言目は“お疲れさーん”ですよね」
「あぁ、確かに。おれの口癖なんかな? 今度から気を付けるわぁ」
「気にしないでください。“隠岐先輩だなぁ〜”って思うんで」
「あはは、なんやそれ」

 もさもさ頭の男子生徒はやっぱり隠岐先輩で、烏丸くんと見間違えなかったことに少し鼻高々な気分。2人とも髪型も身長も似てるから、前だったら見分け付かなかったかも。

「まーた1人で考えこんでる」
「あっ、すみません。ちょっと隠岐先輩と烏丸くんを比べてました」
「あんなイケメンくんと比べられたらおれ、よお敵わんわぁ」
「何言ってるんですか。2人、結構似てると思いますよ」
「それは……嬉しいような複雑なような」

 複雑という隠岐先輩の言葉がうまく汲み取れず、頭の上にハテナを浮かべる。そうすれば隠岐先輩は「おれ結構みょうじさんと仲良くなれたって思うてんけど……。まだ誰かと見間違われるんかな、って気持ちと、その相手がイケメンで嬉しいなって気持ち」と頬を掻きながら補足してくれた。私と仲良くなれた……。そんなこと聞いたら私こそ嬉しいような複雑なような、だ。

「私は烏丸くんと隠岐先輩を見間違えないですよ? 現に今も隠岐先輩だって当てましたし」
「そうやな。ありがとう、みょうじさん」
「い、えいえ」

 これって隠岐先輩にとって、私と仲良くなることは嬉しいことなのだと思って良いってことだよね? あー……駄目だ。にやけるの、我慢しなきゃ。

「みょうじさんの表情、1人でころころ転がっておもろい」
「エッあっ、私また……」

 我慢、出来てなかった。隠岐先輩に指摘されてようやく頬に手を当ててももう遅い。隠岐先輩は「楽しそうでええなぁ」と笑いながら「そういえばみょうじさん、この時間からご飯食べるん?」と話題を別の方へと向ける。

「委員会だったんです。隠岐先輩も今からですか?」
「せやねん。おれんとこもついさっきまで委員会やってて」
「てことは美化委員ですか?」
「そうそう。みょうじさんは保健委員か〜。なんか、みょうじさんっぽいな」
「えっ、それを言うなら隠岐先輩の方が保健委員っぽいですよ」
「おれ?」

 おれ、そんな柄とちゃうよと手を振る隠岐先輩に「だってましろさん――」と名前を口に出して思い出す。小さく「あっ」と短い声をあげた私に対し隠岐先輩は「ん〜?」と間延びした声で続きを問う。

「ましろさん、体調大丈夫ですか?」
「あー、うん。今日はもうすっかり元気やで。今朝も寝坊ギリギリ」
「そっか。それは良かったです」
「ええんかなぁ? もうちょいしっかりして欲しいけど」

 頭を掻く隠岐先輩からは切実さが伝わってきて、ついふっと笑いが零れ落ちる。会話の流れで気が付いたら一緒のテーブルに腰掛けていたけど、あえてそこに触れることはしない。

「あ、昨日! バイト終わりに神社寄ったらネコ居たんです」
「まじかぁ。昨日ましろん家から帰る時寄ってみようかなとは思うてんねんけど」
「連絡すれば良かっ……」

 最後まで言えなかったのは、この言葉が誘導してるみたいだなと思ってしまったから。

「そっか。おれたち、連絡先の交換まだしてへんかったんよな」

 違う。決して、この言葉を言わせたくてわざと言ったわけではない。そりゃ知りたいと心の奥底で思ってはいたけども。計算したわけじゃない――なんて言い訳しつつ「……ですね」と控えめに笑いながら言葉を返す。

「良かったら教えてくれへん?」

 この言葉を待っている自分がどこかに居たことも、否定は出来ない。やっぱり私は、到底良い子にはなれそうもない。

「もちろんです。迷惑じゃなければ“今日のネコ”隠岐先輩にも送りますね」
「ええの? 逆に迷惑とちゃう?」
「いえいえ。隠岐先輩はネコ友ですし……って、先輩に“友達”は失礼ですかね、」
「いやいや。ネコ友、めっちゃ嬉しい」
「……それなら良かったです」

 隠岐先輩と連絡先交換を終え、互いの携帯が机に乗せられる。そのうち隠岐先輩の携帯がピコンと音を立て通知を鳴らし、隠岐先輩がそれに手早く返事をしてから数分もしないうち。

「孝くんみーっけ!」

 と可愛らしい声が近付いて来た。……今日も可愛いなぁ。ましろさんを見つめながらとぼんやりと思っていると、隠岐先輩の傍に立っていたましろさんがこっちを向いて「初めまして……かな?」と問いかける。厳密には違うけど、まぁ「初めまして、です」と言うとましろさんは「そっか。私は孝くんの幼馴染で、須美ましろって言います」と名乗ってきた。

「1年のみょうじなまえです」
「なまえちゃんかぁ。孝くんとはいつから友達なん?」
「つい最近、ネコ友になりました」
「ネコ友? …………あぁ」

 孝くん、ネコ好きやもんな? と問いかけながら当たり前のように隠岐先輩の隣に腰掛けるましろさん。その動作には私に対しての牽制などは含まれておらず、無意識のうちに自然とそうしている雰囲気が出ている。
 隠岐先輩も隠岐先輩で「せやなぁ。ましろがネコアレルギーやなかったらもっとネコと触れ合えるんやけどなぁ」と冗談を返している。

「アレルギーやから仕方ないやんか」
「分かってるって」

 ぽんぽん進む会話。途端に場違いになってしまった気分だ。2人が時折私にも話題を振ってくれたおかげで1人置き去りにはならなかったけど、心の距離はぐっと離されたような気がしてしまった。……だけど、ここで気持ちを止めてしまってはいけない。私だってちゃんと隠岐先輩のことが好きだから。
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