旅の意味

 亜港監獄まであと少しの距離まで来た時、地響きのような爆発音が轟いた。双眼鏡を覗き込んだ月島軍曹が「亜港監獄だ!!」と爆発した場所の名を口にする。

「急ごう」

 杉元さんの声によって再び犬ぞりを前へと進める。尾形はもう目の前だ。尾形に会ったら、まず何を話そう。どんなことを口にすれば、尾形の耳に届くのだろう。

「尾形、」

 ぽつりと名前を呟いたら、私のお腹にまわる腕により一層の力がこめられた。



「囚人たちが居ない」
「この爆破跡、」

 塀の爆破跡を見て「キロランケだ」と谷垣さんが語気を強める。キロランケさんは爆弾製造に精通しているらしく、谷垣さん曰く「こんなことが出来るのはキロランケしか居ない」らしい。

「どうだ? リュウ」

 杉元さんが持っていたマキリをリュウの鼻先へと宛がう。その匂いを嗅いだリュウが流氷の方へと駆け出しこっちだと合図する。

「リュウがあっちと言うなら俺は信じるぜ」
「流氷を移動手段にするのは有り得ると思う」

 杉元さんたちに同意を示せば、「……では行こう」と準備を進める鯉登。もうすぐそこに尾形が居る――。逸る気持ちを抑えつつ犬ぞりの準備を行っていると、その気持ちを表すかのように雪が吹雪いてきだした。

「さっきの爆破を見ただろう? すぐ近くに居るはずなんだよ!!」

 天候を危惧する私たちに痺れを切らした杉元さんが「今なら追い付ける!!」とリュウの紐を切って1人で駆け出してゆく。

「ちょ……待てよ杉元ッ」
「私も……、」

 そのあとを慌てて追おうとすれば、鯉登からぐっと腕を掴まれた。「1人で行くな。私の傍に居ろ」と目を見て言われ、一瞬冷静になるもすぐさま頭に尾形がチラつく。

「でも、」
「こんな場所ではぐれでもしたらどうする」
「……ごめん」

 ごもっともな意見に大人しく引き下がる私を見て「私たちも歩こう」と犬ぞりから立ち上がる鯉登。……冷静にならないと。「臆病なまでに慎重で居ろ」――昔尾形から言われた言葉だ。……大丈夫、尾形にはきっと会える。

「杉元の足跡はこっちだ」
「なまえ、足元気を付けろ」
「うん」

 鯉登の背中を見失わないように必死に背中を追う。流氷が陰になっているのもあって、視界が悪い。ふと後ろを振り返った時、月島軍曹がついて来てないことに気付いた。それを知らせようとした瞬間、陰から現れた半分ハゲ男が鎌を振りかざして来た。

「きゃッ、」

 慌てて身を捩ってそれを躱すも、体勢を崩し倒れ込む。その上から男が覆いかぶさってくる気配がしたので、思い切り右足を蹴り上げれば、足に伝わる懐かしい感触。……どうやらここは全世界共通の急所らしい。

「なまえッ!」

 慌てて駆け寄って来た鯉登の手を取り立ち上がるなり「ケガは!?」と様子を窺われる。こんな掠り傷、ケガのうちにも入らないと笑ってみせると「良い蹴りだった」と脱力しながら笑う鯉登。……見られたか。

Клади шинель и вещи на землю и уходи.着ているものと荷物を置いて行け
「しかし、どうやら甘かったようだな」

 蹴り倒した男がゆらりと立ち上がり、今度は鯉登を標的に据える。……女の私を人質に取ろうとしない辺り、結構威力はあったと思いますけどね。「じゃあ鯉登で試してみる?」と問うてみても、鯉登は何も返事しないまま軍刀を構え男と対峙する。

「よくもオイの大事なしをォ!」

 猿叫と共に鯉登が軍刀を振りかざし、男の頭を叩き切る。そうして男が動かなくなったのを確認したのち、「谷垣一等卒ッ」と別の男に襲われていた谷垣さんにも声をかける鯉登。辺り一帯に飛び散る血と、動かなくなった男を前に再び呼吸が荒くなる気配がする。……しっかりしろ。この道を選んだのは私だ。ふぅっと深呼吸をして鯉登の後を追えば、「月島は? どこだ月島ァ! 月島ァ!!」と月島軍曹が居ないことに気付いたのか、辺りを見渡していた。……あれ? ついさっきまで頼もしささえ感じてたんだけどな。

「月島ァ!! 月島どこだ!! 月島ァ?」
「……かくれんぼですかね?」
「さぁ……。ここは良いから、なまえも一緒について行け」
「……はい」

 月島軍曹を探し回る鯉登を眺め、谷垣さんと共にスンッとした表情になる。……この人、果たして本当に格好良いのか? だいぶ揺るぎないものになったと思っていた気持ちを揺らがせつつ、このままでははぐれてしまうとその背中を追う。……まったく、私の傍に居ろって言ったのはどこのどいつだ。

「なんの話だ!? そんな女は放っておけ!!」

 鯉登の背中を追って辿り着いた先には、月島軍曹と女の人の姿があった。女の人、なんか見覚えがあるな――と思いつつ近付けば、「ハッ。なまえ? なまえはどこだ!」と鯉登が再びキョロキョロしだす。

「まぁよくも私のこと置いて行ってくれましたね」
「……ハッ。ち、違うッ。私は部下が心配で、」
「もしかして……スヴェトラーナさん?」

 なまえ、私は決して……と弁明する鯉登を無視し、燈台ご夫婦の娘――スヴェトラーナさんに声をかけると、月島軍曹がどうしてスヴェトラーナさんがここに居たのか事情を説明してくれた。……なんかちょっと脱力しちゃう話だけど。とにかく、スヴェトラーナさんが無事で居てくれて良かった。

「谷垣さんがあっちで待ってます。戻りましょう」

 月島軍曹たちに声をかけ、来た道を戻ると鯉登がその後ろをショボショボとついて来る。「なまえ……、」と何度も名前を呼ばれる間、月島軍曹はいつもこれを経験してるのかと労いの気持ちすら湧いてきた。そうして月島軍曹の顔を見てみても、月島軍曹は変わらずの無を保っていて、いつか私もこうなるのだろうかと漠然と思う。

「谷垣一等卒!!」
「えッ、谷垣さん!?」
「誰にやられた!?」

 谷垣さんのもとに戻ってみると、谷垣さんが鼻血を流して倒れていた。慌てて駆けよれば、「キロランケだ。あの野郎……ッ」と目を血走らせながら起き上がろうとする谷垣さん。それを月島軍曹が制し、「あとは俺たちがやる!!」と告げ私とスヴェトラーナさんにその場待機を命じてきた。……なんだか、亜港監獄についてから一気に場が血生臭くなったような気がする。それがすぐそこに尾形が居ることを証明しているようで、思わず右腕に手が行く。
 気持ちを切り替え、スヴェトラーナさんと一緒に谷垣さんの手当てを行っている最中、近くから爆発音が響いた。音の方向に慌てて駆け出したら、そこに首を抑えて倒れ込む月島軍曹の姿があった。

「月島軍曹ッ!」
「大丈夫だ……大したことない」
「首……、すぐ止血しないと、」
「それよりも鯉登少尉殿を……1人で行ってしまった」
「えッ、鯉登が?」

 パッと顔を上げても鯉登の姿はどこにもない。……私には傍に居ろって言ったくせに、鯉登は1人でどこかに行くじゃないか。月島軍曹を抱き起こし、後を追って来た谷垣さんと3人でキロランケさんの血を辿る。そうして行き着いた先で、キロランケさんに馬乗りされる鯉登の姿が視界に入った。
 鯉登の腕に突き立てられた刀を見た瞬間、ドクンと心臓が跳ね上がるのが分かる。……ダメ、鯉登……! 死んじゃやだ……! 咄嗟に月島軍曹から銃を奪おうとすれば、月島軍曹からそれを手で制される。そのまま谷垣さんと共に銃を構え、キロランケさんに向けて弾を放つ月島軍曹。その銃撃によって仰向けに倒れたキロランケさんを、鯉登が立ち上がってジロリと睨みつける。……こんな風に鯉登が怒っているのは初めて見た。

「鯉登少尉殿……!」
「手出し無用。私が仕留める」

 そう言って銃に挟まった軍刀を鯉登が抜いている時、キロランケさんが何かの栓を抜きそれを宙に向かって放った。思い出されるのは先程の爆撃音。

「鯉登ッ、」

 私の呼びかけよりも早く、鯉登が最後の手投げ弾も勢い良く切り捨ててみせた。それに安堵の息を吐いて傍に駆け寄れば、「こんバカたれ。なんでついて来た」と力なく鯉登が叱りつけてくる。……その言葉にムッとして「私の傍から離れるなって言ったのはどこのどいつよ!」と左腕を叩けば、「ッ」と鯉登が体を硬直させる。

「あ、ごめんっ」
「……とにかく。なまえにケガがなくて良かった」
「……あとで手当てしよう」
「あぁ、」

 鯉登の体を支えていると、キロランケさんが最後の力を振り絞ろうとする気配がした。その様子にいち早く気付いた月島軍曹が「谷垣撃て!!」と言うのと、「待って!!」と言う声が響き渡るのはほぼ同時のこと。……あの綺麗な青い目。アシパちゃんが来たということは――。

「尾形……、」

 杉元さんの背中に負ぶさられる尾形はまったく動かない。その様子に固唾を呑めば、杉元さんと目が合った。私の顔を見た杉元さんが、ゆっくりと頷く。……良かった、尾形は生きてる。

「逃げるぞアシパ……」

 キロランケさんがアシパちゃんと何か言葉を交わす。その様子を見ていた杉元さんたちと一緒に現れた坊主頭さんが「キロちゃん……」とキロランケさんの名前を呼び、眉を下げてみせる。……きっと、キロランケさんにも知りたいことがあって、キロランケさんはそれを必死に追い求め続けたのだろう。その追い求めるものの為には譲れない何かがあって、キロランケさんはその何かの為に命を賭したんだと思う。
 私はキロランケさんのことをよくは知らない。それでも、今際の際にこんなに悲しい顔を浮かべて立ち会っている人が居る――それだけで、キロランケさんの中にも正義があったのだと分かる。

「ありがとう。思い出させてくれて……」
「……そうか」

 アシパちゃんとキロランケさんの会話が何を示しているのかは分からない。でも、キロランケさんは最期に知りたかった何かを知ることが出来たらしい。アシパちゃんの言葉を聞いたロランケさんから、張り詰めていたものが抜け落ちるのが分かった。

「ソフィア……!!」

 キロランケさんは最後にそう呟いて息を引き取った。キロランケさんが、どうか安らかに眠れますように――。……誰かの死が、こんなにも胸に響くだなんて。やっぱり、この旅は私にとって意味のある旅になっている。……尾形。私、尾形に話したいことがたくさんあるよ。




- ナノ -