相棒

 エノノカちゃんとチカパシくんの体力はすさまじい。犬の世話をするヘンケの手伝いをしていれば、その横を2人が全速力で駆け抜けてゆく。その2人の後を追うように駆け出す犬を見て微笑ましく思っていると、「ピリカ」とヘンケがリボンを指差してきた。

「え? あ、えっと……これは……へへ」

 きっと褒めてくれているのだ。ヘンケの顔が穏やかに笑っているので、きっとそうだ。決してからかわれているわけではないはず。……だよね、ヘンケ?

「青いリボン、可愛いでしょ?」

 少し自慢げに笑って、髪につけたリボンを見せればヘンケはうんうんと頷いてくれた。……私のおじいちゃんが生きていたら、「可愛い」と微笑んでくれただろうか。

「わっ」
「エノノカに何すんだッ」
「エノノカちゃん!?」

 ヘンケと笑い合っていると、エノノカちゃんの短い悲鳴が聞こえた。その声に驚いて振り返れば、エノノカちゃんが突然現れたアイヌの男に捕まり人質のように囚われていた。男はエノノカちゃんのマキリを奪い取り、それをエノノカちゃんの首に当て「ハンカアリキカハ!」と怒鳴り散らす。

「エノノカ!!」

 隣に居たヘンケが顔を真っ青にして飛び出そうとするので、それを必死に抑えていると騒ぎを聞きつけた谷垣さんが家から顔を覗かせた。その首筋に向かって「エノノカちゃんが!」と叫べば、声を聞いた鯉登たちも飛び出して来た。

「クエチウカラナー!」

 なんと言っているかは分からないけど、様子を見る限りだいぶ興奮している。どうやって救い出せば良いのだろうかと必死に考えを巡らせている私を差し置いて、杉元さんがぐんぐんと男に近付いていく。そうしてすぐ傍まで近付いた時、男がマキリを杉元さんに向かって突き立てた。「やられた」と言う月島軍曹の声に思わず口に手を当てれば、次の瞬間杉元さんが男に膝蹴りを喰らわせ地面に叩きつけた。

「離れてろアシパさん!!」

 エノノカちゃんのことをアシパちゃんと呼ぶ杉元さんに首を傾げつつも、木の陰から顔を覗かせるチカパシくんを見つけ「チカパシくん!」と声をかければ、チカパシくんがこっちに駆け寄って来る。どうやらチカパシくんがエノノカちゃんのマキリに、ひっそりと自分のマキリの鞘を嵌めていたらしい。そのおかげで杉元さんは斬られずに済んだようだ。

「よくやったぞチカパシ」
「ボッキした」
「そうか」

 どうしてこの会話が成り立つのか、いまいち分からないけど。ここはもう分からなくても良い部分だと思う。谷垣さんとチカパシくんの会話から目を逸らし、エノノカちゃんとヘンケのもとへと向かう。……エノノカちゃんにもケガがなくて良かった。

「樺太では我々のやり方がある」

 男を追って来たアイヌの男が言うには、殺人を犯して逃げていた男は、処刑の為に生きたまま連れて帰る必要があるのだという。

「生き埋め刑か。刑罰であっても直接的な殺人を避けたいのだろうな」

 処刑内容を聞いた鯉登がポツリと呟く言葉。……確かに、誰かを殺すという行為は出来ることなら誰だって避けたいはず。その考えが私の中で肯定されればされる程、尾形への想いが強くなる。人を殺すという行為を厭わなかった尾形を、私は救いたい。

「チカパシくん格好良かったよ」
「勃起した?」
「ソウダネ」

 エノノカちゃんに「ありがとう」と告げられたチカパシくんは、少し照れ臭そうに笑って視線を逸らす。そのやり取りを微笑ましく眺めていれば、「何かあった時はすぐに私を呼べ」と鯉登から言われ、私もつい視線を逸らしてしまう。……なんか、どうしよう。恥ずかしい。もし今杉元さんからあの時のように恋の話を持ち掛けられでもしたら、絶対あからさまな態度をとってしまうと思う。

「そろそろ行こう」
「あ、はい」

 杉元さんの声かけによって出立の準備に取り掛かかる。……良かった。杉元さん、今はそれどころじゃないって顔してる。……いや、私もしっかりしないと。この旅の目的は、アシパちゃんと尾形を探すことだ。

「うふふ……可愛いね、そのリボン」
「……ッ! ……ッ!」

 ダメだった。バレてた……! バッとリボンを隠してみても、杉元さんの乙女状態はもう解けない。「今度ゆっくり聞かせて……」と睫毛を瞬かれ、曖昧に笑うだけに留めておく。……多分、今何を言ってもダメだ。

 杉元さんと別れ、ヘンケの犬ぞりに足を向ければもうすっかり定位置になった場所が私用に空けられていた。そこに跨り座れば、当たり前のようにまわされる鯉登の腕。何を言われるでもないけど、正直、めちゃくちゃ恥ずかしい。これならいっそのことリボンに触れてもらった方がまだマシだ。……大体、なんでくれた張本人は何も言ってくれないんだろう。そんな複雑な思いを抱える私を、「トォトォトー!!」という声でヘンケが前へと引っ張ってゆく。この旅は、前に進むしかないのだ。



「アイヌの集落だ」
「そろそろ休憩を入れましょう」

 後ろから聞こえた会話によってアイヌの集落に立ち寄ることになった。この村のアイヌの人はヘンケたちとは違い、トナカイを飼育しているようだ。

3дрaвcтвуйтеこんにちは
Приятно познакомиться初めまして

 月島軍曹と目を見合わせ、ロシア語が伝わることにホッとする。続け様に事情を説明しようと再び口を開くより先、「なまえ!」と鯉登が私を呼んだ。その声に振り向けば、“こっちに来い”と合図する鯉登。この人はいつも何をそんなに楽しんでいるのだろうか。ふっ、と呆れに近い笑いを零す私の横で「鯉登少尉殿、戻って来て下さい。天幕で休ませてもらいますよッ」と手を叩いて鯉登招集をかける月島軍曹。
 その音に反応した鯉登は嬉しそうに走って戻って来るなり「小さいトナカイが居た!」と興奮しながら笑う。

「そうですか」
「なまえも見てみろ! 小さくて可愛かったぞ」
「少尉殿にトナカイの首輪つけておいたらどうだ?」

 尚もはしゃぐ鯉登に対し、杉元さんが脱走防止用の首輪を持ち出す。それに思わず吹き出せば「まったく、杉元は嫌味な男だな? 月島」と鯉登が溜息を吐く。その言葉に月島軍曹は何も返さないけど、瞳がじっと首輪を捉えているのを見て「……なあ! 月島ぁん」と鯉登が揺さぶりをかける。……あの顔、“なくはないな”って思ってる顔だ。

「ちょっと来て、鯉登」
「どうした」
「……うん、似合ってる」
「キエエッ! なまえまでバカにしおって!」

 月島軍曹たちが天幕に入ったあと、鯉登を呼んで首輪をつけてあげると鯉登が目を吊り上げながら首輪を抜き取る。その様子を笑いながら「リボンのお礼」と言えば、鯉登の動きがピシっと止まった。

「何?」
「……いや、その……何故私のリボンは身に付けているのだ」
「……付けたいから、だけど」
「そ、そうか」

 首輪を地面に置き、私と向き合う体勢をとる鯉登に思わず固唾を呑めば「……か、……いい」と何かを呟かれた。あまりにも小さ過ぎてよく聞き取れず、「なんて?」と訊き返すと、すぅっと鯉登が大きく息を吸う。胸を張った鯉登に思わずのけ反った瞬間、「じゃっで! むぜち言ちょっじゃろう!」とよく通る声でよく分からない言葉を言われた。思わずポカンとする私と、顔を真っ赤に染め上げる鯉登。その間をぴゅう、と風が通り抜け、一気に私の顔も熱を持つ。よくは分からないけどアレだ。きっと、照れ臭いやつだ。

「……1つ訊きたい」
「なんでしょう」
「なまえにとって私は、なんだ?」
「え?」

 真っ直ぐに見つめられ、逃げ場をなくす。……というか、逃げたいとも思わない。真正面から向き合って尋ねる人に、言葉を濁して返すなんてことはしたくない。……私にとって鯉登は――。

「いけ好かないボンボン」
「……なッ」
「世間知らずで、子供っぽくって、純粋無垢」
「それは、」
「でも、だからこそ。真剣に私のことを想ってくれてるんだなって伝わる」
「……、」
「私は他の女の人と比べたら、決して綺麗じゃない」
「他の人と比べることなど、」
「……私は、人を殺した。だから絶対、他の人と一緒ではない」

 その言葉には鯉登も反論はしない。これは紛れもない事実だし、言い逃れする部分でもないから。私は尾形じゃない。私自身だ。だから、そのことをこれからも“罪悪感”として抱えて生きていく。だから私は、“普通の女の子”とは絶対に違う。

「でも、その上で。その上で、“普通のこと”も経験してみたい」
「普通のこと?」
「リボンを可愛いと思ったり、誰かのことを格好良いって思ったり……好きだって思ったり。そういう、“普通”をもっとたくさん知りたい」
「……なまえにはその権利だってあるだろう」
「もし、その権利が許されるなら。私は、鯉登と一緒に経験したい」

 私は、鯉登の傍に居たい――そう続ければ、鯉登はゆっくりと私に近付く。そうして至近距離で見つめ合った後、鯉登がぎゅう、っと私の体を抱き竦める。それがまるで“離さない”と言われてるようで、どうしようもなく嬉しい。背中に腕をまわし、その気持ちに応えてみせればより強くなる力。……そろそろ谷垣さんくらいの息苦しさになってきた。

「尾形に会う前に、それが聞けて良かった」

 腕を叩いて降参を示すより先、鯉登の体が離れ安心したように笑う。それに微笑みを返した所で谷垣さんが「なまえたちも天幕で休め」と声をかけてきた。その声に「はい!」と返事をし、鯉登を手招きすれば嬉しそうに駆け寄って来る。……こういう分かり易い所、ほんと子供っぽい。でもそういう鯉登が、私には必要不可欠だ。

「相棒――なのかな」
「相棒?」
「いやほら、杉元さんとアシパちゃんみたいな。そんな感じなのかなって」
「私となまえがか?」
「ダメ?」
「……いや、ダメじゃない」

 亜港監獄まであと少し。……尾形。私、相棒と一緒にここまで来たよ。




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