無価のリボン

 燈台のご夫婦に別れを告げて数時間。辿り着いた樺太アイヌの集落で、杉元さんと共にアシパちゃんとご夫婦の娘さん――スヴェトラーナさんの行方の聞き込みを行うも、「知らない」と首を横に振られてしまう。まぁ、まだ行く先々で聞き込みは出来る。
 杉元さんと頷き合って家の中に入ると、「チカパシ聞いて」とエノノカちゃんがチカパシくんに声をかけている所だった。

「こないだこの村メコオヤシ出たって!」

 続くエノノカちゃんの話で、そのメコオヤシはきっとオオヤマネコだろうと予測が立つ。……山猫。ふと思い浮かべた人物の名は再び鯉登によって「ふん……尾形百之助じゃないのか?」と口にされる。どうして山猫という言葉で尾形が結びつくのか――杉元さん以外の人間はピンとくるらしく、「なんで尾形なんだよ」という杉元さんの問いに言い淀んでいる。

「“山猫の子供は山猫……”」
「どういう意味だ?」

 師団に居た頃のことを思い出し、居たたまれなくなって家から抜け出す。その姿を皆が見つめているのを感じ取ったけど、誰も声をかけることなく送り出してくれた。猫に馬――私たちはよくそうやって陰口を叩かれていたっけ。

 私はまだ良い。でも尾形は自分ではどうすることも出来ない部分で疎まれていた。そのことに腹を立てる私を、尾形はよく「相手にするだけアホらしい」と鼻で笑っていた。“私たちは親を選べない。だからその部分で人を見下すことが許せない”そう喰い下がってみても「だからこそだろ」と、尾形は相手にしてくれなかった。「血に高貴もクソもねぇだろ。そんなとこで判断するアホどもに熱くなる方がバカなんだよ」なんて、最後はバカにまでされたっけ。そういえば尾形からは“チキン”と言われたこともあったな。……あれ、段々腹立ってきた。あん時一発蹴り上げとけば良かったか?

「……どうせ避けられただろうけど」

 その後に「じゃじゃ馬が」と鼻を鳴らすんだろうな、尾形なら。……分かり合えていたとは思わないけど、理解出来なくはなかった。それは、尾形も一緒だったと思いたい。もう痛むこともないはずなのに、何故か右腕の傷がじくじくと痛むような気がして左手で擦る。……もしこの怪我がなかったら、私は今とは違った道を歩いていたのだろうか。

「おい」

 鯉登が近付いてくるなりコートを手渡してくる。「貴様はどうしても風邪を引きたいらしい」と嫌味を言うので、コートを持って来てくれたお礼は言わないでおく。ムッとした表情でコートを羽織れば、鯉登は私と向き合い「私は尾形百之助が大嫌いだ」と宣言された。

「嫌ってる人多かったもんね」
「言っておくが。私は尾形自身を見て、その上で“嫌いだ”と思っている」
「はぁ、」

 嫌いだと宣言されても。どう受け取れば良いのだろうと困惑を浮かべていると、鯉登は尚も「今でも気に入らん」と吐き捨てる。……まぁアイツも同じくらい人のことを陰でバカにしてたし。鯉登のことを“ボンボン”と嘲笑っていたのも知っている。そんな尾形を鯉登が嫌いだと思うのも、仕方のないことかもしれない。

「そう考えると鯉登と尾形って、似た者同士なのかも?」
「違う!!」
「そ、そんな怒らなくても……」

 いつもの軽口を言ったつもりだったのに。あまりの剣幕に驚けば、鯉登は私の鞄を指差す。そうして続く「私は、そんなものでなまえを縛りはしない!」という言葉。その言葉に思わず息を呑む私に構わず、「そこに潜めているもの全て、なまえを縛っているものだろう」と鋭い指摘をしてみせる鯉登。

「別に縛られてなんか……、」
「アイツに……尾形に、人を想う気持ちがあるとでも思うのか!」
「……ッ、」
「それは一種の呪いのようなものだ」

 鯉登の言葉が痛い。収まっていたはずの腕が再びじくじくと痛みを持つ。左手で押さえても誤魔化しきれない痛みは、「違う」という否定で掻き消そうとしても消えてはくれない。

「現にそうなっているではないか!」
「……!」

 あぁもう。なんでそう傷口に塩を塗り込もうとするのかな。痛くて堪らなくて、つい目尻に涙が溜まる。そんな顔を見られたら「ほらやっぱり」と言われることが分かるから、必死に顔を伏せる。……知らないということは、知らされていないということ。知らされていないということは、必要とされていないということ。その事実に抗おうともがく行為は、まさに呪いのようなものだ。ズバッと言い切られると、自分が今ここに居ることがとても惨めなことに思えてくる。

「でも……それでも、知りたいんだよ」
「……なまえ」
「怖いよ。もし恐れてたことが本当だったって自分の目で確認したら、もう言い逃れ出来ないから。……でも、それでも。そうしないといつまでも受け入れられないから」

 もう良い。泣き顔を見られてたって構うものか。これが私の選択なのだから。その思いで鯉登の顔を見上げれば、鯉登の顔は私と同じくらい歪みをみせていた。……なんで鯉登までそんな悲しい顔するんだ。鯉登には関係ない話なのに。

「なまえがそこまで尾形にこだわる理由はなんだ?」
「知ってどうするの」
「どうも出来ん。だが、知りたい」

 ワガママだなぁといつもなら鼻で笑って躱すだろう。なんで言わないといけないんだと反論したかもしれない。……でも、誰かに――鯉登には私の本心を聞いて欲しい。燈台では言えなかったけど、鯉登が知りたいと願ってくれるのなら、私もそれに応じたい。

「……私たち、境遇が似ててさ」
「境遇……」
「私、おじいちゃんに銃を教わったんだ」
「おじい様に?」
「いつ1人で生きていくことになっても良いように――って」
「何故、」
「父親がろくでもないヤツでさ。おじいちゃんと3人で暮らしてたんだけど、体力的にも誰も父親を止めることが出来なくて。毎日暴力に耐えてた」
「……そんな、」

 家族不和なんて想像が着かないのか、鯉登の顔に動揺が浮かんでいる。その様子を見て少し羨ましいと思いつつも、「まぁそれで、そこを鶴見中尉殿に救ってもらったんだよ。で、銃の腕を見込まれて狙撃手になって。そこで尾形と関わるようになってさ」と話を続ければ、鯉登も聞く体勢に戻る。

「私もあの性格だから、尾形のこといけ好かないヤツだなぁとは思ってた」
「……そうか」
「でも。そういうヤツでも一緒に居たら情っていうか……なんかそういうの湧くんだよね」
「それは……好意、か?」
「んー……区切りをどうつければ良いか分からないけど。多分、違う」
「何故そう言える」
「…………分かったから」
「……?」

 鯉登が、教えてくれたから。尾形に対する気持ちはきっと、月島軍曹に抱くものと一緒。尾形が抱える闇を、少しでも軽く出来るのなら。その手助けをしたい。それが難しい話だったとしても、知ってしまった存在を分からないからという理由で見捨てたくはない。

「知ったからにはどうすれば良いか。その方法が分かるまで、探したい」
「なまえがしたいこと――ということか?」
「うん。私の意志で私はここに居る」

 例えこれが呪いのような縛りだったとしても。それを受け入れた上で私は、この道を選択したい。鯉登と話す中でハッキリそう思えた。涙を拭い、鞄からリボンと羽を取り出し鯉登の前に晒す。

「血や土で汚す度、その分仲間を救ったと誇りに思って欲しいと願われたリボン。真っ白な気持ちでやり直せと渡されたリボン。……そして尾形がくれた白い羽。全部、私を縛ってる」
「……、」
「でも、私の居場所はここにしかないから」
「……おじい様が居るではないか」
「……おじいちゃんが父親を殺したんだ。……その時、おじいちゃんも一緒に死んだ」

 そんな悲しそうな顔しないでよ。これが私の生きてきた道なんだから。――そう言って笑おうとした瞬間、鯉登からぎゅっと抱き締められた。あまりに突然のことに、うめき声をあげる隙さえなかった。すぐさま「ちょっと、」と言葉を挟もうとしても、鯉登はその力を強めそれを許してくれない。

「すまない」
「えっ?」
「なまえの人生を、呪いだと言ってしまった」
「別に……的外れなんかじゃないでしょ」
「なまえ」
「何?」
「私が、なまえの居場所にはなれないだろうか」
「……えっ?」

 思わず体を離す。そうして見上げた鯉登の顔はいつになく真剣な表情を浮かべていて、それが本心であることを伝えてくる。「なまえの進もうとしている道は、おそらく苦しさを伴うだろう。その道を進もうとするなまえを、私が守りたい」尚も届けられる言葉は、恐ろしいほど純粋なもの。

「……守れんの?」
「守ってみせる」
「……へへッ。その言葉、忘れないからね?」

 鯉登になら、守られたい。改めて感じた感情を笑いとして吐き出せば、鯉登の表情も同じよう緩む。……なんとも心強い居場所が出来たな。そう思ってもう1度鯉登を見つめれば、鯉登がもぞもぞと居心地悪そうにポケットの中に手を突っ込みだす。

「……何? オシッコ?」
「ち、違う! ……その、なんだ」
「何?」

 眉を寄せて訝しがれば、「本当はこんなつもりではなかったんだが、」と言いながら差し出されたのは、豊原で杉元さんと見た青いリボン。パッと見上げた先には、「……1つの区切りの意味で渡すつもりだったんだが」と頬を掻く鯉登。

「区切り?」
「このリボンで、抱えているものを忘れろ――と言うつもりだった。だが、それはなまえの望むものではないだろう?」
「鯉登……、」

 私が持ち続けても意味がないから、と言いながら私に押し付けてくるリボン。それを受け取れば、「まぁなまえが持っていても無意味かもしれんが」と口早に吐き捨てるから、思わず苦笑が漏れてしまう。

「意味なくても良いよ」
「むッ?」
「意味がなくても、持っていたい」
「……そうか」
「ありがと、鯉登。凄く嬉しい」
「…………あぁ」

 ただ可愛いだけのリボン。そう思える居場所があるというのは、かけがえのないものだと思えるから。だからこのリボンは、意味がないことに意味があるんだ。……ありがとう鯉登。私の傍に居てくれて。




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