はじめから1度きり

 ムカつく。腹立たしい。「気持ちわりい」と思わず口に出した杉元さんの言葉にヘッと唇が尖る。認めざるを得ないほど完璧に曲持をこなす鯉登は今、グルグルと軽やかに回転している。そのまま一生回され続けろと歯噛みしていれば、鯉登が「フッ」と得意げに笑うのが分かった。

「……気持ちわりい」
「なッ!? 気持ち悪いのか!? 私は気持ち悪いのか?」
「あー……やばい。これは面倒くさくなる予感。月島軍曹、私たちもやりましょう」

 「おい、なまえ! 待て! 私が気持ち悪いのか!?」と叫びながらも回され続ける鯉登を無視し、桶を持ち出し月島軍曹に横たわるよう促す。「え?」と言いながらも雰囲気に流される月島軍曹は、大きい桶を足の裏に乗せられた辺りで「なんで俺が下なんだ。ちょっとまて、いったん置いてくれ」と状況のおかしさに気が付いたらしい。とはいえ、もう谷垣さんは止まらないので、まともに支えてすらない杉元さんの手だけで月島軍曹の上に乗っている桶の上に乗ろうとしてみせる。

「いや……!! お前じゃないだろッ」

 月島軍曹の言葉通り、というか、やる前から分かっていた通り、月島軍曹は谷垣さん入りの桶に押し潰され、ぐあッと呻き声をあげる。……うん、私たち人間にはこれが限界だわ。やっぱ軽業なんて無理だよ。

「気持ち悪い……大きさ……気持ち悪い大きさとは……?」
「次、お願いします!」

 山田座長に次を促し、案内されたのは“サイカホール”という演目の舞台。確か“サイクルホール”という言葉が訛ってそう呼ばれるようになったんだったっけ。舞台横に置かれた自転車を見て、谷垣さんと杉元さんがそれに跨る。……やっぱ二輪だけで体を支えるなんて無理だ。グラグラと不安定に揺れる谷垣さんを支えていれば、「勃起ッ勃起ッ」とチカパシくんと谷垣さんが共に鼓舞し合う。……この人達、この旅の間ずっと何言ってるんだ?

「うるっっせえッ!!」

 杉元さんが怒鳴るのと、月島軍曹が先ほどの仕返しなのか杉元さんの自転車を支えていた手を離すのと、鯉登がわけの分からない乗り方で駆け抜けて行くのは全て同時だった。……いやもう何? もう既に公演始まってる?

「あんたたちは曲芸の演目のわきで踊る“少女団”に入ってください」

 いつの間にか座長に役割分担をされ、杉元さんは座長と共にハラキリの練習、鯉登は長吉くんと共に軽業の練習、そして私と谷垣さんと月島軍曹は少女団へと配属が決まった。振り付けの先生のもとへ行き、指示通り扇子を持って振り付けをした瞬間、見えた――と思った。私の輝く場所は、ここだ――。

「なまえ! 良いじゃないか! アンタ才能あるよ!」
「ありがとうございます!」

 山田フミエ先生の厳しい指導のおかげで、この踊りが自分のモノになっていくのが分かる。私には鯉登のような身のこなしは無理でも、この扇子があれば同じくらい観客を惹きつけることが出来る。曲芸の演目を盛り上げる為の引き立て役? 冗談じゃない。私がこの振り付けで、樺太公演の演目全て喰ってやる。不死身の杉元ハラキリショー? そんなもの、私という存在で霞ませてみせる。アシパちゃんの目に映るのは、扇子と共に輝く私の姿だ。

「ちょッなまえさん! あんま目立たなくて良いからね!?」
「杉元さんは口出し無用です! これは私と鯉登の戦いなんです!」
「ハッ、その程度で私に仕掛けようなど。とんだ笑いものだな」

 馬乗り曲芸を軽やかにこなす鯉登とバチッと睨み合う。悔しいけど鯉登は好敵手と認めざるを得ない。……まぁ良い。それでこそやりがいを感じるってものだ。……そして、私にはもう1人好敵手が居る。

「紅子ッ! そう、その笑顔だよ!」
「はいッ!」
「紅子ォ……」

 さすが紅子先輩。あのフミエ先生の笑みを勝ち取ってみせるだなんて。あぁ、この公演めちゃくちゃ忙しい。月島軍曹だってやる気なさそうに見えてしっかり振り付け覚えてるし……! 源次郎以外全員この公演の花形を狙っているに違いない……! 花形は――私だ!

「いやアホか!!」

 杉元さんの怒声にも構わず踊り続け、しばらく経った頃ようやく一旦休憩することになった。テントの外に出て汗を拭いていると「俺は少女団のお荷物です……ッ」ブヒィッとすすり泣く源次郎の声が聞こえてきた。この公演に涙なんて要らないのに。泣く暇があるんだったら踊りに費やすべきだ――その思いでテントの中へと戻れば、鯉登が竹の上をスタスタと歩いていた。……アイツの身体能力は一体なんなんだ。

「観客に向かってキスを投げてください」
「キスを投げるとは?」
「“投げ接吻”です。海外では受けるんですよ」

 長吉くんの指示通り、鯉登が指先を唇に当て軽く音を鳴らしながら指を離す。その投げキスによって、見学していた女性たちがぎゃあッと悲鳴をあげる。中には失神しかける人も居て、再び私の中に複雑な感情が生まれる。……なんなの、なんなのアイツ! ちょっとチヤホヤされてるからって……!

「なまえ」
「何!? ……ッ!?」

 唇を噛み締めていると、鯉登から名前を呼ばれた。それに勢い良く振り返れば、鯉登は今しがた習ったばかりのキスを私に向かって投げてきた。……違う違う違う! これは悔しくて腹が立って興奮してるだけだ。そうだ、これは闘争心だ。

「どうだ、私の実力を思い知ったか」
「うるさい! わ、私の1番はヘンケだから!」
「なッ!? 貴様……もしやヘンケのヘンケを見たのか!? おいッ! なまえッ!」

 私だって……私だって……! 絶対、鯉登の悔しいって顔拝んでやる……! そうと決まれば源次郎を呼んで猛特訓せねば。

「源次郎! 行くよッ」
「は、はいッ」

 源次郎と共に猛特訓をこなし、時にはフミエ先生の叱咤激励を受け、完成まであともう一息となった。鯉登との勝負は本番でと思っているので、あれから鯉登の軽業は一切見ていない。後はもう自分との戦いだ。「アンタたち、一旦休憩しな。……なまえ、分かってると思うけど、休息も踊りのうちだよッ」と言うフミエ先生の指示を受け、私も少女団のみんなとテントの外に出る。……本当はもっともっと踊りたい。体に踊りを染み込ませたい。

「こんなことしてる場合じゃないのに……」
「ほんとにな」

 月島軍曹が無の表情を浮かべ同意してくる。その月島軍曹の視線の先では「うまく……踊れない!!」とブヒィる源次郎の姿。その周りに少女団のみんなが集まり源次郎を慰めている。この少女団にそんなぬるさは要らないのに。そう舌打ちをしていれば、紅子先輩が「ほらみんな! 早く戻らないとフミエ先生に叱られるよ」とみんなに声をかける。……紅子先輩……。こういう時でさえみんなをまとめることを忘れないなんて。しかも源次郎に向かって「アタイ……ゲンジロちゃんと最後に踊れて良かった。樺太公演……絶対に成功させようね!」と温かい声までかけている。

「嘘……紅子先輩……この街で踊るのが最後だなんて……」
「仕方ないだろう。それが曲馬団のしきたりなんだから」
「ウソ……ッ、私、もっとたくさん紅子先輩の技術を盗んでやるつもりだったのに……! 最後だなんて……」
「……」

 月島軍曹はこの事実に何も思わないのか。そう瞳にこめて問えば、「何をやっているんだという感情は、既にバーニャで味わっている」と答えられた。その瞳の暗さに、一瞬“あれ? 私も今何してるんだっけ?”と思いかけたけど、すぐに思い直して紅子先輩のもとへと駆け出す。

「紅子先輩……ッ! 私、もっと……もっと紅子先輩と踊りたい……!」
「なまえちゃん……。アタイもだよ、アタイも。なまえちゃんと最後まで楽しく踊りたいな」
「紅子先輩……! 私やっと気付きました。少女団に必要なのは、絆です……!」
「うんッ! みんなで力を合わせて、頑張ろう!」
「ハイッ! 源次郎も、一緒に頑張ろう!」
「うん!」

 3人で手を取り合い、瞳を輝かせる。この公演の全てに、私の全力を出し切ろう。決して後悔のないように。突然知らされた紅子先輩との別れだったけど、この1回の公演に紅子先輩への感謝を込めよう。今日でお別れしてしまう紅子先輩に、今日という日を特別な1日として刻んでもらえるように。だからこそ、鯉登には負けられない。……そうと決まれば。

「月島軍曹、早く練習に戻りましょう!」
「……」
「行きますよッ!」
「……頼むなまえ。なまえくらいはまともであってくれ」
「……何言ってるんですか月島軍曹。私たちはもっと煌めかないと!」

 そうして必死に練習をこなし、迎えた本番。衣装に着替え舞台袖に控えれば、練習以来の鯉登と目が合った。鯉登の衣装姿に一瞬息を呑むも負けまいと視線を強めると、鯉登は意外にもふっと視線を逸らした。……ふッ、第1戦目は私の勝ちだ。……いざ、樺太公演開幕――。




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