大団円の節目

 まずは長吉くんの曲持で観客の心を掴む。そして続く鯉登の一本竹上乗芸。これが終われば私たち少女団の出番が控えている。鯉登の曲芸を袖から見つめていると、鯉登と目が合った。どうだ、と得意げな表情を見せる鯉登に歯噛みすれば、鯉登が唇に手を当てる。そうして音を立てながら指を離し、その手を私に向かって開く。もしかして、私に向けた……?

「ッ、」

 逃げ場がない。その投げキスをもろに喰らった私は、成すすべなく固まるしかなかった。……これはアレだ、舞台による補正がかかってるんだ。だからこんなにドキドキしてしまうんだ。そうだ、これは緊張のせいでもある。決して……決してあの観客のお客さんみたいなドキドキとは違う。負けられないっていう闘争心に火が点いただけだ。

「なまえちゃん、行こッ」
「あ、うん!」

 紅子先輩の声掛けで舞台へと駆け出す。そうやって踊り始めてしまえば、段々気持ちが落ち着いてくる。……良かった、踊っている間は雑念が消えてくれるから心地良い。誰にも負けてないと思える。一生このまま踊り続けていたい――その思いは少女団のみんなも同じらしく、踊りの間で交わる視線から感じ取れる。紅子先輩、源次郎、月島軍曹……月島軍曹?
 月島軍曹の“無”な表情に、ふと冷静になる気がした。それでも、それはチラっと視界に入った鯉登の顔が掻き消し、再び湧き起こる“負けるもんか”という気概。それをぶつけるように鯉登に向けて片目を閉じ視線を投げる。どうだ鯉登。さっきの投げキスの代わりだ。きっと「キエエッ」と悔しそうな顔を浮かべるのだろうと思っていると、意外にも鯉登は袖からスッと姿を消してしまった。……あれ、不発だった? なんだそれ、私ただの恥ずかしいヤツじゃん。

「なまえちゃん、ご挨拶」
「あッ、うん」

 1曲目の踊りを終え、紅子先輩達と共に舞台袖へと下がる。そこで待ち構えていたフミエ先生から「なまえ……」と呼ばれ、ビクっとなる肩。振り付けにないことを勝手にしちゃったから、きっと怒られるのだろう。おどおどしながらフミエ先生のもとへ行けば、「……アンタ、一体何と戦ってるんだい」と静かに問われた。パッと顔を上げた先で、フミエ先生が煙草をくゆらせながら「私たちは敵かい?」と続ける。……違う、敵なんかじゃない。私たちは――「戦友です」そうだ、共にこの演目を乗り越える、いわば戦友のようなものだ。

「フッ、分かってるじゃないか。だったらもっと弾けな」
「ハイッ!」

 フミエ先生に頭を下げ少女団のもとへと戻ると、月島軍曹が私を見つめながら「俺が手を汚すしかないか」とボソリと呟いた。その言葉の意味はよく分からなかったけど、今はするべきことがある。……私たちは、敵のようで敵じゃない。戦友のような好敵手だ。ならば、塩を送ってやろうじゃないか。

「ちょっと」
「な、なんだ」
「次鯉登の番でしょ。……が、頑張ってよね」
「……ッ!? どうした、何があった……!?」
「……何、純粋に応援しちゃダメなの?」
「いやッ、そういうわけでは……」
「さっきのアレ……良かったから」
「なまえ……ッ」

 鯉登からそそくさと離れ、私も次の準備へと取り掛かれば「どうして余計なことを」と月島軍曹が小さな声で吐き捨てた。少女団にそんな怖い笑みは不要だとニコっと口角を上げて訴えてみても、月島軍曹は微塵も動じてはくれない。……ここまでくると月島軍曹が正しいような気がしてくるな。

 そうして始まった坂綱。あの不安定な綱を器用に渡ってみせる鯉登に、観客は大盛り上がりをみせる。和傘を掴んで体勢を整える鯉登は、顔立ちも相まってとても絵になっている。やっぱりアイツ、格好良いんだな……ふと思った感想。あまりにも自然と湧いた気持ちに、慌てて首を振っていれば何かに気付いた鯉登が急に猿叫をあげはじめた。

「キエッ、キエエエッ」
「え、な、何……?」

 突然様々な演目に乱入し始めた鯉登に、その場に居た全員が釘付けになる。最後は綺麗に1回転し、見事な着地を決めてみせた鯉登。あまりの出来事に一瞬の静寂がテントを支配する。そして次の瞬間、震える程の大歓声が波のように押し寄せた。

「こればっかりは完敗だわ」
「ふふッ。なまえちゃん、私たちだってまだ踊り、残ってるでしょ? 更に盛り上げることは出来るよ」
「はいッ! 紅子先輩ッ!」

 紅子先輩の言葉に頷き、フミエ先生と源次郎と顔を見合わせ頷き合う。鯉登が作り上げた最高の公演。それを更に最高なものに出来るのは私たちだけだ。タスキは受け取ったからね、鯉登。入れ違いで戻って来る鯉登をチラっと見れば、その顔ははやりきったというより何かに怒っている様子だった。もしかして鯉登、自分の軽業にまだ納得してないの……? どこまで自分を追い詰めるつもりなんだ。凄いな鯉登。……私も、そんな鯉登に胸を張れるくらいの踊りをしないと。

「アンタたち! 会場を沸かせてきな」

 フミエ先生の言葉にしっかりと頷き、笑顔でこなした最後の踊り。無事踊り終えたことに確かな満足を抱えながら袖へと下がれば、「源次郎ッ!! よかったわよ」と源次郎も最後の最後でフミエ先生に褒めてもらうことが出来た。そのことに皆で手を合わせ感涙していると「どういうことだこれは……!!」と鯉登の叫び声が聞こえてきた。私の踊り、ちゃんと見てくれただろうかと気にしつつ月島軍曹と共に近付けば、鯉登の手には2枚の写真が持たれていた。

「鯉登が大事にしてる写真……?」
「……アッちょっと違う!! 杉元がこんな写真を持っているはずがない!」
「犯人は私です」
「月島ぁ!?」
「月島軍曹ぅ!?」

 月島軍曹の自白によって、鯉登と私の目が見開かれる。裏目に出過ぎというか、なんというか。鯉登のアレは鶴見中尉殿のおかげだったんだなと思うと、少し複雑な気持ちになる。……鯉登にとって鶴見中尉殿は、絶対的存在なんだな。

「まずい……」
「どうかしましたか?」
「仕返しに手品の刀の刀身を私の軍刀のものとすり替えた」

 鯉登の自白返しに、月島軍曹と一緒に杉元さんの方を見つめる。――も、杉元さんは既にハラキリショーを始めていて、「ハアァ冷たいッ冷たい冷たいッ」と連呼している。どうする……? 今更もう1回すり替えるなんて無理だし……。てか鯉登、大人気ないな。

「せっかく格好良いと思ってたのに」
「……むぅ、」

 ヘッと鼻息を鳴らしつつ冷たい表情で鯉登を見上げれば、鯉登は反論出来ないのか、むぐっと口を噤む。その様子を見ていた月島軍曹からは「なまえは正気に戻るのが遅すぎる」と逆に溜息を吐かれてしまった。それには私も言い返すことが出来ず、「むぅ」と口を噤むしかない。……いや問題は杉元さんだ。このままでは本物のハラキリショーになってしまう。慌てて杉元さんに刀身を見せて入れ替わっていることを伝えるけれど、杉元さんはそのまま意を決したようにハラキリショーを続けようとする。……杉元さん、そこまでしてアシパちゃんに自分のことを教えたいんだ。その想いの深さにじん、とくるものを感じている時、予定していない乱入者が杉元さんの前に現れた。何あのロシア人。あんなの仕掛けになかったような……。

「わッ、」

 疑問を浮かべた瞬間、杉元さんが持っていた刀でロシア人の手を斬りつけた。続けざまに体を斬り伏せ、もう1人拳銃を向けるロシア人に向かって刀を突きたてる。
 突然始まった戦闘に体が硬直する。会場に飛び散る血を見て、バクバクと鼓動が速まり呼吸が短くなってゆく。人が死ぬという出来事にここまで動揺するなんて。こんな姿、尾形に見られたら……。視界がグラつく中で、1人のロシア人が目に入った。……この男、もしかして鯉登のことを狙っている? そう頭で結びつけた瞬間、体が前に動いた。そうして鯉登を庇うようにして男の前に飛び出せば、男はカチっと拳銃を私に見据える。……尾形――。

「なまえ!」

 ぎゅっと目を瞑った瞬間、何かに抑えられ動けなくなった。ぱっと目を開いても視界は暗いままだし、息だってしづらい。谷垣さんに押しつぶされそうになった時と同じ状況だけど、1つ違うのは決して苦しくはないということ。「貴様ァ……!」と凄む鯉登の声が頭上から響いた時、私は鯉登に抱き締められているのだと理解した。きっと鯉登はさっきのロシア人と敵対しているのだ。……鯉登アンタ今、身1つでしょう。何やってんの――そう言いたくても、うまく言葉が口から出て行かない。

 その睨み合った隙を月島軍曹が見逃さなかったのか、向こう側からボゴォっと鈍い音が響いた。「よくやった月島ァ!」という声と「全員でご挨拶!! そのスキに遺体を回収だ」という座長の声にハッとし、鯉登の腕の中から這い出る。そうすれば鯉登から再び腕を掴まれ、「こんバカたれが!」と至近距離で叱られてしまった。ビクっと驚いても、鯉登はそれに構わず「私の前に出るな!」と言葉を荒げ続ける。

「だってそうしないと鯉登が撃たれてたじゃん」
「そんたわいもじゃろが!」
「それは……ッ、」

 それはお前もだろう――と言われたような気がして、思わず口を閉じる。確かに、私だって何も持ってない状態だったけど。でも、「鯉登が撃たれるよりかは良いかなって……思ったから」そう本音を零せば、鯉登は一瞬息を呑んだ。あ、これは怒声が飛んでくる――そう思い身構えても、意外にも鯉登は「そげんわけなかじゃろ」と小さく呟くだけだった。

「鯉登?」
「なまえのことは私が守る。だから、もう二度と私を庇おうなどとバカな真似はするな」
「……バカって! ねぇ、今バカって……!」
「せからしい! 今そげんこっ言ちょっ場合じゃなか!」
「わ、私は別に守られなくても、」
「キエエッ! 私がなまえを守りたいのだ! それではダメなのか貴様は!」
「……ッ、」

 ダメだと言えなかった。バカにするなと喰い下がれなかった。そこに鯉登の想いを感じてしまったから。そこに、心地良さを感じてしまったから。……鯉登になら守られたいと、そう思ってしまったから。




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