憧れとの邂逅


 牛島くんの姿を見届けた後、目的地である図書館へと辿り着いた。白鳥沢の図書館は高校の図書館とはいえないレベルの立派な建物だ。これだけ大きな図書館だから、利用する人も勿論多い。実際、まだ学校の始業時間から幾分か余裕のあるこの時間帯でも既に何人かの生徒が資料を広げて勉強を始めている。進学校といわれるだけあって、勉強への取り組み方も1人ひとりモチベーションが違う。さすが白鳥沢。どの生徒も自分がやるべきことを分かっているかのように目に力がある。
 目の前の光景を見てそんな高校に来てしまったんだと1度目を瞑る。込み上げてくる焦燥感にほんの少しだけ身を預け、ぐっと目を見開く。……ここに来ることを選んだのは他でもない私。それを後悔しない為にも私だってこうして毎日勉強をしているのだ。……大丈夫。これ以上マイナスなことを考えるのは時間の無駄。切り替え大事。そう自分に喝を入れ、大きな図書館の中へと足を踏み入れた。



 私が唯一、白鳥沢で好成績を収めることが出来ている教科がある。それは、英語。得意だと言える教科だから、せっかくなら伸ばしていきたいと思っていつも“英語プラス他の教科”という組み合わせで勉強することにしている。でも、今日は来るのが遅れてしまったからいつもより勉強時間が短くなってしまった。英語と数学を勉強しようと思っていたけれど、英語を削ることにするか。その代わり、放課後の自学で英語の割合を増やそう。そんな風に段取りを立てつつ、本棚に資料を取りに足を向ける。
 ある程度資料を集めた後、勉強机として設置されている長机に視線を向けてみた。そこにはやはりたくさんの人が座っていて、小さく鼻息を吐く。本当は長机の方が勉強しやすいけど、左利きだと隣の人と肘がぶつかってしまうし、迷惑をかけてしまう。かといって左の1番端は離席しやすい分、競争率が高い。人気の席というのは真っ先に埋まるもの。それは今日も例に漏れない。……だよね、と1人で納得しながら資料を持って2階へと続く階段を上れば、私の特等席が見えた。
 やっぱり、ここはいつ来ても空いてるなぁ。なんだかホッとする気持ちを抱き、いつもの席である小窓脇にある正方形の机に資料を置く。ここは私がずっと愛用している机だ。この周りに置いてある資料は利用する人が少なくて、人通りも少ない。そのせいかこの席が埋まっていることはほぼない。2人が向かい合って座れるように椅子が2つあるけれど、2席とも空いている。それを良いことに1つの席に鞄を置いて、反対側の椅子に自身が座り勉強へと取り掛かる。
 ここだと誰かが来ることもないし、迷惑をかけることもない。凄く穏やかで好きな空間。こうやってひっそりと誰からも見つからずに過ごすのが私にとってはお似合いなんだ。そんなことを考え、持ってきた数学の資料を開き数式と向き合ってゆく。





 そろそろ切り上げるか……。右手の時計が示す時刻を見て片づけの準備に取り掛かる。今日したところ、小テストに出るかなぁ。出ると良いなぁ――そんなことを考えながら席を立ちふと小窓の外に目を向けた時。ランニングを終えた牛島くんが汗を拭いている姿が目に入った。
 さっきすれ違った時から今の今まで走っていたのだろう。普段涼しげな顔をしている牛島くんの額から汗が滴り落ちている。汗を丁寧に拭きながら体育館の方へと歩みを進めてゆく牛島くんの姿は、堂々としている。
 牛島くんを初めて見たのは入学して間もなくの頃。背が高いのに、その背筋を更にピンと伸ばし、前を射抜くようにして見つめるその瞳が怖いなと少し近寄り難い印象を受けた。それからしばらくして、帰宅した家で流れていた夕方のニュース番組で牛島くんを見た時はビックリして「う、牛島くん!?」なんて言葉が口から飛び出していた。
 テレビ曰く、牛島くんはバレーの世界では東北県内では知らない人は居ないほどの有名人とのことだった。テレビ番組で特集を組まれる程に彼が有名な人であるということに私は更に驚き、そのままテレビに吸い込まれるようにその場から動けないでいた。そうしてしばらくの間アナウンサーの人が行う解説に耳を傾け、白鳥沢ともなると有名人の1人や2人居るもんなんだなぁ――なんて関心し、テレビの前から去ろうとした時。牛島くんのインタビュー画面へと切り替わり、その時にアナウンサーが投げかけた質問にもう1度テレビへと意識が吸い込まれた。

「牛島選手は左利きなんですよね?」

 えっ、牛島くんも左利きなの? 私の心の疑問に答えるようにテレビの中の牛島くんは「はい」とあの時見た射抜くような視線で言葉を返していた。どうやら、バレーの世界では左利きというだけで大きな武器になるらしい。それが……まぁ、特集を見る限りそれだけではないけれど、牛島くんが名を轟かせている理由であることを知った。それを聞いたからと言って今更バレーの世界に入るなんて私には到底出来ないけど、私にとってはコンプレックスでもある左利きを牛島くんは全国に通じる武器としていることがとても羨ましいと思った。そして、それを自信に変えてみせる牛島くんを素直に格好良いと思った。それ以来、私にとって牛島くんは秘かに憧れる存在となった。……まぁ、これは誰にも話していないし、話すこともないのだけれど。

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