追い風


 夏休みを終えて、季節は10月下旬となった。牛島くん達は目前に控えた代表戦に向けて、部活動により一層の熱を帯びている。もう今週には始まるんだもんなぁ。時間が過ぎるのはとても早いと、すっかり寒くなってしまった空気からも感じる。
 お互いに練習漬け、勉強漬けの日々だけど。それでもやるべきことが分かっているから頑張れる。前までは私以外の人を“私と違って”目に力があると思っていたけど、今なら私の目にもそう思われるくらい力がこもっていると思う。だって私は、白鳥沢学園の生徒だから。



「あっ、みょうじさん! 今帰りか?」
「みょうじさんも頑張るなー! それだけ勉強したら、頭はあったまっただろ〜?」
「みょうじさん、隼人の余計な駄洒落は頭に入れなくて良いからね」
「なまえちゃーん! お疲れ様! 毎日頑張ってるね〜!」

 以前よりも月が出てくるのが早くなった空を見上げながら帰っていると、カーディガンを羽織る私とは反対に半袖を捲り上げ、滴る汗を拭いながら体育館から出て来た覚さん達と遭遇する。

「お疲れ様。覚さん達は休憩中?」
「うん! やっと休憩だよ〜。もうクタクタ。まぁ30分もしたらまた練習再開するんだけどね〜。もう今週だからさ、鍛治くんも張り切ってるんだよ〜」

 お手上げだというポーズを取ってみせる覚さん。久々にみんなと話すことが出来て勉強で張り詰めた頭が解されていくのが分かる。

「あっ、そうだ! これ!」

 渡すタイミングを逃してしまっていたお守りを今が絶好のタイミングだと思い、鞄から取り出すと「えっ、良いの!」と覚さんが頭の上からピコン! という効果音が聞こえてきそうなポーズを取りながら受け取る。「嬉しいナ〜」と笑う覚さんは、いつも通りの覚さんだ。緊張なんて言葉は全然連想出来ない。“春高に行くのは自分たちだ”と信じて疑っていないのが伝わってくる。だけど、それは傲慢なんかじゃなくて、積み上げてきた経験がそうさせているんだろう。

「準決勝までは授業とかで見に行けないから。応援の気持ちを込めたつもり!」
「ありがとう、みょうじさん。ベンチに置かせてもらうからね」

 大平さんの言葉に「えっ! そんな、ベンチだなんて!」と慌てて両手を振る。ベンチ入りだなんて、恐れ多い……!

「おぉっ! ベンチメンバーとか、みょうじさんスゲー!」
「わ、私じゃなくお守りが……いや、お守りですら烏滸がましいと言いますか」

 みんなとの会話に嬉しさと名残惜しさを感じつつも、これ以上は邪魔になると思い「じゃあ、」と会話を切り上げる。

「私帰るね。みんなも、あんまり無理はしないでね。あと怪我と体調管理には気を付けてね。夜冷えするようになったし、ちゃんとあったかくして寝てね。ご飯もしっかり食べて……って。私が言うことじゃないよね。ごめん」

 ハッとし口を噤む私に、みんなが笑う。そうしてもう1度手を振ってからさぁ帰ろうと背を向けた時。「みょうじ」と牛島くんから名前を呼ばれ振り返る。

「ん?」
「駅まで送る」
「えっ、良いよ。まだそんなに暗くもないし、1人で帰れるよ」

 牛島くんの言葉は飛び跳ねそうなくらい嬉しい。だけど、牛島くんの大切な休憩時間を使わせるわけにはいかない。反射で飛び出そうになった本能をどうにかグッと抑えて断る。それでも尚、牛島くんは「俺がそうしたいんだ」と言って引き下がらない。……ああ、やっぱり。この瞳には勝てそうにない。

「良いの? せっかくの休憩時間なのに」
「帰りは走って帰る。それも大事な練習だ」
「牛島くんが良いのなら……。よろしくお願いします」

 牛島くんがそう言うなら、と従うフリをしてみせるけど、私の心臓はバクバクと音を立てて喜んでいた。



「若利、みょうじさんから濃いパワー貰ってこい!」
「隼人、それって恋のパワーってこと?」
「英太くん、茶化しちゃ駄目だよ〜」
「そう言ってる天童も顔がにやけてるぞ。若利も、みょうじさんも気を付けるんだぞ」

 そんな声を背中で受けながら2人で歩き出した道は人通りも少なくて、静寂が周りを包み込んでいる。外灯の明かりを頼りに歩く私の左隣には、ジャージを羽織った牛島くんが居る。……3年近く通ったこの道をまさか誰かと歩くことになるなんて。しかもその相手が牛島くんだなんて。初めてこの道を歩いた時の私は想像出来ただろうか。想像の遥か上を行く現実に目がチカチカする。暗い学校生活だった分、牛島くんと関わるようになってからの生活が眩しく思える。みんなと過ごした思い出の一つひとつが、ガラスみたいにキラキラしている。眩しいほどの思い出をくれたのは、間違いなく牛島くんだ。

 実は、牛島くんに何かお礼がしたくて、何を渡そうか数日前から悩んでいた。だけど、これといったものを思いつくことは結局出来ず仕舞い。

「牛島くん。あの、これ……」
「お守り? 先程天童に渡していなかったか?」
「そう、なんだけど……えっと……これは、牛島くん専用っていうか……その……」

 悩んだ挙句に手作りのお守りにしました、とは言えなかった。恥ずかしくて。「俺の為に、手作りしてくれたのか?」バレた。隠すなんて小賢しいこと、牛島くんには通用しなかった。いやこれはお守りの出来を見たら誰でも分かるか。

「やっぱ下手だよねっ、ごめんね……! こんな物貰っても困るよね、ごめん」
「いや、欲しい。みょうじが忙しい合間を縫って作ってくれた物は“こんな物”ではない」

 そう言って差し出された大きくて厚みのある左手に、そっとお守りを乗せる。そんなに見つめるのはおやめください……。縫い目とか上手くできなかった部分もめちゃくちゃあるし……。

「試合前、これを見てみょうじの力を借りることにする」
「力になれると嬉しいな」
「あぁ。このお守りが俺にとっては1番のエネルギーだ」
「えへへ。そう言ってもらえると頑張って作った甲斐がありました」

 いつもよりも短いと感じた帰り道もあと数メートルで終わってしまう。まだ長くて良いのに、なんて。初めて通学路に対してそんなことを思った。

「送ってくれてありがとう。決勝戦は絶対、絶対観に行くからね!」

 代表決定戦まで、あと数日。あれだけ頑張ってきたんだから、牛島くん達にはやりきったと言える試合をして欲しい。
 どうか、私の願いが少しでも牛島くん達の背中を押せる追い風となりますように。

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