好きとの邂逅
いつものように校舎を走っていると、端の方を俯きながら歩く女子生徒が目に入った。まるで、ここに居ることが間違いかのように自信なさげに、怯えながら歩く姿に何故か苛立ちすら感じた。そんな思考に囚われるだけ時間の無駄だと、その時は気持ちを切り替えて視線をすぐさま前へと戻した。
それから数日後、ランニングを終え汗を拭きながら視線を上げた時、偶然図書館の小窓に目線が行った。
「……あれは」
そこに、彼女が居た。次の日も、そのまた次の日も。彼女はいつもそこに居た。毎日そこで勉強している姿に何か強い意志を感じ、いつしかそのひたむきな姿に励まされている自分が居た。
そんな彼女に近付きたいという思いが徐々に芽生え、ランニングは端の方を走るようになった。それでも、彼女は俺に気付くことなく下を向いて歩く。話しかけたいという気持ちがあっても、声がかけられない。そんなもどかしい日々を過ごしながら3年生になった時。同じクラスに彼女は居た。みょうじなまえという名前を知れた時はえもいわれぬ感情に襲われた。
みょうじを教室で見ていて分かったことがある。それは、彼女は俺と同じ左利きであるということ。そして、表情が豊かだということ。返されるテストに一喜一憂してみたり、眠そうな顔をしたり、クラスメイトに話しかけられてワタワタしてみたり。みょうじのいろんな顔をもっと見てみたいと思った。
消しゴムを机から落とした時は、自分でも行動の意味が理解出来なかった。すぐ我に返って消しゴムを拾ったが、同じタイミングで拾おうとしてくれたみょうじと初めて目が合った。みょうじの瞳に俺が映っていることがむず痒く、「すまない」と逃げるように言葉を放った。心の中で行動の幼稚さを恥じていると、か細い声で「手……」と呟く声が鼓膜を震わせた。
「あっ……いや……左利きだと、縦書きの時以外は手、黒ずんじゃうよなぁ……なんて……」
みょうじと、もっと話がしたいと思った。
「みょうじも左利きだろう? 何か、手に付かないような対策などはしていないのか?」
「あ、うん。そう。私も左利きなんだ。えと、左利きって結構大変だよね! 不便っていうか、なんていうか……。た、対策っていうか、私は小さな紙とか下敷きを小指の下に当てて書いてる……よ」
一生懸命言葉を紡ぐみょうじは、見ていてとても微笑ましい存在だった。みょうじと話せたことに満足感を覚えた後、すぐにそれだけでは物足りないとも思った。
そこから段々とみょうじと関わるようになり、その度にもっと一緒に居たいと思い、その想いが報われるかのように席が隣になった時は、もうずっと席替えをしなければ良いとまで思った。
みょうじのことになると、どこまでも幼稚になってしまうことを天童と話しているみょうじの姿を見て自覚した。何故こんなにも他人と話すみょうじを見るだけで焦燥感に襲われるのか。その理由だけは分からなかったが。
「良かった。私、牛島くんから嫌われたのかと思って……。学校で楽しく話せるの牛島くんしか居ないから、もしこのまま牛島くんと話せなくなっちゃったらって考えたらもう……勉強も手に付かな……くっ、て……」
俺の疑問は、みょうじの言葉ですぐに解決した。俺はみょうじに惹かれているのだ。あの日すれ違った時からずっと。だからみょうじのこととなると自制が効かなくなる。しかし、みょうじが俺のことを“1番親しい間柄”と言ってくれた。それだけで俺の感情は安定を取り戻す。
だから、みょうじがバレー部の仲間と親交を深めても焦燥感に襲われることはなかった。2人だけで過ごしたいという感情がないと言えば嘘になるが。とはいえ、天童のことを下の名前で呼んでいた時はさすがに動揺した。こればかりは今でも天童を羨ましく思う。
「ありがとう。……私、牛島くんと知り合えてなかったらこのまま暗い3年間を送る所だった。牛島くん、私と友達になってくれて本当にありがとう」
そう言って笑うみょうじの表情は堪らなく愛おしかった。いつからか俺の生活に、バレーと同じくらいの割合を占めるようになったみょうじは今、俺の前に座って懸命に英文と向き合っている。
英語を活かせる道に進みたい――。そう思ったのは、俺のおかげでもあると言ってくれたみょうじの言葉は胸に深く刺さっていて、抜けそうもない。抜くつもりもないし、大切にしたいとすら思う。
みょうじにはこれからも、出来れば、ずっと。隣に居て欲しい。いつかその想いを告げたいと思ってはいるが、今は春高予選も近付いている。
「牛島くん? どうしたの?」
俺の目を真っ直ぐと見つめ返すみょうじに「いや、なんでもない」と言葉を返す。その言葉の次に、いつも俺は“好きだ”という気持ちを隠す。その気持ちを告げる時は、自分がやりきったと思えた時だ。
それは、もう少し先の話。