伝えたい


―ピピーッ

 強く吹き込んだ息が甲高い音に変わり、試合終了を知らせるホイッスルを鳴らす。山形くんの手を弾いた球は後ろへと回転し、大平さんが触れるよりも早く地面に着地し、鈍い音を立てながら何度か弾み、ついには動かなくなった。

 一瞬の静寂が体育館を包み、すぐにその反動が喚声となって押し寄せる。私は体育館の片隅で未だに静寂に身を包まれていた。何が起こったのかいまいち理解出来ていない。処理が追いつかない。牛島くんが……負けた……。みんなが? そんな……まさか。祈るように握った両手を解くことが出来ない。そんな私を時間は置き去りにして先へと進む。
 大平さんが2年の白布くんに声をかけ、白布くんの顔が歪む。白布くんの瞳から流れた一滴がみんなの瞳から涙を呼ぶ。そして、ほんの少しの間だけその涙に浸り、すぐに顔を上げて監督のもとへと向かう選手達。その表情は既にキリっとしていた。少ししか関わることの出来なかった私がみんな以上に悲しむのは、なんだか失礼な気がした。だから、頬を伝う涙を手で拭い、観客席に頭を下げるみんなに両手がビリビリするくらい何度も拍手を送る。
 頭を上げて観客席を一望する覚さんと目が合う。その姿にもう1度涙が伝ったのが分かったけど、涙を拭うよりも何よりも、惜しみない賞賛の気持ちを伝えたい。勝手に流れる涙はそのままにして、何度も拍手を送った。
 私の姿を見た覚さんはへにゃりと顔を歪め下を向く。かと思ったらすぐに上を向いて、いつもみたいな満面の笑みを返してくれた。
 誰がなんと言おうと、私にとっては今日見た試合が最高の試合だって、胸を張って言える。



 1階の通路まで降りて周りの様子を窺う。みんなのところに行きたいけど、これだけの人だかりじゃ行っても話せないかもしれない。それに、私なんかよりもっと話したい人が居るかもしれない。そんなことを思ってウロウロとしていると、右腕をグッと引っ張られて人気の少ない通路へと導かれる。

「牛島くっ、」

 腕を引っ張った人物の名前を呼ぼうとした私の声は、口に触れたジャージで物理的に途切れてしまった。
 明らかに近すぎる距離感。耳元で聞こえるほんの少し早い心臓の音。これは私のじゃない。……じゃあ誰の? 湧き上がってくる疑問を紐解き、ようやく牛島くんに抱きしめられているのだと理解した。

「えっ、う、うし……」

 今私の顔は真っ赤だ。多分、耳も。恥ずかしくて反射的に胸板を押すけどビクともしない。むしろ私の頭にある牛島くんの左手は比例するかのように強くなる。
 お疲れ様とか、格好良かったよとか。色んな言葉を伝えたかったはずなのに。感情がごちゃつき過ぎてオーバーフローを起こす。腕の中でやっとおとなしくなった私に、牛島くんは静かに話しかける。

「みょうじ」
「何?」
「しばらくこのままでも良いか」

 汗の匂いが鼻腔をくすぐる。ついさっきまで必死にボールを追いかけてきた証拠だ。

「牛島くん、汗くさい」
「すまん。離れる」
「良い。離れないで。私も、今顔見られるの恥ずかしいから……こうしてたい」

 そう言って顔を胸元に埋めると、牛島くんの左手が私の髪を梳かすようにゆっくり撫でる。この左手は、牛島くんの武器で誇り。私の憧れ。好きな人の手。私の、大好きな手。

「みょうじがパワーをくれたのに、勝てなかった」
「ううん。充分格好良かったよ」
「応援来てくれたのに、すまない」
「謝ることないよ。牛島くん達が一生懸命だったの、知ってるから。みんな最後はやりきったって顔してて、その表情見てたら、私ちょっと泣けちゃった。でもね、今は悔しいって気持ちよりも、お疲れ様って気持ちの方が強いんだ。だから、牛島くん。3年間お疲れ様」

 少しでも気持ちが伝わるように、そう思いを込めてギューっと抱き締め返す。私の腕じゃ牛島くんを包み込むことは出来ないけど、それでも気持ちは込めた。どちらからともなく腕を離し視線が合う距離で向かい合う。……うわ、なんか……今更ながら恥ずかしい。いやずっと恥ずかしかったんだけど。恥ずかしさが倍になっちゃった。ふっと目線を逸らす私を牛島くんはじっと見つめ続ける。睨めっこしたら絶対勝てないな。

「1つ、お願いをしても良いか」
「ん? 何?」
「褒美が欲しい」
「ご褒美? 私なんかがあげれるものなの?」
「みょうじでないと駄目だ」
「そっ……それはなんでしょう? あまり高価なモノはちょっと」
「下の名前で呼んでくれないか」
「えっ、下の名前? なんでそんな今更……」
「頼む」

 あぁ、もうズルイな。その目。私がその目に弱いってもしかして見抜いてる?

「わ、わかとし、くん」

 恥ずかしい。穴があったら入りたい。そんな思いで顔を手で覆う。……ていうか、牛島くん全然反応示してくれないじゃん。あぁもう、恥ずかしいはずか「好きだ、みょうじ」……えっ?

「うしじ、「若利だ」
「……若利くん、今なんて……」
「みょうじが好きだ。ずっと、好きだった」
「う、うそ」
「俺は嘘は吐かない」
「そう、だよね……。でも、もう1回だけ訊いても良い? 本当にう、若利くんが、私のことを……?」
「あぁ。そうだ。何度でも言おう。みょうじが好きだ」

 キャパオーバーだ。脳が全然動かない。信じられない現実に口がポカンと開いてしまう。こんな顔をうし、若利くんに見られたくないって思うけど、ちょっと今はそれどころじゃない。

「……答えはすぐにとは言わない。前向きに考えてくれるとありがたい」

 若利くんはそう言って体育館の中へと向かって歩いて行く。私は今、エラーを起こした頭が見せる幻覚の中にいるのだろうか。今、あの若利くんが……私を好きだと言ってくれた? あれは幻聴?

「みょうじが好きだ。ずっと、好きだった」

 いいや。幻覚でも、幻聴でもない。だって、心がジンジンする程あったかい。どうしよう。……嬉しい。
 今すぐにでも若利くんと同じ気持ちだって伝えたいけど、若利くんはもうここに居ない。でも、逆に良かったかもしれない。多分、今の私の頭じゃまともな言葉を紡ぐことなんて出来そうにない。
 だから、まずは表彰されるみんなの姿を見届けに行こう。それから、ちゃんと自分の言葉で伝えよう。若利くんに「私も好きです」って。

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