気持ち未明

「えっ、宮選手からキスっ!?」

 私のホテルに招待した相手は、事情を説明するなり目を見開き立ち上がった。あかねちゃんにこんな話聞かせていいのだろうかとも思うけど、職場の仲間だし今はちょっとそこら辺に対する余裕がない。誰かにひとまず聞いて欲しい。

「それで、なまえちゃんは? どうしたいの?」
「どう……したいか……、」

 柄長先輩に電話で縋ると、「今あかねちゃんと2人で立花レッドファルコンズの取材で大阪に居るから、そっち行く」と私の居るホテルに駆けつけてくれた。持参されたビールをグビリと飲み干し、喉を潤す。目を閉じて先程の出来事を思い返しては身悶えする私にあかねちゃんは心配そうな眼差しを、柄長先輩は楽しそうな眼差しを向けてくる。

「バレーの取材は続けたいです……でも、きちんとやれるか……心配です」
「それは宮選手に個人的な感情を抱いてるから?」
「うっ……ハイ」
「わっなまえさんも宮選手のこと好きなんですねっ!」
「あ、ぁかねちゃん……」

 断言しないで欲しい。断言されると……なんというか……ものすごく恥ずかしくなる。散々嫌いだと言い続けた相手だったのに、好きになってしまうだなんて。……今更何を言ってるんだって話だ。

「元々なまえちゃんはさ、宮選手のこと特別視してたじゃん」
「……はい」
「それでも、私がブラックジャッカル担当にしたのは公平性を保てるって思ったからだよ」
「柄長先輩……」
「実際なまえちゃんはジャーナリズム精神を持ってちゃんとやってる。この間の記事だって良かったよ」

 ツマミのナッツを口に放り、それをビールで流し込みながら「私だって星海くんのこと追ってるし、個人的に応援もしてる。色んな選手と接する中でそれぞれの選手に色んな印象だって持つよ。私たちジャーナリストだって人間だもん」と前に聞いた言葉を改めて告げてくる柄長先輩。

「までも。私の星海くんに対する気持ちと、なまえちゃんの宮選手に対する気持ちは違うもんね」
「……柄長先輩、ちょっと楽しんでません?」
「え、だって。楽しんだもん」
「え、柄長先輩っ!」

 人が真剣に悩んでいるというのに。柄長先輩は「大丈夫だって。なまえちゃんなら」とまともに相手にしてくれない。ちょっとムスっとしながらビールを流し込めば「電話して来た時は“ヤバイ”って思ったけど……。まさか、キスされたとはねぇ」としたり顔で覗き込まれた。……この人、酔ってないか?

「私は真剣に悩んでるのに……」
「ごめんごめん。……でも、1つ提案があるんだ」
「提案?」
「月刊ヤキューの編集者が1人産休に入るらしくって」
「あ、そういえば。今年度終わったらって話ですよね」
「そう。フリーランスの人に頼む本数増やして賄う予定だったみたいなんだけど。もし良かったらなまえちゃん兼任しない?」
「兼任ですか」
「うん。向こうの編集部も、なまえちゃんに戻って来てもらえたらって言ってたし」
「兼任……。やってみたい気もします」

 ちょうど佐俣選手のトレーニングもあるし。今のうちから色々と取材しておけば、シーズンが始まった時用に準備も出来る。

「ブラックジャッカルに密着しつつ野球の取材にも行ってもらうことになるから、大変になるけど。大丈夫そう?」
「はい。ちょうど良い機会だとも思います」

 宮選手の記事も書けたし、因縁にけりをつけることも出来た。……新たな問題も生まれた。宮選手のことを好きになってしまった私が、今まで通り公平な気持ちで記事が書けるかは分からない。宮選手は“好きに振らせればいい”と言っていたけれど、嫌いから好きに来られるとその反動が凄まじい。そんな状態できちんとした記事が書けるかどうか、今の段階では不透明過ぎる。




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