たゆたう運命線

 お店に到着し、店先の看板を“支度中”に替え戸を解錠するサムさん。流れるような動きの中で「どうぞ」と言われ、一緒に踏み入れるおにぎり宮は以前と違ってガランとしている。

「このひやっとした空気、ほんま冬が近いこと実感させられますね」
「本当に。気持ちがシャキッとします」
「あぁ、ちょっと分かります。弛み過ぎず、張り詰め過ぎずな感じ、ええですよね。俺もそういう時間好きです」
「適度な感じ、ですよね」
「そうそう。あ、適当な場所腰掛けとって下さいね」
「ありがとうございます」

 会話をしながらも照明を点けたりエアコンを点けたりする作業の途中で、テレビの電源が入れられた。そこから流れてくるのは今日の試合の見逃し配信。思わず「あ、今日の」と声をあげれば「あっちで接客しとう間はあんまり観れんくて。お客さん来るまでの間ええですか」と許可を取られる。お客さんとして捉えられるよりも嬉しい気がしてしまったから、“私も一応お客さんなんだけど”というツッコミはやめておく。

「私も家に帰ったら観るつもりでした」
「ほんまに好きなんですね」
「私の場合は勉強の意味も強いですけどね」
「俺もなまえさんくらい勉強熱心やったら、学生時代もうちょい楽出来たんですかね?」
「あはは。私もこんなに一生懸命なのは人生初です」

 目を見開いておどけてみせるサムさんは、その間も手を洗ったり服を消毒したりと手際よく準備を行っている。その慣れた手際がサムさんがこの作業を毎日丁寧に行っていることを証明しているから、それだけでもサムさんがどれだけ本気でおにぎりと向き合っているかが分かる。侑くんもサムさんも、どちらともが一生懸命に好きなものに真っ直ぐで、凄く格好良い。侑くんが人気なのも、サムさんのお店が繁盛しているのも、全て納得の結果だ。



 開店準備を終えた店内は暖色を取り入れた照明のおかげで、実家に帰って来たような心地よさを感じる。……あの日侑くんが言っていた、“実家みたい”“俺のホーム”という言葉がしっくりくる。――なんて、私が言えた義理はないけれども。そんなことを考えながらグルリと見渡す店内の、ある1点に目が留まった。

「ホームて言うからには客寄せもしてもらわんと」
「ん? あぁ、サインとユニフォーム。効果絶大ですかね」
「どうやろ。あれがなくてもお客さんに足運んで貰える自信はありますけどね」
「そうですね。現に私がそうでしたし」
「嬉しいわぁ。それ口コミ書いて下さい」
「あはは、口コミサイト検索しときますね」
「……? まだなんかあります?」
「あれ」
「あれ?」

 まだ、というか初めから見つめていた賞状のような紙――修了証書を見つめながら「修了証書って、なんか格好良いですよね」と感想を呟く。私の感想が珍しかったのか、サムさんは一瞬手を止めて「……そうですかぁ?」と語尾を上げてみせた。私は賞状をたくさん貰うような人生を歩んできてないから、ああいう風にキリっとした筆文字で自分の名前を書かれるのが少し憧れだ。

「宮……おさ、む……?」
「え、ちゃんと俺の名前ですよ。……え、治。うん、おさむ」
「……わ。私ずっと“サムさん”って呼んでました……」

 侑くんが“サム”って呼ぶから、てっきり“サム”が名前なんだとばかり。……いやよく考えたら“宮侑”と“宮サム”って違和感を抱くよな。片方だけ横文字の名前って。……私はとことんバカだ。他人様の名前をきちんと聞くこともしないなんて。

「すみません! 私、とんだご無礼を……!」
「ははは、ええですよ。俺が昔横文字の名前に憧れて付けたあだ名やし」
「えっ。そうなんですか?」
「尾白アランて立花レッドファルコンズの選手がおんねやけど、その人も俺らの先輩やって。“アラン”て横文字の名前がえらい格好良お思えたんです」
「ふふっ。だから“ツム”“サム”って呼んでるんですね」
「そうです。大人になっても子供の頃の呼び方は抜けへんですね」
「いやでもほんと、自分のぽんこつ加減が恥ずかしいです。これからは“治さん”とお呼びしますね」

 口の中で“治さん”と何度か練習していると、サムさんが「いや。そんままで」と呼び方を指定してきた。もしかして、今でも横文字の名前に憧れを持っているのだろうか?

「そのままのが、なんかええです」
「そうですか? よくよく考えれば“さ”が続くのもちょっと違和感があるような」
「ほんなら“サムくん”はどうです?」
「サム、くん」
「はい、なんでしょう」
「……へへっ。“サムさん”よりは言い易いかな」
「……そうですか。そんならそれでお願いします」
「分かりました。これからは“サムくん”とお呼びします」

 サムさんよりも少しだけ距離が近くなった気がする。そのことに気恥ずかしさを覚えつつ、それを紛らわせるようにサインボールを取り出しサムくんの前に掲げる。そうすればボールの向こうに居るサムくんの顔がきょとんとした顔になるから、「サムくんの写真、撮ってもいいですか?」と尋ねるとサムくんは頭の上にハテナを重ねた。

「侑くんのサインボールをおにぎり宮で撮るって、すっごい贅沢だと思いません?」
「そうですか?」
「宮尽くし! って感じ」
「はは、なんやそれ。それなら俺をバックにやなくてそこのユニフォームのとこのがええんちゃいます」
「……あ、それもそうですね」

 ごもっともな指摘に改めて自分の間抜けぶりを感じ額を掻く。それにしてもサインボール持ちながらユニフォームもうまい具合に入れるのはちょっと難しいな。侑くんはツーショット撮った時一発撮りだったのに。

「なまえさんはやっぱり不器用さんですね」
「そ、そんなこと……!」
「俺が撮ったる。スマホ貸して下さい」
「じゃあ……お願いしてもいいですか?」

 少し頬を膨らませながらスマホを手渡し位置につけば、「1足す1は〜?」なんて集合写真の掛け声をかけてくるから思わず吹き出してしまう。サムくんって意外とボケぶっこんでくるよなぁ。
 その後も何度かサムくんのボケのせいで写真を撮り直すはめになり、ようやく撮影を終えてフォルダを見返せば30枚を超す写真が収められていて「自分大好きか!」と思わずツッコミを入れてしまった。サムくんこれ絶対連写入れたな。

「写真家宮治としてもやっていけるんちゃうやろか」
「いや無理ですって! ほとんどブレてますからね」
「あら? ほんまや。……ここ幽霊おらんはずやけど」
「むしろ怪奇現象ですよ」

 サムくんと冗談を言い合いながら再びカウンターに腰掛け、サムくんは改めて手消毒を行い先程の位置関係へと戻る。……なんだろう、この位置すごく落ち着くな。初めてここに来た時侑くんもこんな感じで座ってたっけ。そんなことを思いながらサムくんが撮ってくれた写真の選別作業を行う。よさげなのがあったらラインのアイコンにでもしようかな。そう思った時、ふと思った。

「私、サムくんのライン知らない」
「え?」
「あっ。ごめんなさい。交換してもどうしようもないですよね」
「……いや、ええですよ。交換しましょう」
「本当ですか? あ、でも今手消毒したばっかですよね」
「また消毒すればええだけの話です」

 そう言ってサムくんがポケットに手をしのばせるのと、「なまえちゃん見っけ!!」という声が入り口から響くのはほぼ同時のことだった。

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