ひた隠しにされた心音

 約束の日。もう地図なしで辿り着けるくらい通い詰めたお店の中に「こんにちは」と言いながら戸を引いて入ると、サムくんも「こんにちは」と言いながら出迎えてくれた。

「営業外の日にまでお邪魔しちゃってすみません」
「いやいや、すっかり常連さんになって貰うて。ありがたい限りです」
「こちらこそです。あ、実はそこのケーキ屋さんでプリン買ってきたんですけど、良かったら後で一緒に食べませんか?」
「プリン! ありがとうございます。なんや気ぃ遣わせてしもうて、申し訳ないです」
「いえいえ。今日こうしてお誘い頂いたお礼です」
「前はよおツムから勝手に食べられてたわ」

 昔を懐かしみながらプリンを受け取り、冷蔵庫に入れるサムくん。確かに侑くんは“治”って書いてあっても勝手に食べそうだな。しかもその現場を抑えられても「食べてない」とか平気で嘘吐きそうだ。

「ふふっ。想像出来る所が侑くんらしい」
「想像出来る程やらかしとういうことですわ」

 そう言いながらもサムくんの手からは包丁の小気味良い音が響く。その手際の良さに見惚れていると、サムくんが私をチラリと見上げる。そしてその視線はすぐにまな板の上に載るきゅうりへと戻り「点検が早よ終わったんです。そやから早めに明日の仕込みも終わらそ思うて」と続くサムくんの言葉。私と同じ年月を生きてきたはずなのに、料理と向き合ってきた年月はサムくんのがきっと長い。
 北さんも、侑くんも、サムくんも。何かと向き合い、“反復・継続・丁寧”をちゃんと行ってきた人たちだ。そういう人のことは素直に尊敬するし、格好良いとも思う。そして、その姿を見ればおのずとその人が歩んできた過程にも触れることが出来る気がするから。やっぱり、今こうして出会えたことは私にとって幸運だと思う。

「あ、そうや。こないだ貰うたじゃがいも、ポテサラにしたんですけど、食べます?」
「良いんですか?」
「はい。なまえさんのお墨付き貰えたら店で出そうかな」
「え。食べる前からお墨付けます」
「ははは。圧倒的信頼感やな」

 小鉢に分けられたポテトサラダに向かって手を合わせ、ぱくりと口の中に運ぶ。じゃがいものしっかりとした食感、きゅうりのシャキシャキとした歯ごたえ、それらを調和するように和えられたマヨネーズ。もう言うことなしだ。サムくんが作る料理は本当にどれも美味しい。私の表情を見て手応えを感じたのか「ふっふっ。ウチの看板メニューになりそうやな」と微笑むサムくん。

「あ、今お茶淹れますね」
「何から何まですみません」
「なんのなんの。ウチに来て貰うた限りはおもてなしさせて下さい」
「ありがとうございます」

 お茶だけは一生北さんに敵う気がせえへんのよな、と独り言ちるサムくん。似たような言葉を、前に似た顔をした人の口からどこかで聞いたなと思い、思わず口角が上がる。確かに、北さんのお茶は美味しかったし、北さんの言葉はとても深かった。私だって北さんに敵う気がしない。

「もうちょいしたら試合始まりますね」
「ですね。今日のスターティングメンバーは日向くんですかね? それともオリバー選手ですかね?」
「んー、どうやろうな。どっちがきてもええ試合しはるしな」
「ですね」

 配信動画がコート内を映し、今日の見どころを解説者が紹介している。その動画を見つめながら心がそわそわと浮つきだすのを感じていると、仕込みを終えたサムくんが隣に腰掛け「あ、アランくんや」と声を弾ませる。アランさんがウォームアップをしている所に侑くんが駆け寄り、何かを言ってアランさんがそれにツッコミを入れるシーンが映し出される。そしてキャプテンである明暗さんに頭を叩かれながら回収されていく所までバッチリ映っていて、つい吹きだしてしまう。サムくんも「アイツほんまアホやな」と呆れたように言っているけど、その顔はどこか楽しげだ。

「今はこうして離れていてもリアルタイムで繋がれるから良いですね」
「そうですね。住み易い時代になりました」
「私の実家、ここからそんなに遠い場所ではないんですけど。小さい頃は色んな所がものすごく遠い場所にあるように思ってました」
「行けて近場の公園でしたよね」
「ですね。たけど、今ではこうして電車に乗ってここに来ることも出来るし、遠くの場所で行われる試合を観ることだって出来る。ラインで気軽に繋がれる。……変わるものですね」
「まぁ、それだけ俺らが大人になったいうことでしょうね」
「そうですね。あの時、私にその力があれば侑くんにも会いに行けたんでしょうけど」
「……あぁ、公園ですか」
「はい」

 だけど、こうも思う。あの時、その力がなかったからこそ、今こうして再会することが出来たんじゃないかと。もし次の日も会いに行っていたらきちんと“バイバイ”を告げてそこでこの縁は途切れていたかもしれない。ずっと心残りとして居座っていたけれど、そのおかげで今があるのだとしたら、これは“後悔”ではないんじゃないかとも。

「囚われ過ぎるのもよくないですしね」
「……?」
「いえ、なんでもないです」

 サムさんは不思議そうに首を傾げたけれど、私の顔を見てまぁいいかと受け入れ「あ、そうや。良かったらおにぎり食べます?」と再び腰をあげる。お構いなく――と言いかけた口を噤み、「いただきます」という言葉に変えればサムくんは満足そうに笑うから。侑くんがバレーに一生懸命なように、サムくんもきっと食べることに一生懸命でありたいのだろう。それがサムくんにとっての生き方なんだろうから。

「具、なんがええです?」
「うめも食べたいし、ネギトロも食べたいけど……塩むすびが食べたいです」
「塩ですか。分かりました。にしてもなまえさんも中々ツウになってきはりましたね」
「そうですか? ふふ、私もおにぎり上級者の仲間入りですかね」

 笑いながらお米を両手で握り込んでいくサムくん。……まただ。また、あの時の記憶が蘇ってくる。

「あの時とは違う」
「ん? 何がですか?」
「ちゃんと本物だ」
「……はは、なんのことやろ」

 少し間を開け言葉を零し、両手の中で形作られた三角形に海苔を巻いてゆく。出来上がったおにぎりは空腹を呼び寄せ、ある疑惑を引き付ける。

「……あの。もしおっきな泥団子があったら、サムくんはなんだと思いますか?」
「泥団子ですか?」

 2個目のおにぎりを握りながらサムくんの視線が一瞬右上へと泳ぎ「んー、なんやろ。ツムやったら“バレーボールや”とか言いそうやけど」と呟く。……確かに、あの時泥団子くんは“これはボールや”とも言ってたっけ。

「……やっぱり、あの時遊んだのは侑くんですよね」
「なんで急に気になったんですか?」

 おにぎりを作り終えたサムくんが隣の席に腰掛け、おにぎりを1つ取って口へと運ぶ。急に――と言えばそうなのかもしれないけど。小さな種のようなものはずっとあったような気がする。それが段々と芽吹いて、もう誤魔化せないくらいに大きくなってしまった。

「私、どうしてもあの時遊んだのがサムくんに思えて」
「……俺になまえさんと遊んだ記憶はないです」
「そ、うですよね」
「試合、始まりますね」
「そうですね」

 侑くんから俺だと言われ、サムくんからは違うと言われた。2人が言っている言葉に矛盾はないはずなのに、胸に何かが引っかかり続けている。この違和感を“囚われる”と呼ぶには少し違う気もする。これは一体、なんだろうか。

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