遠く天にこがね

 山道に入ってからはノイズがひどくて、途中でラジオを切った。きっと侑くんが居たらラジオ代わりのように喋り続けてくれたんだろうけど、それに縋りたくなるような気まずさが訪れることもなく。
 くねくねとうねる山道を慣れたハンドル捌きで越え、一気に開けた景色に釘付けになっていると「着きました」というサムくんの声が車内に響いた。思っていたよりも短いドライブだったなと思うのはきっと、信号が少なかったからだ。……それと、サムくんと一緒に居る時間が心なしか落ち着いたからだろう。サムくんの雰囲気は人を穏やかにする何かがある。

「今日はどんな反応貰えるやろなぁ」
「ん?」
「今日ここに来たんは、新しいメニューの試作品食べて貰う為なんです」
「試作品!」

 一気に目を輝かせた私を笑いながら、サムくんは前に勝負メニューに悩んでいた時に北さんに相談したことがあり、そこから試作品が出来る度に試食して貰うようになったことを教えてくれた。そして、その時に出来た勝負メニューがピリ辛きゅうりであることも。

「あのピリ辛きゅうりにそんな生い立ちが……!」
「はは、なまえさん大袈裟やわ」
「北さんの偉大度が爆上がりしました」
「偉大度て」

 サムくんの雰囲気がいつもより穏やかに思えるのは、この壮大な景色が所以だろうか。夏に来たらさぞかしセミの鳴き声がうるさいだろうなと思う反面、晴天の夏空はとても綺麗なんだろうとも思う。今日も今日とて澄んだ空気がひんやりと肺に入ってきて、気持ちがきゅっと引き締まるような気もするけれど。初めておにぎり宮に行った時に感じた“弛み過ぎず、張り詰め過ぎず”な感じに似ている。だからきっと、サムくんもこの空気感は好きなはず。

「ここは良い所ですね」
「ですね。なまえさんならそう言うやろて思いました」
「ふふっ。実は私もサムくんならこう思うだろうなって思いました」

 穏やかな笑みを零し合いながら歩き、1軒の家に辿り着いた時「ここです」とサムくんが門を指差し、その中へと方向を変えて歩いてゆく。そうして玄関まで歩みを進め「こんにちは」と伸びやかな声を家の中へと届ける。

「来たか」
「今回もよろしくお願いします」
「おう。ひとまず上がりや」

 サムくんの声に反応して出て来た男性は、声色に変化を付けることなくサムくんの到着を歓迎してみせる。そしてじっとサムくんを見つめた後、延長線上に佇んでいた私へと視線を移し「初めまして。北信介いいます」と同じようなテンポで自己紹介をしてきた。

「初めまして。みょうじなまえです。今日は急に来てしまってすみません」
「こちらこそわざわざ足運んで貰うて。なんも大したもてなし出来ませんけど、良かったら上がってください」
「ありがとうございます。お邪魔します」

 北さんの喋り方は淡々としているけれど、決して冷たくはない。まるで“弛み過ぎず、張り詰め過ぎず”を体現したような人だ。……見た目は年相応だけど、“仙人のような人”というのは本当に当たらずとも遠からずな表現だと思う。

「北さんのこと“仙人みたい”て言うたの、なまえさんなんですよ」
「そうか。俺、仙人みたいか」
「サ、サムくん本当に言ったの……!?」
「やってほんまに面白っかてん。1つ上の人が田んぼ耕しとう言うたら“仙人”にまで上り詰めるんやもん」
「なっ、違っ、」

 自分でも分かる。この反応をする時は、言われた言葉が事実だった時だ。短絡的な結び付けをしてしまったことに慌てていれば、「反復・継続・丁寧。それらをちゃんとすることは俺が個人的に心地ええからやっとうだけや」と北さんが言葉を紡ぐ。客間に辿り着き、振り返りながら私を見つめ「そやけど、それをこうして褒めて貰えるんは嬉しいことです」と少しだけ口角を上げて言葉を続けてみせた。……どうしておにぎり宮のおにぎりがこんなにも美味しいのか。その秘訣の1つはここにあるんだろうな。

 「茶淹れて来るから、適当に座っといてや」と言って台所へと姿を消した北さんにお礼を言いながら、2人して用意された座布団に正座し家の中をぐるりと見渡す。

「人生に迷った時、またここに来たい」
「あはは。そういう意味では俺は既になんべんもここに来とうな」

 初めて来る場所のはずなのに居心地の悪さがない。近代的な作りを見せる街とは違って、自然に囲まれた場所。それがこのゆったりとした空間を作り出しているのだろう。夏は縁側に出て日向ぼっこをするのも一興だろうな。

「ほんで、今回は何を食わしてくれるん」
「今回は4種類持って来まして」
「ほぉ。役立てるかは今回も分からんけど、いただきます」
「お願いします」

 北さんからお茶を貰い、3人揃った所で膝を突き合わせ始まった品評会。北さんにはそれぞれ1つずつおにぎりを渡し、私とサムくんはそれぞれのおにぎりを分け合って食べて。ああでもない、こうでもないと会話を繰り広げ満腹中枢が満たされた頃には湯飲みが空っぽになっていた。

「茶、淹れなおしてくるわ」
「あ。すみません」

 食べさせて貰った試作品はどれもお店に並べられるくらい美味しかったし、3人でおにぎりについて語り合うのもすごく充実感溢れる時間だった。おにぎり宮の裏側を知れたし、私にとって貴重な体験になったな。

「なまえさんも付き合うて貰うて。ありがとうございました」
「いえ! お礼を言うのは私です。こんなに貴重な経験をありがとうございます」
「いやいや俺こそ。北さんだけやなくてお客さんの忌憚のない意見が知れたのはめちゃくちゃありがたいです」
「……そう言って貰えるとついて来た甲斐があります」

 おにぎり宮の前で鳴ったお腹はもはや鳴る場所もないくらいパンパンに満たされている。良かったね、とお腹に手を当て擦っていると「もうちょっとしたら俺は畑に出るけど、治たちはゆっくりしてってや」とおぼんにおかわりのお茶を乗せた北さんが言葉をかけてきた。

「今日は何をされるんですか?」
「秋もんのじゃがいもが収穫時やねん」
「なるほど。じゃがいもかぁ、ええなぁ」

 どうやら北さんはお米だけでなく、野菜も栽培しているらしい。その味のおいしさはおにぎり宮で提供される漬物や具材で知っているので、じゃがいもを想像して垂涎しているサムくんと同じ表情を私も浮かべてしまったらしい。私たち2人を見つめ「良かったら持って帰るか」と微笑みながらなんとも嬉しい提案をしてくれる北さん。

「いいんですか!?」
「やった! 北さんのじゃがいも、ポテトサラダにしたらめっっちゃ美味いねん」
「ポテサラ!? 食べたい!」
「せやろ。食べたいやろ」

 私の反応に気を良くしたサムくんがドヤ顔でじゃがいもの美味しさを誇っているのがおかしくて、つい吹きだしてしまう。北さんが「作ってんのは俺や」と正論をかまし「そ、う、そ、れはたしかに」とサムくんが狼狽えるので、それには声を出して笑って。

「ほんならすまんけど、適当に寛いでもう少し待っとってや」
「良かったら手伝わせて下さい」
「客人にそんな手間取らせるわけにはいかんやろ」
「なんですか北さん。そない水クサイこと言わんといて下さい。タダでお裾分けして貰うわけにもいかんし。邪魔やなかったら是非」
「……そうか。ならお願いしてもええか」

 2人して畑に出て行こうとするので「私にも手伝わせて下さい!」と声をあげれば「服汚れるし」「なまえさんのこと怪我させるわけにはいかん」とそれぞれから心配による制止を受けた。……サムくんの言葉を借りる資格があるのかも、これを言う資格があるのかも分からないけど。

「そんな水クサイこと言わないで下さい」

 そう言葉を返せば、2人とも緩やかに口角を上げて「そんなら一緒に行くか」と受け入れてくれるから。

 サムくんと一緒に居ると、楽しいことを一緒に出来る喜びを知れる。

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