ベストショットをひとりじめ

 見晴台から見える景色も良かったけど、ここから見える景色も中々に素晴らしい。すぅっと心に馴染む感覚がして、目を閉じ海風を感じてみる。そうすれば心が凪ぎ、鼻からゆっくり空気を吸い込み再び目を開けば、新鮮な景色を味わうことが出来る。……やっぱり、この気持ちは猫が日向ぼっこを好む理由と同じだろう。

「ここは……」
「似てますよね。あの公園の見晴台の景色と」
「……そうだね、とても似ているよ」

 ほぼほぼ弾丸で訪れたウラジオストク。日程的にじっくりとまわれないし、よくよく考えたら片手で数えられる程度しか会ったことがない相手と旅行って――しかも男性とだなんて――という羞恥心は抱くだけ無駄だと割り切った。それよりも搭乗手続きから現地案内まで、何から何まで鶴見さんにおんぶに抱っこだったことに恥ずかしさが込み上がる。……穴を掘りたい。いやでも鶴見さんの前から消えたくはない。

「なまえさん?」
「あ、す、すみませんっ」
「数時間だったとは言っても、ここに来るまで疲れただろう。ホテルに戻るかい?」
「……いえ。それは嫌です」
「はは、嫌か。それじゃあ帰るわけにはいかないね」

 鶴見さんの笑った顔は、どこに居ても落ち着くなぁ。その顔につい見惚れていれば、「ロシアまで来たのに。私の顔ばかり見ていては勿体ないよ」と軽くウィンクを返された。……意外と鶴見さんも旅行に来れてはしゃいでいるらしい。お茶目な一面まで見せてくるなんて、鶴見さんはズル過ぎる……!

「ここは日本人街から少し離れてますけど、数人くらいは日本人も住んでたんですかね?」
「……そうだね。そうかもしれない――いや、そんな気がする」
「鶴見さん?」

 鶴見さんの視線が丘の下に広がる景色から離れない。そのことを不思議に思いつつも一緒に景色を眺めていると、少しだけ沈黙を保ったあと「私はずっと、ここに来たかったのかもしれない」と鶴見さんが呟いた。

「どうしてだろうね。初めて見る場所なのに、とても懐かしいんだ」
「……そうですか」
「とても……とても大切な場所のような気がするよ」

 鶴見さんの声が揺れている。絞り出すようにゆっくりと、静かに吐き出す思いはとても切実で。鶴見さんの気持ちが今どういう感情なのかを推し測ることは出来ないけれど、ここに来れて良かったと思う。それは鶴見さんも同じだと信じたい。

「ありがとうなまえさん。ここに来れて良かった」
「……私は何も。本当に、何も」

 ここまで来られたのは、鶴見さんがあの日私に声をかけてくれたから。一緒に歩いてくれたから。団子をお裾分けしてくれたから。私と向き合ってくれたから。――私の、新しい世界になってくれたから。全部、鶴見さんのおかげだ。

「こんな意気地なしのおじさんに、なまえさんは勇気をくれた」
「勇気、ですか?」
「理由を探す勇気、自分の想いと向き合う勇気――なまえさんと向き合う勇気」

 全部、なまえさんがくれたんだよ――その言葉を、私の目を見て言うのはズルい。……鶴見さんは本当にズルい。そんな持て余す程の言葉を、私が受け止めきれるはずもないって、分かってるはずなのに。嬉しくて幸せでどうにかなりそうで、つい目をきゅっと瞑って視線を逸らせば、鶴見さんの笑う声がする。

「なまえさんはいつもそうやって私から目を逸らすね」
「だって……、」
「それはキスをしても良いって合図かな?」
「えっ?」

 思わず目を見開けば、「ははっ。目が合った」と笑う鶴見さんの顔。その顔はもう何もぼかしてはないことを証明しているようで、今度は私の目がぼやける番。……この期に及んで真正面から来るだなんて。鶴見さんはズルい。ズル過ぎる。

「ズルみさんだッ」
「ズル……え? ずるみ?」
「鶴見さん、」
「ん? ――!」

 鶴見さんが息を呑むのが気配で分かる。……私にだってズルい部分はある。だからこういうことは鶴見さんからして欲しい。その気持ちで目を閉じること数秒。自分のしている行為の恥ずかしさがテンポ遅れてでやって来た。カッと耳たぶが熱くなるのが分かった時、その耳たぶに熱くて優しい手が触れる。その熱に肩を揺らすのと、それ以上の熱が唇に落とされるのはほぼ同時。

「なまえさんのズルさには一生叶いそうにないな」
「へへっ。どっちがズルいか、これから勝負ですね」
「勝負、か」
「長い戦いになりそうですね」

 鼻を鳴らし気合いを入れれば、鶴見さんが「いや、そうでもない」と待ったをかける。……え、私たち、もう終わり? そんな絶望が顔に浮かんでいたらしい。その顔をおかしそうに見つめたあと「なまえさんのことを好きになってしまった時点で、私の負けだよ」と両手を胸元であげてみせる鶴見さん。……出た、ズルみさん。……てか、そんなこと言うなら――「私の方が先に好きになったんです。私の負けじゃないですか」そういうことになる。この勝負私の負けで、勝ちだ。

「ははっ、じゃあそういうことにしておこう」
「ちょっと。“仕方ないから折れてあげた”みたいな言い方はやめてください」

 ムスッと頬を膨らませれば、対する鶴見さんの頬はゆるゆると緩んでゆく。その顔を見つめると、この人の焦点は私に合っているんだって分かるから。やっぱりこの勝負は私の負けで勝ちだ。

「失礼」
「え?」

 勝ち誇るように表情を作り変えてみせれば、鶴見さんがカメラを構える。その様子を不思議に思っている私に向かって「1枚よろしいですか?」と問う鶴見さん。その言葉に思わず吹き出したあと、私はとびきりの笑顔を浮かべてそのカメラに向かってピースサインを向ける。
 シャッターボタンを押し液晶を見たあと、鶴見さんはきっと私と同じくらい素敵な笑みを浮かべるんだろうな――なんて、想像をしながら。




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