あなたの背景になる

 なんで? と訊かれるとうまく答えられる自信はない。ただ、この景色を見ているとすぅっと体に馴染むのだ。目を閉じ海風を感じれば心が凪ぎ、鼻からゆっくり空気を吸い込み再び目を開けば、そこには新たな世界が広がっているような気さえする。
 猫が日向ぼっこを好む理由は、ここに居ると分かるような気がする。まぁでも、猫に“なんで?”と訊いた所で首を傾げられるだけだろうけど。……とにかく、そういう感じでこの公園の見晴台が好きだ。

「失礼」
「え?」

 手摺りに手を添え景色と向かい合っていれば、後ろから低い渋めの声をかけられた。それに応じるように振り向いた先には、カメラを携えた男性の姿。男性はカメラを胸元に掲げ「1枚よろしいですか?」と私に問う。そのポーズを見た私は、流されるように控えめなピースサインを作って応え返す。見ず知らずの人に“写真撮っても良いですか”などと訊かれて素直に構えるなんて――と思いもしたけど、どういうわけかこの男性の願いはスッと私の中に入ってきた。

「これで良いですか……?」

 男性は男性でピースサインを作った私を見て、一瞬口を開けて固まった。そして何かを呑み込むように口を閉じ、レンズを覗き込んでシャッターボタンを押す男性。そうしてレンズから目を離し、液晶を見たあと穏やかな笑みを私に向けた。

「素敵な写真をどうもありがとう」
「いえ……」

 一体なんなんだと頭にハテナを浮かべていれば、男性は立ち去ることなくこちらに近付いて来た。……もしかしてナンパ? にしては雰囲気がチャラチャラしているようには感じない。ナンパなんてされたこともないので、どういう格好をしている人がナンパしてくる人なのかも分からないけど。とにかく、急に声をかけてきて写真を撮るだなんて。怪しい人に違いない。
 警戒心から小さく1歩体を横にズラせば、男性はそれには何も言わず視線を景色に据えたままもう1度カメラを構えた。そうしてシャッターを押す姿にふと思う。――もしかしたらこの人は、私じゃなくてこの景色を撮りたかったのでは?

「……うわっ、」
「ん?」
「わ、わたっ私……っ、もしかしてめちゃくちゃ恥ずかしい勘違いしてます?」
「ここは景色がとても良い。……お嬢さんのおかげでより良い写真が撮れました」
「す、すみませんっ。すぐ立ち去りますので……!」

 この反応、絶対そうだ。あの時の声掛けは“写真を撮りたいからそこをどいてもらえますか?”の意味だったんだ。それを勝手に勘違いして、挙句の果てにはナンパか? と思い上がって。……穴掘りたい。今すぐこの男性の目の前から消えたい。

「ここにはよく来るんですか?」
「え、あ……はい。好きなんです、ここの景色」
「そうですか。実は私も好きなんです」

 男性の言葉にパッと顔をあげる。そうすれば男性も私へと視線を移しゆっくり見つめ合う。男性は髪の毛をオールバックにかきあげ、髭も手入れされているおかげで全てが清潔感へと繋がっている。見た目でどうなのかは確信持てないけど、この人は絶対ナンパなんかしない。そう思えば思う程、自身の重ねた失礼を自覚して恥ずかしくなる。

「どうしてか――と部下に訊かれるんですがね。うまく説明出来んのです」
「わ! 私もです!」
「ハハッ。そうでしたか」

 うまく言葉に出来ないけど、好きなものは好きだ。そして、そういうものを似た理由で好きだという人が居るというのは、ものすごくテンションが上がる。その気持ちを思わず顔に出して喜べば、男性は再びニコリと微笑んだ。その顔を間近で見てポッと熱を持つ自身の頬。そこでようやくつい先ほど自分が離した距離が詰まっていることに気付き、再び恥ずかしさを噛み締める。

「ですから、写真を撮って見せてみようかと思いまして。まぁ下手の横好きですが」
「な、なるほど……あの、さっきはなんと言えば良いか……。本当に失礼しました」
「いえいえ。普段景色ばかりを写真に収めているので、素敵なお人が撮れて良い練習になりました。……練習なんて言ったら失礼か」
「いえ、そんなことは……!」

 言い詰まれば、男性は再び穏やかに笑って私を見つめてくる。その視線がむず痒くてふいっと視線を逸らした時、“すぐに立ち去る”と言ってからだいぶ話し込んでしまっていることにも気が付いた。……しまった、つい会話を楽しんでしまっていた。

「じゃ、じゃあ……私はこれで」
「あ、」
「はい?」
「……いえ。綺麗な方とお喋り出来て楽しかったよ。どうもありがとう」
「こ、こちらこそ……っ」

 軟派とは違う。この人が言えば歯の浮くようなお世辞も、紳士的な言動に見えてしまう。建前だと分かっていても熱を持ってしまう頬が恥ずかしくて、それを見られないようにバっと頭を下げて踵を返す。そうして数歩足を進めて、ふと振り返ってみる。
 男性は既に視線を景色へと向けていて、視線が交わることはない。それを良いことにじっと見つめるその背中は、どうしてか私の視線を独り占めしてみせる。……素敵な人だったな。名前くらい、訊いておけば良かった。……って、何ナンパみたいなこと考えてるんだ私。




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