First magnitude Star


「いらっしゃいませ」
「今日はうなぎ釜めしで」

 注文に“今日は”を付ける男性客は、それを付けるにふさわしい頻度でここを訪れる。いわば常連客のその男性がうなぎ釜めしを頼む時。それはつまり――。

「大事な商談ですか?」
「さすがなまえちゃん」
「唐沢さんがうなぎ釜めし頼む時って大事なラグビーの試合の日か、商談の日ですよね」

 私が駅構内にある釜めし屋でバイトを始めた頃には、既に唐沢さんはこの店の常連客だった。ということはつまり、唐沢さんとの付き合いはもう少しで5年になる。さすがに多少は唐沢さんがどういう人か分かるようになった。
 私の予想を告げれば、「ご明察」と口角を上げながらうなぎ釜めしを受け取る唐沢さん。互いが流れを分かっているから、購入までの流れがスムーズだ。

「ゲン担ぎみたいなもんだよ」
「そういうの信じてなさそうなのに」
「藁にも縋りたくなる時だってあるさ」
「へぇ。ちょっと意外です。あ、これお釣り」
「どうも」
「あ、唐沢さん!」
「ん?」

 ジャケットを肩にかけ、颯爽と歩き出した背中を呼べ止めればくるりと踵を返して戻って来る。その口には煙草が咥えられているので、恐らく乗車前の一服を考えているのだろう。

「これどうぞ」
「500円オフクーポン?」
「唐沢さん以上のお得意様居ないし。上得意様は掴まえておきたいじゃないですか。だから、コレ。特別にどうぞ」

 本当はポイントカードを埋めないと渡しちゃダメなやつだけど。唐沢さんは既に埋めてなお余りあるほどのお買い上げをしてくれているし。こうやって気さくに話してくれる大事なお客様だから。
 そういう思いで渡したクーポンを受け取りながら「なまえちゃんは人の心を掴むのが上手だね」と軽やかな口調で褒める唐沢さん。人の心を掴むのがうまいのは、唐沢さんの方だってこの数年で学んでいる。



 自分自身が進むべき道が示されたあの時の出来事。志望先だった有名企業への就職を断念してまで受けた入隊試験。ボーダーが設立されてから間を開けずのタイミングで私よりも若い男の子がボーダーのPRをした効果も相まって、志望者の数はすさまじかった。もしかしたら就職しようとしていた企業よりも倍率が高いのでは……と不安に駆られたけれど、ボーダーは特に大きな問題がなければ基本的に落とすことはしないと聞いていたので心のどこかに余裕もあった。
 年齢制限を設けられていないこともあって、志望者の年齢層は幅広かった。みんな、あの日のボーダーの活躍に憧れてここに来たんだろう。かくいう私だってそうだ。あの日の出来事があったから。まさにぃに会えたから。またまさにぃの側に居られる。……一体どれだけこの時を待ち望んだことだろう。

「ない……」

 電光掲示板に灯る数字の中に、私の番号は浮かばなかった。“大きな問題がなければ落とすことはない”そう聞いていたボーダーから突き付けられた不合格の3文字。
 入隊式が行われる日、こっそりそれを覗きに行けば、私より年上の人もちらほらと居た。決して年齢が原因ではないはず。一体、私のどこに“大きな問題”があるのか、全然分からなくて。まさにぃに訊きたくても、何の繋がりもない私にはその方法すらない。……やっと、やっと会えると思ってたのに。

 受験規則の中に回数制限がないのをいいことに、私は何度も何度もボーダー入隊を志願した。けれど結果はただの1度も変わらず、門前払いを喰らい続けた。そうして何度目かの不合格を味わった時、遂に私の目からポタポタと涙が溢れだして受験票を濡らした。

「やっと、やっと会えるって思ったのに……」

 もう記憶の中にしか居ないまさにぃ。何年経っても褪せることのない人の笑顔は、現実にはとてつもなく遠い場所にある。会いたいのに、会えない。側に居たいのに、その資格をもらえないことがひどくもどかしい。

 ボーダーに費やした時間はあまりにも長く、正社員になる機会を逃した私は派遣やアルバイトで日々を繋いでいた。入隊試験を諦めてからも、まさにぃのことを想っては寂しくなる毎日はとてもつまらない日々だった。まさにぃの居場所が分かっているから余計に。

 そんな中、釜めし屋でバイトをしている時に唐沢さんが「きみは人のことをよく見ているね」と声をかけてきた。
 はじめは何のことかと思ったけれど、お手拭きと割り箸に視線を注がれてハッとした。

「そんな……私はただ必要かな、と思っただけで……」
「子供連れにはフォークを付けてあげたり、年配の方にはお手拭きを多めに入れてあげたり。素晴らしい気遣いだ」
「あ、ありがとうございます」

 賃金を貰うからにはきちんと働かねば。そんな思いで私からしてみたら“やって当たり前”だと思っていた部分。そこを褒められるとは思ってもいなくて。それに、そんな風に褒められること自体が初めての経験なのもあって、なんだか照れくさくなって視線を逸らせば「いつもありがとうね」とお礼を告げられ、なんだか心が温まったのを覚えている。



「じゃあこれからも足繁く通わせていただきます」
「はい。お待ちしております」
「クーポン、ありがとうね」
「いえいえ。ありがとうございました」

 今度こそ歩いて行った唐沢さんの背中を見つめながら唐沢さん用のポイントカード作成に取り掛かる。ポイントカードを始めたばかりの頃、唐沢さんにもその説明をしようとしたら電話がかかってきちゃって、結局作りそびれて今の今まで来てしまったし。唐沢さん用のポイントをひっそり貯めて、またクーポンを渡してあげたら唐沢さんはもっとウチを贔屓にしてくれるだろう。……なんて言ったら苦笑いするのかな。

 というか、唐沢さんって一体なんの仕事をしている人なんだろう? 頻繁にここに来るってことはそれだけ移動が多い職業ってことだ。……俳優とか? 有り得そうだけどちょっと違うか。第一スーツだし。とにかく、大企業に勤めてることに違いはなさそうだ。三門市で大企業っていえばいの一番にボーダーが浮かぶ。まぁボーダーは企業じゃないけど。
 そこまで考えてハッと思考が途切れる。……私はまたボーダーのことを考えている。何を思っていてもボーダーに紐付けるの、悪い癖だ。もうまさにぃは私のことなんて忘れているはずなのに。いつまでもまさにぃのことを考えては溜息を繰り返してばかり。

「未練がましいな、私」

 今置かれている現状をちゃんと生きることも大切だって分かってる。唐沢さんのおかげでここで働くことに楽しさを見いだせた。それでも、私にとっての1番は何十年と時が経とうとも、あの頃の僅かな時間なのだ。




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