Sway


 ボーダーに関する話をしながら、迅くんにあれもこれもと勧め、迅くんのお腹が大分膨れた頃。お腹を擦りお冷を流し込む迅くんを見てふと思う。

「迅くんのサイドエフェクトって私のことも視える?」
「そりゃあね」
「失礼かもしれないけど……。1つお願いしても良い?」
「ビール、頼みたいんでしょ」
「おぉ」

 未来視というサイドエフェクトを持っている彼に、悲しい気持ちを抱くのも本当だけど。それでも、頼りたくなってしまった。思っていたことを先回りで告げられ「使えるものは使わないとね」と悪戯に笑われれば、こちらの力も抜ける。これならお酒、体験出来るかもしれない。

「……どう? 大丈夫そう?」
「まぁ、どの未来辿っても病院行きとかそういう一大事にはならないね。でも、念の為住所は教えておいて欲しいかな」
「分かりました」

 言われた通り住所をメモ書きして渡し、店員さんに「すみません、ビール1つ」と声を張る。……雑談のネタ、増えますように。






「唐沢さん」
「あれ、少し遅かったかな?」

 薄い膜がかかったその向こう側で、誰かの話し声が聞こえてくる。……私今、どこに居るんだっけ。何してたんだっけ。うまく思い出せない。

「弱いんだろうなって気はしてたんだよね。だから接待の場でも飲ませなかったのに」
「鬼怒田さんとどっちが弱いんだろうね?」
「さぁ。予知通り、1杯でこれなんだろう?」
「1杯っていうか。半分っていうか」
「事前に教えてくれて助かったよ」
「これで借りは返せました?」
「まったく、きみがそんなことまで考える必要はないのに。……だけど礼を言うよ」

 あぁ、そうだ。私、迅くんとラーメン食べに来てたんだった。一生懸命お店を探して、焼肉とかお寿司はお金的に……って思って辿り着いたお店。安くて美味いって評判だったし、いざ来てみると口コミ通りで、たしかな満足を味わったんだ。

「なまえちゃん、起きれる?」
「後輩……を労う……」

 迅くんにも餃子やら焼き飯やら食べさせて、玉狛やボーダーのこと、たくさん訊いて、……それで……それで。ご飯を奢って先輩らしく格好良く振舞おうって思って……。そう、財布。どこ行った財布。
 財布を探したいのに、手に力も入らないし目もうまくあけられない。空中を彷徨う手が何かに引っ張られ、体ごと何かに吸い付いてしまう。おかしい、体が思うように動かない。

「お礼を言うのはおれかもですね。この状態のなまえさん、1人で連れ帰るのはちょっと厳しかったかもしれません」
「俺はラグビーやってたから、背負って帰れるしね」
「車で来てるのに、それ関係あります?」
「はは、それもそうだ。さて、迅くんはなまえちゃんの家を知ってるかい?」
「知ってますけど……ホテルのが良いかもですよ」
「…………大人をからかうもんじゃないね」

 なまえさんの為に言ったんですって! と弁論のように慌てる声は迅くんのもの。私の為? なんだろう、私の為って。何か声を発したいけれど、「んー」とか「うー」とか喃語のような単語しか出て行かない。……なんかさっきから体が怠いし、ポカポカしている。今冬だったはずなのに。

「なまえさん、唐沢さんに部屋干ししてた下着見られて頭抱えるような朝を迎えるんですよ」
「……きみはそれを視たのかい」
「ふ、不可抗力でしょう」
「まぁいい。迅くんも玉狛まで送るから、乗って」

 目が開かない。なんでこんなに体がフワフワしてるんだろう。ていうか、迅くんってばさっきから誰と話してるんだろ?
 微かに聞こえる会話は、耳には入ってくるけど脳にまで届かず消えてゆく。耳障りではないその声はきっと耳馴染みが良いのだろう。低くてゆっくりとした声は、子守歌を聞かされているみたいで眠気が顔を覗かせる。

「あれ、そう来るか」
「迅くん、申し訳ないがきみはこれでタクシーで帰ってくれるかい?」
「玉狛まで近いし、おれは歩いて帰ります」
「しかし、」
「唐沢さんには結局ラーメン奢ってもらっちゃったし。おれは元実力派エリートだし、夜道も平気です」
「じゃあ、気を付けて帰るんだよ」
「はい。ごちそうさまでした。なまえさんのこと、よろしくお願いします」

 迅くんの声が遠のいてゆく。その声に「じゃあね」って言いたいけど、「んー……」と唸ることしか出来ない。唸った声がすぐ耳に返ってくるのも変だけど、さっきから左の頬に温かくて柔らかい何かが当たっている。きっと、それのせいで声が跳ね返っているんだ。

「結局背負って帰ることになったね」
「ん……、」
「なまえちゃん、お酒も煙草も禁止だからね」
「ん……? はい……、」

 まさにぃに送って帰ってもらった日、打ちつけるように向かってきた風が、今は緩やかな速度で通り抜けてゆく。それに頬を数回撫でられれば、寒さを引き寄せ堪らず暖を求める。

「ラグビーやってて良かったよ、まったく」
「らぐびぃ……」

 ラグビーってワードが聞こえたような。ラグビーっていえば唐沢さんだ。今頃試合観てるのかな。……またいつか、試合観に連れて行って欲しいな。思えば、唐沢さんがラグビーの試合に連れて行ってくれたから私はボーダーに入れたようなものだ。そう考えるとラグビーって偉大なスポーツだな。

「からさわさんはすごい……」
「えっ、どうして?」
「ラグビーすきだから」

 ハハハと笑い声がして、私の体に響く。なんだろう、さっきから煙草の匂いもする。ラグビーに煙草にって。唐沢さんがここに居るみたいだ。

「わたしは、からさわさんのこと……」
「……なまえちゃん?」
「ほんとうなのに、」
「何だろう。気になるね」
「そんけい、してるのに……」
「……尊敬、ね」

 私は、多分きっとボーダーに必要とされないレベルで戦闘力が低い。だからいつまで経ってもまさにぃに心配をかけちゃうし、あんな悲しい思いをさせてしまう。だけど、唐沢さんはそんな私を“必要”だと認めてくれた唯一の人。だから私、唐沢さんの力にだってなりたい。

「……わたしのこと、いらないっていわないで……からさわさん……」
「なまえちゃんも結構ズルいよね」

 寄りかかっている何かに、縋りつくように身を寄せれば、煙草の匂いが鼻腔をくすぐる。なんだか本当に唐沢さんがここに居るみたいだ。さっきから声も聞こえてくるような気さえする。

「わたしは……よわいから……まさにぃのそばにはいられない」
「…………そんなことないのに」

 私は弱いから、その弱さを受け入れてくれる唐沢さんにものすごく助けられているんだと思う。ただ好きって気持ちだけで居られたあの頃と、ボーダーに入った今とでは訳が違うんだと、知ってしまったから。

「おとなになるってむずかしい」
「フェアじゃないからね。大人って」

 だから、私はもっともっと強くなりたい。例え戦場に出られなくても。その力が与えられなかったとしても。唐沢さんが認めてくれた武器を磨きたいと思う。その武器を見つけてくれた唐沢さんは、私にとって――

「とくべつなひと」

 そう言えば唐沢さんは、受け入れてくれるのだろうか。




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