07

 兄者がこの国を気に入った理由が料理に手を付けた瞬間すぐさま分かった。魚は新鮮で、山菜も瑞々しく舌鼓を打つばかり。それらに満足した所で「では参りましょう!」と連れ出された外。肺に取り入れる空気は澄んでいて、思わず深呼吸を繰り返す。この国はなんというか――「全てがうまいな」兄者の言っていた“空気も料理も美味”という表現がぴったりだ。

「自慢の国です」
「確かに、良い国だ」

 ここは他の国から見てみれば我がものにしたい場所であろう。いつ侵略されたとしてもおかしくはない。……それは惜しいな。
 木の葉の領地にしたいとまでは思わないが、交流を深めておけば利点もきっと多い。

「この国を一望出来る丘に向かいましょう。小国ではありますが、だからこそ一望出来ます」

 小国であるということは、それだけ侵略も容易いということなのだが。なまえにはそういう戦略的な思考は毛頭ないようだ。……この手の話になると兄者よりも不安がこみ上げてくる。みょうじ殿もあの人の好さであるし、争いとは無縁な一族。ただ、それがこの国の良さで、みょうじ家の良さでもある。出来ることなら血生臭い話とは切り離して過ごして欲しいとすら思う。

 同盟という手もあるか――ふと思い浮かんだ考えをすぐさま考え直す。金銭的な契約も十分選択肢として生きている。そこをみすみす取りこぼす程ワシは甘くはおれん。力を渡す代わりに金銭を――。安心を渡す代わりに金銭を――。何かを渡すのならば、こちらも何かを貰わねばこの世では生きていけぬ。

「あ! 賭場が出来たのですね」
「賭場?」
「はい。柱間様がいらっしゃった時、賭けの魅力を教えていただきまして」
「兄者が?」
「“どう転ぶか、ハラハラした瞬間は良いものぞ”と。“娯楽も必要”だとも」
「言うておくが兄者の“ハラハラ”は大抵良い方向には転ばぬ」
「ふふ。それもまた一興にございます。私も賭け事を体験してみたいです」

 なまえをじっと見据える。兄者が賭けで儲けを出したことは皆無に等しい。なまえの雰囲気は兄者の纏うそれに似ている。……やはり止めておくが吉だろう。

「姫君が来たとなればカモにされるぞ」
「だからバレぬように軽装をしているのです」

 それに、着物よりずっと楽ですし。と笑うなまえの呑気さは突き抜けて明るい。そう言われれば、なまえの着飾った姿は初対面の1度きりだった。それ以降は今のような軽装でその身をひらひらと翻し良く動き周る。本当にこの娘は姫なのだろうか。正直、そこら辺の女子と大して変わらぬ。その様が却って親しみ易さを呼んでいることは口にせずとも明らかだが。

「変装は良い手だが。そのかんざしで位の違いなど一目瞭然だな」
「あ、これは……。誕生日の祝いに母上から頂いたものでして。……確かに、場違いですね」

 金色に輝く柄と、それから垂れている飾りは小ぶりながらも高貴な揺れを見せている。女物の装飾品に詳しくはないが、そんなワシでさえこのかんざしがいかに良い物か分かる。そこを指摘すればなまえはかんざしに手を当て恥ずかしそうに笑ってみせた。

「これを外してしまうと髪が崩れてしまいますし。……賭場は諦めます」
「……少し待っていろ」

 近くの屋台に寄り、そこで黒い柄に水色の玉が刺さったかんざしを手に取り支払いを済ませる。そうしてそれを渡せば「え……? え?」と玉かんざしとワシの間で視線を泳がせるなまえ。

「良いのですか?」
「構わん。安物だ」
「ありがとうございます! 大事にします!」
「……ふん」

 女に贈り物をするのは初めてのことではない。だが、こんなに安い物を贈るのは初めてであるし、それをこんなにも嬉しそうに受け取られることも初めてだ。大体、なまえにかんざしを買ってやる理由もない。……一体どうしたのだ、ワシは。

「どうですか?」
「悪くない」
「似合っていますか?」
「……あぁ」

 100両にも満たぬかんざし1つでこんなにもふやけた顔を見せるとは。渡したこちら側が気恥ずかしくなる。

「男性に贈り物を頂くなんて初めてです」
「……賭場に行くのだろう?」
「あ! そうでした」
「少しだけだからな」
「はい!」

 次はみょうじ殿に渡した手土産だけでなく、なまえにも何か買っていってやるか。



「扉間様には博才があるのですね」
「相手の顔を見ていれば容易い」
「なるほど。私にはさっぱりでした」
「ふん。1度きりならば良い経験であろう」

 兄者よりは損失なく済ますことは出来るが、賭博あまり好きではない。効率が悪いし、兄者のいう“ハラハラ”を味わうことも出来ぬ。とはいえ、丘に届く風に頬を撫ぜられているなまえには良い経験となったようだった。

「どうですか扉間様。ここからの景色は絶景でしょう」
「あぁ。良い眺めだな」
「ふふっ」

 賭け事で頭を悩ますよりも、こうして呑気に笑っていられた方がこちらも気が休まるというものだ。

「あまり端に行くな。落ちるぞ」
「大丈夫です――きゃっ!?」

 ……気が休まるというのは嘘だ。やはり不安が勝る。後ろ向きに歩いていれば、踏み外しもするだろう。すぐさま瞬身で近付き背中を支えれば「も、申し訳ありません……」と顔を俯かせるなまえ。

「失礼する」
「へっ……と、扉間様っ?」
「危なくて見ておられんからな。ちょっとした細工だ」
「さいく?」
「マーキングだ」

 上着の裾を少しだけ捲り、背筋に手を当て飛雷神のマーキングを施せばなまえは顔を真っ赤に染め上げてみせる。なまえからしてみれば突拍子もないボディタッチにみえたかもしれないが、それでも背中に手を這わせただけでこの有様か。

「いくらでも転べば良い。ワシがすぐさま駆けつけてやる」
「……あ、ありがとう、ございます……」

 飛雷神を使うほど緊迫した場面もないと思ってはいるが。……念には念を入れておいて損はないだろう。

「私が扉間様のもとに駆け付けることは出来ぬのですか?」
「……は?」
「きっと私の方が扉間様のもとに駆けつけたくなるんだろうなぁ――なんて……へへへ」
「……ハァ」
「は、はしたないですよね……こんなことを思うなど」
「……いや、そういう溜息ではない」
「では……?」
「なんでもない」

 何なんだこの娘は。……意図せずとも愛い部分を持っているではないか。


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