愛が輝く

 体を清め、通された部屋では豪華な料理が待ち構えていた。初めて見る料理に手を付けられずにいる私に、カンクロウさんは「手当てだ」と言い放つ。

「里の一員になるんなら、体力はつけてもらわねぇと」
「は、はい」

 思いやり溢れる言葉に胸を詰まらせながら料理に手をつければ、カンクロウさんも満足そうに笑って料理を食べ始めた。誰かと一緒にご飯を食べるのも久しぶりだ。罪悪感を抱きながら食べる必要のない料理はじゅわっと胃に染み渡る。どれも頬っぺたが落ちそうなくらい美味しい。

「お父さんにも食べて欲しかった」

 思わず零した言葉を追究するでもなく、一緒に食事をしてくれたカンクロウさんに「ありがとうございます」とお礼をすれば、何のことだ? という表情で見つめられた。

「すごく、美味しいです」
「そっか。そりゃあ良かった」

 カンクロウさんの笑った顔は、遠い昔の温かい気持ちを思い出す。



「じゃ、また明日」
「ありがとうございました。おやすみなさい」

 カンクロウさんと別れ、入った部屋は牢屋のような暗くじめっとした空気とは程遠い。丸窓から覗く夜空が鮮やかで、それに負けないくらいの照明が部屋全体を明るく照らしている。なんと立派な部屋なのだろうか。
 隙間風が眠りをおびやかすことも、物音1つに神経を尖らすことも必要ない。真ん中に居座るベッドも綺麗に整えられていて、体を沈めさせるのも躊躇してしまう程。ゆっくりと手を添え、次に腰を沈ませ、最後に背中を預ければ天国かと勘違いしてしまいそうな柔らかさが体全体を覆った。

 すっと目を閉じれば睡魔が浮遊する。昨日今日の出来事が夢のようで、もう既に夢の世界にいるんじゃないかと思えるくらい。惨めな人生を歩むくらいなら死にたいと願った矢先の展開がこれだ。もしかしたら私はもう既に死んでいるのだろうか。

 信じられない展開の連続で、まだ少し混乱している。手当てと称されたお風呂や食事は、私の中に蓄積された疲労を呼び起こし、今度は睡眠を欲している。それでも深い眠りにつくことが出来ないのは、長きに亘る習慣のせいだ。

「……寝れない」

 眠りを妨げるものがないと分かっていても、お父さんが死んだ日から熟睡することが出来なくなっている。沈んでいたベッドが浮かぶのと同時に体を起こす。上か下か迷い、向かう先は屋上。高い建物の1番上から景色を見渡したくなった。この里の夜空は澄んでいて、とても綺麗だ。丸窓からではなく目いっぱいに取り込んでみたい。

「なまえか」
「失礼しました……っ」

 施錠もされていない屋上に足を踏み入れた時、先客から声をかけられ肩が強張った。“また明日”と言われた言葉よりも早めの再会を果たした風影様。休憩の邪魔をしたと慄き立ち去ろうとするよりも早く、「そこに居ては体が冷えてしまう。こちらに来るといい」と促され、風影様の近くへと誘われる。

「勝手に出歩いて申し訳ありません」
「構わん。なまえは捕虜でもないのだから」
「ですが……」
「お前は捕虜以上に捕虜のようだな」

 冗談なのか咎めなのか分からず、言葉に詰まる。地面に座る風影様の隣で立ち尽くす私に「座れ」と命じる風影様。少し距離を開けて座れば「里の人間らしく振舞え」と頷きにくい命令を下されてしまう。

「私は、まだここに来たばかりで……」
「すまない。オレも、口下手でな」
「い、いえっ」

 初めての経験ばかりでどう対処すればいいか分からない。風影様に謝られるだなんて、どんな人生なんだろうか。私は一体どんな夢を見ているのだろう。目の前で起こる展開全てがめまぐるしい。私の隣に居るのは里の長、風影様で、その風影様と2人きり。自分の置かれている状況が良く分からなくなってきた。

「ゆっくりでいい。この里に自分の居場所を見つけてくれ」
「風影様……」
「オレのことを“風影”と思うから委縮するのではないか?」
「えっ」
「“我愛羅”でいい。そう呼んだ方がなまえの緊張も解けるだろう」
「そ、それは……さすがに……っ」

 それはさすがに身に余ると否定するよりも先に「オレの名は母様から貰った名だ」と続けられ、言葉を止める。私の開けた距離を縮め、自身の肩にかけていたブランケットを私の左肩にかける風影様。それすら恐れ多い行為だったけれど、「数年前までオレはずっと勘違いをしていた」と風影様の話が続いているので、聞くことを優先させた。

「親からも、誰からも愛されていないと思いながら生きてきた。自分の出自をひどく憎んだし、他人を憎むことでしか存在意義を見出せないとすら思っていた」
「風影様が?」
「あぁ。だが、そのオレを変えたのは他人だった」
「その人って……」
「ソイツはオレの友となり、他人との繋がりが憎しみや殺意だけでないことを教えてくれた。色んな感情を他人と分かち合い、認め合うことが出来るということも」
「素敵なご友人ですね」
「あぁ。そのおかげで生きる道を変えることが出来、父様とも分かち合うことが出来た」

 風影様と分け合うブランケットは体全体を覆っているワケじゃないのに、ベッドに沈んでいる時よりも温かい。カンクロウさんの傍に居た時もそうだ。ここにはお父さんが持っていた温かさに近い何かがある。

「オレの名は、母様の愛をかたどったものだ」
「愛、ですか」
「“オレを愛している”という思いを我愛羅という名前に込めてくれた」
「あの、風影様のご両親は、」
「随分前に亡くなった」

 少し考えれば察しのついたことだと自分の問いを恥じた。風影様の語る口調は、私がお父さんを思い出している時と似ている。確かにそこにあった、綿あめのようなふわふわとした優しさをなぞる行為。風影様も辛い経験を味わってきたんだろう。軽率な質問をしてしまったと詫びると、「構わん」とご両親を語るのと同じ口調で受け入れてくれた。

「風影の名も嫌いではないが、我愛羅という名はもっと好きだ」
「素敵な名前だと思います」
「だから、なまえにはその名で呼んで欲しい」

 なまえという名は父と母のどちらがつけてくれたんだろう。お父さんに訊いてみれば良かった。自分の名前の意味なんて知る余裕もなく生きてきた。それはきっと、私が生まれる前もそうだったハズ。それでも、“なまえ”と私を表す証をくれた両親。そこにはきっと、愛があったのだろう。

「私の母は血継限界の持ち主でした」
「そうか」
「特殊な血は忌み嫌われます」
「……あぁ」
「それでも、父は母を愛した。母は私を産んで間もなく亡くなったと聞いています」
「……オレも、同じだ」

 風影様の返しに目を見開くと、合わさった視線が続きを促してくる。その目線に頷きを返し、「父は、私のことも愛してくれた」と話を続ける。誰にも自分の生い立ちなんて話したくないと思っていたのに。風影様には聞いて欲しいと願い、自ら口にしている。
 勝手に話し始めた私のことを咎めるでもなく受け入れてくれる風影様に、安心を与えられているからだろう。

「父と過ごした日々は裕福ではなかったけど、幸せだった。……私が死にたいと思うようになったのは独りになってからです」
「孤独は心を蝕む」
「おっしゃる通りです。父が居なくなるまで、この血を憎いと思ったこともなかった。けれど、独りになってこの血が暴走するようになってからは堪らなく嫌になりました。望んだものじゃないのに、どうしてって」
「……あぁ」
「でも。風影様の話を聞いていると血も名前も、全て両親が分け与えてくれたものなんだって思いました」
「そうか」

 我愛羅さん、と風影様のもう1つの名前を呼べば、我愛羅さんの瞳がゆるりと上がる。我愛羅さんの瞳はエメラルドグリーンの海を思わせるけれど、決して暗く冷たいものではない。

「私、自分の名前が好きです」
「なまえーー良い名だ」
「我愛羅さんのお名前も素敵です」
「……ありがとう」

 カンクロウさんに比べると、我愛羅さんの表情はあまり変わらない。だからといって冷徹な人なんかじゃないということはじゅうぶん分かる。それに、決して笑わないというわけではないということを今、知ることが出来た。

「あ、えと……」
「どうした?」
「あ、その、」

 微笑みあって数秒。我愛羅さんとの距離の近さを今更思い知る。ブランケット1つを分け合える程の距離。父親以外とこんな距離で顔を合わせるのは初めてで、気恥ずかしさが一歩遅れてやってきた。

「氷遁、頑張って使いこなしてみせます」
「あぁ。ここで、ゆっくり習得していけばいい」
「ありがとうございます」

 地面に視線を逸らした私を我愛羅さんの視線が追うことはない。“ここに居て良い”と居場所をくれる我愛羅さんの声は、空に向かって放たれている。その声を追うように空を見上げれば、星たちが存在を示すように輝いている。

 この里は景色も夜空も。なにもかも綺麗だ。
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