Across the line

「あれ、なまえ明日休み?」
「うん。有休使うことにした」
「へぇ。急用でも出来た?」
「もう1回ぶつかってみようと思って」
「えっ……それってもしかして」
「澤村さんのこと、忘れられないから」
「……なまえ、変わったね」

 友梨の表情が子供の成長を慈しむ母親みたいで、思わず吹き出してしまった。
 澤村さんに出会って、恋をして。思い返せば初めてのことばかりだったような。1度フられたのにこうして再挑戦しようとさえしているだなんて。澤村さんのおかげで強くなれたな。

「明後日カラオケ、付き合って」
「もちろん。こないだ行けなかったしね」
「ありがとう。友梨」

 今の私なら、澤村さんとの恋を受け入れて前を向けそうな気がする。



「澤村巡査いらっしゃいますか?」
「みょうじさん? どうされました?」

 仕事中の彼を訪ねるのはルール違反かもしれない。仕事外のことを仕事中に持ち掛けるのは、迷惑だし困らせることも分かっていた。
 だけど、仕事の一環としてフって欲しかった。あの時のように仕事を持ち出してくれれば、それが彼の本音なのだと思えるから。

「仕事中にすみません」
「いえ。休憩時間なので」

 “良かったら別の場所で”と告げると、澤村さんは廊下の自販機横に設置されたソファへと案内してくれた。

「ここは人通りも少ないので」
「ありがとうございます」
「あの、もしかしてまた……」

 また、の後に澤村さんが続けようとしているのは恐らく源斗絡みの内容。私が言葉を繋げるとしたら、「もう1度告白をしに来ました」だ。

「え?」
「澤村さんのお仕事が大変なのは理解しています。澤村さんがどれだけ真剣に取り組んでいるかも分かっています。澤村さんが言った“余裕がない”という言葉も。そんな中で私と向き合ってくれた澤村さんに、あんなひどいことを言って本当にごめんなさい」

 彼がしてくれたように腰を折り曲げて謝罪すると、「俺も随分と酷いことをみょうじさんにしてしまいました」と澤村さんは自分を責める言葉を放つ。

「それに、警察官らしからぬ対応もしてしまいました」
「……私は、線を引けと言いながら、線引きされることが怖かった」

 あの時みたいに遮ることはせず、じっと私の言葉を待ってくれる澤村さん。おかげで今回は後悔なく終えることが出来そうだ。

「余裕が出来るまで待ちます――と言うつもりだったんですけど。澤村さんは優しいから、きっと無理させますよね」

 澤村さんを見つめたら、自分自身で気持ちにケリを付けることが出来た。彼は、これからの日々を警察官として一生懸命生きてゆくのだろう。その生活に私が加われば、澤村さんの幸せを奪いかねない。だから――

「だから。好き、でした。これからは一般市民として、澤村巡査の活躍を応援させて下さい」

 言えた。この気持ちに嘘はない。最後にこの気持ちになれたこと、この気持ちを澤村さんに言えたこと。もうこれで悔いはない。そんな気持ちで晴れやかな表情を浮かべる私を見て、澤村さんが深く溜息を吐いた。

「……ダメです。勝手に終わらせないで下さい」
「え?」
「……俺に、守らせて下さい。仕事なんて関係ない。1人の男として、みょうじさんを守りたいです」
「えっ……え?」
「仕事も大事です。だけど、それ以上にみょうじさんのことを大事だと思ってしまうんです」
「…………す、すみません」
「そっ、そうですよね。……都合、良過ぎますよね」

 澤村さんもテンパっているのだろう。私はここにアナタが忘れられないと告げに来たのに。澤村さんの言葉を拒否するはずなんてないのに。私が今謝ったのは――

「澤村さんからそう返されるとは思ってもなくて。ちょっと、どういう反応したら良いか……分かってないんです」

 伏せた瞳からポロポロと涙が落ちてはシミになってゆく。……私は、この人の前で泣いてばかりだな。澤村さんが慌てふためき、「みょうじさんっ、あの……っ」と何を思ったのか帽子を被せてきた。

「帽子なんかじゃなくてぇ……」
「すみません。俺、こういうの慣れてなくて……」
「抱き締めてくれたらいいんですよぉ……」
「……〜っ!」

 吸い寄せられるように澤村さんに抱き着けば、しどろもどろな言葉を吐いた後、ギュッと背中に腕がまわされた。それはすぐに離れてしまったけれど、力のこもった両腕の中は宝物を閉じ込めるみたいに優しくて。一瞬感じた彼の熱は、澤村さんの顔に移動している。

「仕事仲間に見られたら、ど、どうするんですか……っ」
「ふはっ……そうですね。ごめんなさい」

 私の頭をすっぽりと覆っていた帽子を取り、それを澤村さんの頭に被せぐっとつばを下げる。

「こうすれば隠れるんじゃないですか?」
「……みょうじさん!」

 周りに居る警察官たちが何事だと顔をこちらに向けるけれど、私と澤村さんの顔を見てすぐになんだ、という顔に戻ってゆく。周囲に「すみませんっ!」と謝りながら咳払いをした澤村さんが「……じゃ、じゃあ俺は仕事に戻ります」とすぐさま警察官の顔へと戻るから。

「あの!」
「はい」
「その……。今日、良かったら、ウチで晩酌、しませんか?」
「……じゃあ。お言葉に甘えて」
「……! 待ってます!」

 たくさん泣いた。この恋は思い返せば塩っぽくて苦い失恋として刻まれるんだと思っていた。……だけど。

 実はこの話には続きがあって、酸味が効いた甘いお話になるということを、私はこれから澤村さんの隣で、一緒に知っていくんだ。

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