あなたの自分勝手な
キスがほしい

 数分だけ縋った彼の胸を離れ「ありがとうございました」と頭を下げ自宅に入ってから、数日。

 女性警官から連絡を受け、源斗が「金輪際なまえには近付かない」と怯えていたことを教えてもらったので、恐らくもう大丈夫だろう。しつこいくらいに来ていた連絡がパッタリ来なくなったのがその証拠。……警察って本当に偉大な職業だ。街中で起こる様々な出来事に向き合い、こうして解決までの手助けをしてくれる。彼が必死になるのも頷ける。

「余裕なんて、」

 あるはずがない。澤村さんが私のことを視界に入れる余裕なんて、どこにも。彼からの連絡も一切来ていない。そのことが証拠。あとは、この気持ちをどうにか前に向かせること。うじうじ悩んだって仕方がない。そう、分かってはいる。



「最近なまえ元気ないなぁって思ってたけど」
「そ、う?」
「うん。やっぱポリスマンの存在がおっきかったんだろうね」
「そうかもしれない」

 でもちょっと顔色良くなってきだしたね、と笑う友梨にじんわりと胸が温まる。私には、こうして私を心配してくれる友達が居る。源斗から遊び相手の1人としてしか扱われていなかったことが分かって、自分の状況に焦りを抱いた時に助けようとしてくれた唯一無二の親友。その存在は恋愛関係のように終わりを迎えることはない。その存在があるだけで、私はじゅうぶん幸せなんじゃないか。

「友梨のおかげ」
「なっ……ちょっ、なまえ……照れるわ」
「あはは。友梨顔赤い」

 でもね友梨。澤村さんの存在は大き“かった”んじゃなくて、“大きい”んだ。私にはまだ、澤村さんを“過去のこと”として線引きすることなんて出来ない。人には線を引けと言ったくせに、いつまでもうじうじしてしまうのは私のよくない所。それも全て。頭では分かってる。



「こんばんは」
「坂下さん!」

 仕事を終え、帰宅路を歩いているとあの日対応してくれた女性警官――坂下さんに声をかけられた。あれから定期的に様子窺いを込めたパトロールをしてくれているらしい。源斗は“写真も消す”と言っていたそうだけど、万が一のことがあれば警察が迅速に対応してくれることになっている。これだけの対応をしてくれている警察を、澤村さんを、好きになるなという方が難しい話だ。

「あれからどうですか?」
「おかげさまで」

 坂下さんに源斗から音沙汰がなくなったことを伝えると、坂下さんは胸を撫でおろしながら「良かった」と言ったあと、「あ、でも」と言葉を続ける。

「これからも巡回は続けますね。なんせ澤村巡査からの頼みなので」
「え? 澤村さん?」

 続く坂下さんの話で、澤村さんが県民安全対策課に出向き、“私を頼む”と頭を下げたことを知る。澤村さんは私情を一切挟まないことで有名らしく、そんな彼の行動に部署内がざわついたことも。

「澤村巡査と一体どういう関係なんですか?」

 坂下さんから好奇心溢れる顔つきで訊かれ、言葉に詰まっているとハッとした様子で「ご、ごめんなさい……! みょうじさんは大変なことが起こったばかりなのに私ったら……! 失礼しました!!」と謝り倒され、結局問いに答える間は貰えなかった。

 言ってしまいたかった。澤村さんからフられて、それでも澤村さんのことが好きな女です――と。これをもし言ったとして、私の気持ちはどうなっていたのだろう。忘れようと割り切れた? それとも、やっぱり好きだと蓋をしていた気持ちが溢れた?

 こんな分かりきったこと、自問するだけ無駄だ。



 平身低頭を続ける坂下さんを宥め、もう1度お礼を告げて戻った自宅。一目散に洗面台に駆け寄り蛇口を捻る。冷えた水道水で手を濡らし、両手で掬い上げ顔面に何度もぶつけてみるけれど、そんな行為に意味はない。

「澤村さん……なんで、」

 仕事をこなしたまでと言われればそうなのかもしれない。だけど、私の案件は澤村さんの部署ではない、別の部署に引き継がれたはず。それなのにどうして。連絡はくれないけれど、こうして手を差し出せる範囲で気付かれないように守ろうとしてくれる澤村さんのその行為は、どこまでが仕事なのだろうか。分からない。分からせようとしてくれない。……そんな澤村さんのことを分かりたいと願う気持ちをどうすればいい?

「……よし」

 ポタポタ滴る水をタオルに吸い込ませ、鏡の自分と向き合う。うじうじしない。……これが最後。心に決意を誓ったからなのか、鏡に映る自分は今までで1番頼もしい存在に見える。

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