No name

 犬飼はいつも飄々としている。他の男子生徒に比べるとどこか大人びたその雰囲気は、他のクラスの女子からも“格好良い”と評されている。

 だけど、私はその犬飼の飄々とした所が苦手だった。

「……喧嘩でもしたの?」
「なんで」
「んー? 雰囲気。ピリついてる」

 私が苦手と思っている理由の1つに、悟られたくない事情をこうして意図も容易く言い当ててくることがある。というか、必死に隠してるのにどうして犬飼にはいつも見抜かれてしまうんだろう。

「……まぁ、ね」
「あーなるほど。フられた?」
「まだだし」
「“まだ”って。それ、決まってる事柄に対して付ける言葉だよ」
「……アンタのそういうとこ、ほんと嫌い」
「そりゃどうも」

 人から“嫌い”と言われているのに、それを余裕の笑みで受け止めきれるところも。そういう得体の知れない所が苦手。

「大丈夫。仲直りできるよ」
「その言葉の後ろ、今心の中で続けたでしょ?」
「まさか。“そんでまたすぐダメになる”とか続けたとでも思った?」
「……ほんと。良い性格してる」
「いえいえ」

 どうして犬飼には響いてくれないんだろう。剥き出しの言葉をぶつけているのに。なんにも入っていかない。犬飼の心臓って一体どこにあるんだろう。

 分からない。高校生活3年間を一緒のクラスで過ごしてきたのに。犬飼澄晴という人物がまるで分からない。どうしたら覗き込めるんだろう、なんて時々思う。

 でも、それってなんだか私が犬飼のことを気になってるみたいで、それがどうしようもなく気に喰わなくてムカっとする。

「犬飼だって彼女作ればいいじゃん」
「ん? どうして?」
「アンタなら引く手数多だし。争いの匂いしかしなさそうだから」
「はは。なまえも中々だね」
「犬飼には負けますが」

 目を見開いてわざとらしく嫌味を言うと、犬飼もわざとらしく肩を竦めてどこかへと立ち去って行く。

 教室から出て行こうとした犬飼を、待ってましたと言わんばかりに覆いつくす女子生徒の群れ。その中心となった犬飼は嫌な顔1つせず温和に対応している。

 どうしてみんなはそんなに犬飼に惹かれるんだろう。確かに犬飼は大人っぽい。飄々とした姿は他の男子とは一線を画している。

 些細なことで喧嘩してしまう彼氏とも違う。だけど、それは“格好良い”とは違う。

「――!」

 女子の中心に居座る犬飼をぼーっと眺めていた時、犬飼とバチっと目が合わさった。唐突な出来事に目線を逸らすことも忘れていると、犬飼の方からフッと視線を逸らされた。それはほんの一瞬の出来事。

 たった一瞬のことだったけれど、私の心臓は今もバクバクと恐怖に駆られている。

 私は、怖いのだ。犬飼の飄々とした所も、大人びた所も。何を考えているのか分からないその張り付けた笑顔もなにもかも。

 人の領域には簡単に踏み込んでくるクセに、自分の中には決して他人を踏み込ませないその犬飼の距離の取り方が、私には得体の知れない恐怖を呼び寄せる。

 そして、その得体の知れなさがどうしようもなく私を惹き付けようと誘ってくることも。心のどこかでは気付いている。

 だけど、その感情に名前を付けることは酷く怖い。名前を付けてしまうと、後には引けない気がするから。

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