Can't make advance reservation

 烏野のコーチに正式に就任してから1週間。指導内容は特に変わらないが、臨時でなく、正式に指導するということはそれなりに責任感も生まれてくる。
 そうなれば必然的に実家の手伝いにかかる時間を減らすことになるし、みょうじに店番に入って貰う時間も長くなる。
 みょうじ自身は「暇だし、烏養からその分奢って貰えるし〜」と相変わらずの返事を寄越してくる。それに救われているのも事実だが、みょうじこそあくまで“臨時”の手伝いだ。実家暮らしということやみょうじにいつまでも甘える訳にもいかねぇ。

「ふぁ〜……」
「コラァ、烏養! なにアクビしとんじゃぁ〜!」
「うぉ!?」
「うへへ。沢田先生の真似! 似てた?」
「お前……不意打ちヤメロ」

 烏野に向かう時間が近づいているのを感じながら、カウンターに広げられたバレー書類を片付けていた時。完璧に気を抜いた所を見計らって大声で脅してくる趣味の悪い人間なんてここらじゃただ1人しかいない。しかもその本人はケラケラと笑ってるから人の悪さに拍車がかかっていやがる。

「烏養さんはお疲れですか?」
「あー、まぁな」
「インハイ予選近いんだっけ」
「あぁ。3週間後だ」
「私が東京に帰る頃だね」
「そういやみょうじっていつあっち帰んだ?」
「6月3日まではこっちで、4日の朝に帰るつもり」
「ふぅん?」
「なに、寂しいの?」
「バカ言ってんじゃねぇ」
「えぇ〜。繋心くんってばツメタイなぁ〜」
「……久しぶりに見た時は変わったと思ったけど、やっぱりみょうじはみょうじだな」
「えっ、なにソレ。どういう意味よ」
「なんでもねぇ」

 みょうじと入れ違いで坂ノ下を出て、すっかり登り慣れた坂道を歩く。久しぶりに歩いた時はきつくて登り終える頃には微かに息が上がっていたが、今では軽々登りきることが出来る。みょうじだってそうだ。数年ぶりに会った時は都会に染まった気がして少し怖気づいた。だけど、数週間一緒に過ごしてみるとここに居たあの頃のみょうじと何ら変わっていない気がして、それが随分と心地良く感じてしまう。

「……いけねぇなぁ」

 その心地良さは抱いてはいけないものなのに。ここに居る限り、あの日々が思い出されて強制的に抱かされるものなのだ。こればかりはどうしようもなんねぇ。早く東京に帰ってしまえばいいのに――その想いはすぐさま本当の気持ちが打ち消そうとする。
 分かってる。全部、判ってんだよ。でも、しょうがねぇ。だってアイツがここに居るんだから。



「うぃー」
「おかえり、今日もお疲れ様」
「おう」

 すっかり慣れたみょうじとの挨拶。この後みょうじはエプロンを俺に渡して、店番を交代して帰るのがいつもの流れ。しかし今日はカウンターから動く気配がない。

「この子ったら結婚する気配すら見えなくてねぇ」
「あらぁ。それは親としては困りますねぇ」

 それは母ちゃんと井戸端会議を繰り広げているからだ。……まだ営業中だぞ、一応。分かり易く溜息を吐いてみても女2人には響きゃしない。それどころか口撃に拍車をかける。

「ほんとよぉ〜。お見合い相手でも探そうかしら」
「繋心くんが重たい腰あげないのならそれもアリかも?」
「そうだ! なまえちゃんの周りで出会い求める人居ないの?……なんならなまえちゃんはどうかしら? なんてね」

 テーブルに座ってバレー書類へと逃げを決め込んでいたが、母ちゃんのその言葉には思わず反応してしまった。こんなこと、確か前にもあったな。既視感を覚えつつもやはり割り込まずにはいられなかった。だってコイツには――

「コイツ、彼氏居るからな」
「あら。まぁそうよね。こんなに可愛いんだもの。彼氏の1人2人、居るわよね」
「……えぇ、残念ながら。彼氏が1人だけ」
「彼氏が1人なのは当たり前だろうが」
「あはは、そうだね。……当たり前だよね」

 俺のツッコミに一拍間を開けて笑いに変えるみょうじ。なにが“残念ながら”だ。彼氏を追って東京に行ったクセに。
 溜息をまた1つ吐くと母ちゃんがつまらなそうに俺を見つめ、俺以上の溜息を吐かれた。……なんだよ、人がクタクタになって帰ってきたっつーのに。その仕打ちはなんだよ。

「あ、なまえちゃん。よかったら夜ご飯食べてかない? 今日カレーなんだけど作り過ぎちゃって」
「えっ、いいんですか? 今日親家に居なくて! 帰りに嶋田マート寄って帰ろうと思ってたんです」
「お店閉めたら家にあがって来て。お鍋温めておくから」
「はい! ありがとうございます!」

 自分の息子より、みょうじに優しく接する母親を非情に思いながらもその姿を見送るとみょうじが「烏養家のご飯、楽しみ」と嬉しそうに笑う。田舎料理しか並ばねぇ食卓をここまで楽しみにするなんて、みょうじはやはり都会の女になってしまったのか。

「昔から烏養のお弁当、凄く羨ましかったんだぁ」
「俺の?」
「そう。毎日手作り弁当だったでしょ?それももの凄い量」
「あーまぁ、部活やってたし。じじいがそこら辺うるさかったしな」
「いっつも玉こんにゃく1粒でいいからくれないかなぁって眺めてた」
「……言えばいいのに」
「だって恥ずかしいじゃん。そんなこと言うの」
「へぇ」

 みょうじに恥ずかしいなんて感情があったのか、と驚嘆していると俺の考えを気取ったみょうじの頬が膨らむ。目線もジト目に変わったのが分かって「スマン」と素直に謝るとようやくいつも通りの表情に戻り安堵する。

「ずっと、言いたくて。でも、言えなかったんだよね」
「そんなにか?」
「……うん。あの時言えてたら――とか思ってみるけど、もう遅いんだよね」
「悪い、そんな深刻だとは思わなかった」
「アハハ! うん。……うん。だから烏養はもっとちゃんと噛み締めないとだよ」
「……?お、おう。ちゃんと母ちゃんに感謝するわ」

 よくは分からないが、みょうじの顔が少し寂しそうで柄にもなく真面目な返事をするハメになった。そして、そんな俺にみょうじは嬉しさと寂しさの両方を浮かべて柔らかく頷いた。




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